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愛憎のはざま1

 私は道を間違えている。

 初めてのキスは、凄く優しくて、胸が破裂しそうなくらいドキドキして、軽い眩暈がした。


『この世に君に勝るものはありません』


 唇が離れて、再びキス。


『君を残して死ぬとか嫌なんで』


 角度を変えて押し付けられた唇がまた離れる。名残惜しくて、ついシャツを握りしめた。

 完全に唇が離れる前に、またキスされた。


(喧嘩して、オルトに相談して、あの人に殴られたとか襲われたって演出しようと思っていたのに……)


 あんまり辛そうな青い顔で、手を震わせていたから、計画を忘れてしまった。

 私に夢中という様子のエクイテスなら、私を痛めつけたオルトを許さないだろう。たとえ兄弟のような仲だとしても。

 3ヶ月でエクイテスは絶対に父を囮にするような男ではないと確信した。そうなると必然的に仇はオルトだ。

 彼が私をこそこそつけたり、調べているのは知っている。弟分に相応しい女なのか知りたかったのだろう。

 今日、エクイテスの家に行く途中で「君みたいな子がエクイテスに惚れてくれて嬉しい」と口にした時のオルトの目は、以前とは違い、しっかり笑っていた。

 疑惑や懸念はもう払拭した、というように。

 大事な弟の恋人をボロ雑巾のようにした不名誉と、エクイテスからの憎悪で破滅。オルトは死刑台行き。間も無くそうなる。私がそうする。


 そう思っていたのに、なぜ私はエクイテスに抱きしめられて、キスされて、胸を高鳴らせているのだろう?

 エクイテスの顔が離れる。恥ずかしすぎて顔が見られない。

 ボタンの外れたシャツの胸元から覗く日に焼けた肌に照れて、視線を逸らす。


「クリスティーナ……可愛い……」


 頬にキスされて、身を竦める。褒められ慣れているのに、エクイテスだと全身が熱くなる。

 耳元で「好きだ」と囁かれて、体の力が抜けた。

 男の人のこんな甘ったるい声、初めて聞いた。両手で頬を掴まれ、またキスされる。

 気がつけば腕をエクイテスの背中に回していた。

 背中……。筋肉質な背中は細かい傷跡だらけだった。少し目を開ける。左こめかみにある火傷跡のようなケロイド。背中の傷と同じく戦場で傷ついたのだろう。

 胸がいっぱいで幸せなのに、苦しくて切なくなる。


「行かないで……」


 顔が離れた時、目が合った瞬間、そう口にしていた。


「クリスティーナさん?」

「待ってますなんて言ったけど、行かないと言っていましたけど、戦争なんて……絶対に行かないで……」


 行ってくる、と凛々しい顔をした後に笑顔で村を去った父がエクイテスに重なる。

 父は小さな骨しか帰ってこなかった。

 

「うん。行きません」


 微笑まれて、アメジストのような瞳が優しげに光る。この人といると、考えていたことと違う言葉が出てばかり。

 私に何かあったら、昨夜あったらしい事件のように殺されたら、そう口にした時のエクイテスの絶望感漂う表情は、父の死を知った日に鏡で見た私の顔と同じだった。

 気がつけば、エクイテスに抱きついていた。果物包丁で刺せるか考えたこともあったのに、今は無理だと思う。毎日、仕事で怪我していないか不安でたまらない。

 オルトを罠に嵌めるということは、エクイテスを傷つけること。でも、復讐を考えるのを止めようと思えない。

 憎くて、憎くて仕方がない。エクイテスはマイクを朧げに覚えていた。彼は色々な人を覚えていて「守ってやりたかった」と言っていたのに、オルトは「寄せ集めの部下に興味なかった」だ。

 味方に火を放ち、爆発させた。それが戦争だ。エクイテスの手だって血塗れ。誰かの親や息子、恋人を死なせた手。

 エクイテスはそんなことしたくなかった。言葉の端々から感じる。自己卑下して、辛そうで、悲しそうで、後悔で苦しんでいると伝わってくる。

 オルトが彼のような人なら良かったのに。


 エクイテスがはにかみ笑いを浮かべる。私の左手薬指と、額にそっとキスをしてくれた。

 結婚式で行われる誓いのキスと同じ。

 滅多に笑わないから、彼が笑うたびに嬉しくなる。

 笑顔の理由が自分だと分かるから、エクイテスが笑うと、とても幸せだと感じる。

 だから自分のオルトへの憎しみが恐ろしい。

 

(好きになんてなりたくなかった……)


 私はエクイテスの胸に頭を預けた。涙が溢れて、堪えられなくてポタリと落ちる。

 エクイテスの両手を取って握りしめる。


(誰か私の代わりにオルトを殺して……。でも、悲しむエクイテスさんを見たくない……)


 落下した涙がエクイテスの手の甲を濡らす。


「クリスティーナさん?」

「嬉しくて。だから、終わる時を考えたら悲しくて……」


 オルトを貶めて、それを見破られたら、エクイテスは私を軽蔑して嫌いになるだろうか。その時オルトが父の仇だと言ったら、私を許してくれるだろうか。

 私とオルトの間で板挟みになり苦しむエクイテスを易々と想像出来る。

 だから憎しみなんて忘れて、何もしないのが1番。だけど憎くて憎くて憎い。3ヶ月耐えた。でも憎しみはちっとも消えない。


「終わるって……。あの、アメリアさんが何かその、クリスティーナさんは俺の浮気が気になっているとか言っていて」

「えっ?」


 思わず顔をあげる。エクイテスはまだ笑顔だ。1週間に1度見れるかどうかという、貴重な表情。なのに今日は沢山笑っている。

 

「絶対無いので、心配しなくて良いですから」


 楽しそうに肩を揺らすエクイテスに見惚れる。こんな風にも笑うんだ。


「変ですよ。俺なんかが君みたいな素敵な恋人を蔑ろにして浮気すると考えたり、誰だか知らないですけどヤキモチを妬くなんて」


 また自己卑下。エクイテスは自身に対する評価が低過ぎる。大好きな笑顔が消えて、渋い顔。よく見る何を考えてるのか分からない表情。たまに照れ顔に思える時があるが、今の表情は違う。


「そうです? 受付の可愛い事務官に睨まれたり、女性のお客様になんだブスじゃんって言われたり、結構大変なんですよ?」


 洗い場で洗濯中に、酒場のアバズレのくせに、と聴こえてきたこともある。私は乙女だ。オルトとエクイテスを探すために、男に媚びて笑顔を振り撒いてきたけど、アバズレではない。

 店主コルダやアメリア、同僚達からエクイテスは中々人気者だと聞く。何故かオルトの人気が凄いからだ。それでお揃いの黒羽コートのエクイテスも注目されて、仕事振りや市民への態度で、皆が彼の良いところ気づく。

 役職付きの騎士はエリート。エクイテスは下部部隊だけど、出世していけば地区長守護兵や、王宮騎士候補になる可能性もある。

 そうすれば貴族令嬢と結婚して貴族の仲間入りする事も叶うのに、エクイテスの恋人は私。酒場で働く下街娘。


『金も名誉も地位も何も必要ない』


 熱烈。エクイテスは時々凄く熱烈。今日は特にそうだ。

 あれこれ思い出して体がますます熱くなる。まだキスの余韻がくすぶっているのに。


「受付に可愛い事務官なんていましたっけ? クリスティーナさんが可愛いから署の騎士達の視線が集まって、嫉妬されたんですかね。常連客の浮かれっぷりに……」

「違いますよ! エクイテスさん目当ての女性にやっかまれるんです」


 エクイテスはまた肩を揺らして、愉快そうに笑った。


「あはは。俺目当てって。変な風に考えるより、自分が可愛くて男を引き寄せるから同性からやっかまれると認識して、気をつけて下さいね」


 ダメだこれ。エクイテスの自己卑下は底なしだ。

 モテている認識がないのは、他の女性をまるで意識していないということなので嬉しいけど。

 そしてまたエクイテスが楽しげなのが嬉しい。

 

「クリスティーナさん?」

「さっき、クリスティーナって呼びましたよね? クリスティーナで良いですよ」


 押されてばっかも癪なので、ソファに膝立ちしてエクイテスの首に手を回す。

 エクイテスは笑うのをやめて目を丸めた。耳が少し赤い。

 背中は汗ばんでいなかったし、咳もしないし、喉も枯れていない。悪かった顔色はすっかり良い。

 ついつい心配してしまって風邪と決めつけたけど、少し冷静になれば「昨夜の事件で気分不快なだけで、体調は良い」が真実だろうと思えた。

 勘違いにもほどがある。でもラッキー。おかげでようやくキスしてもらえた。

 私の休みの月曜日に当直ばかりで、全然デート出来ないし、会えるのはお昼のほんの少しの時間だけ。

 それも、その日にならないと会えるか分からない。今日は来るかな? と待つ時間はとても長い。

 名残惜しくて何度も約束の15分以上待ったことがある。そうなったのは、いつからだろう。この気持ちを自覚したのはいつからだ?

 私はエクイテスを見据えながら、自問自答してみた。分からない。好きでなかった頃を、もう思い出せない。


「今は具合良さそうですけど、風邪が悪化したら困るので、明日はお休みですね。お休み、溜まっていますよね?」

「えっ?」

「私も休むので、デートして下さい」


 顔を寄せて、目を閉じる。唇同士が触れた瞬間、エクイテスは私の両足の下に腕を入れ、肩に腕を回し、私を膝の上に乗せた。


「ああ、休む……」


 耳元で囁かれて首を竦めると、手で顎を上げられた。優しいけれど、少々乱暴。何度もキスを繰り返される。これまでと少し違う少々激しいキスの雨。

 誘って後悔。これは、恥ずかしいを通り過ぎて限界。

 限界なのに、エクイテスの手は私の顎を離れて胸元に移動した。おまけに口の中に舌が侵入してきて、胸を揉まれ、私は軽い悲鳴をあげた。両手で彼の胸を強く押す。

 力の差は歴然だけど、エクイテスはすぐ引いてくれた。


「こ、これ、これ以上は……」


 エクイテスは小さく頷くと、無言で膝の上から私を下ろし、ソファに座らせた。しかめっ面で、俯いている。

 機嫌を損ねたのか、単にいつもの表情なのか判断しかねる。


「スープ、冷める前にいただきます。ありがとうございます」

「わた、私、私も食事してきます。あと、お湯も」


 心臓が持たない、とタンスを開けて着替えを持って一目散に部屋を出た。扉を閉めて、その場に座り込む。


(慣れてる。純情とか、女性慣れしてなさそうだと思っていたのに、めちゃくちゃ上手よね? そうよね? あんなに自然にキスしてきて、気持ち良くて、涼しい顔で胸まで触っちゃって……)


 私は拳を握って軽く床を叩いた。


(誰よ、エクイテスさんのファーストキスの相手! 私は初めてだったのに! 誰よ! どこかの娼館の娘⁈ 男はみんな行くってサリーが言っていたわ! まさか前の恋人……)


 目の前が暗くなる。


 そうだ、オルトに聞こう。どうせ復讐するために呼び出すのだ。

 私はフラフラしながら階段を降りた。


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