惚れたら負け5
酒場の前までクリスティーナを送ると、彼女は裏口に俺を案内した。
裏口横に椅子があり、そこに座らされる。
「事情を説明してきますから、少し待っていて下さいね」
事情? と尋ねる前に彼女は店へ入っていった。ほどなくしてクリスティーナはアメリアを連れて戻ってきた。
立ち上がり、会釈をする。
「エクイテスさん、風邪だって? なんだい。割と元気そうじゃないか」
「熱があるし。真っ青な顔だったんです。今は少し良さそうですけど」
「あんたには迷惑してるんだ。客寄せ看板娘が裏に引っ込んじまったから、常連客が何人も遠のいて」
「アメリアさん?」
クリスティーナが不安そうな表情になった。
「部下達を連れて金を落としてくれよ。クリスティーナ、今日はもう休みだ。頼まれた空き部屋を貸してあげるから、看病してやりな」
アメリアはウインクをして、口を大きく開けて豪快に笑った。やはり、元祖マーメイドとは信じられない。
クリスティーナが「王都でのお母さん」と言っていた理由が分かった気がした。母親なんて知らないけど、こういう親なら幼い頃から幸せだっただろう。
「いえあの、元気ですし、送りにきただけなので家で寝ます。クリスティーナさんが持ってきてくれたお弁当を食べたいですし」
「食欲はあるのかい」
「ダメですエクイテスさん。悪化した時に1人なんて大変ですよ。あの部屋は寒かったですし」
「寒いのには慣れています」
「食べ物を粗末にするのはアレだが、素直に泊まっていきな。エクイテスさん、クリスティーナから聞いているよ。休みを取らずに働き続けてるって。仕事命も良いけど健康は大事だよ」
ほらほら、とアメリアに手招きされた。クリスティーナが俺の腕にしがみつく。腕を組んだことはあるが密着は初。
(柔らか……)
惚けていたら「行きましょう」と少し怒り顔のクリスティーナに引きずられた。
裏口から入り、廊下を歩き、階段を登って2階へ上がる。
「空き部屋はやめだ。クリスティーナ、あんたの部屋で良いだろう。急な悪化が怖いから連れてきたのに、部屋が別々だと意味ないだろう」
「私の部屋ですか?」
「屋根裏部屋のベッドは広いから2人で眠れるだろう。看板娘がベッド脇の椅子で寝て風邪っぴき。数日休む。そうしたら弁当が売れなくて大損害だ」
「あの、アメリアさん……」
「クリスティーナ、部屋は片付いてあるかい?」
「す、少し。少し待っていて下さいエクイテスさん」
クリスティーナが階段をパタパタと登っていった。長いスカートがひらひら揺れる。
アメリアがクスクス笑い、俺の肩を叩いた。
「クリスティーナは勘違いして過剰に心配してるみたいだけど、風邪なんて引いてないだろ」
その通りなので頷く。
「はい。なので帰り……」
「何言ってるんだい。たまには長く相手してやりな。あの子、ウキウキしながら弁当こさえて出掛けて、帰ってきてからは、いつもため息ばっかりだよ。評判良しのエリート騎士相手じゃ、いつ浮気されるか心配なんだろうね」
「えっ? エリート騎士ではないですし、浮気とか全く考えたことありません」
「ああ、噂を聞くし、今朝のエクイテスさんを見て一途そうって思ったよ。ただ、嫉妬で客を睨むのはやめて欲しいね。エクイテスさん、多少は良いけどヤリたきゃ豪華なホテルにでも行きな。酒場の屋根裏部屋じゃ素敵な思い出にならないよ」
「んなっ!」
「風呂のある部屋で、バスタブに花なんて浮かせてさ。ベッドには結婚指輪。いやあ、うちの主人、昔はキザでね。エクイテスさんは薔薇1本であなたに夢中だっけ? 薔薇が枯れた、薔薇が枯れたってあの子大騒ぎしていたよ。色男」
俺の背中をバシンッと叩くと、アメリアは肩を揺らしながら階段を降りていった。
(女性なのになんつう発言を……)
ほどなくしてクリスティーナが戻ってきた。
「まあアメリアさん、具合の悪いエクイテスさんを放置するなんて」
「いえ、歩いていたらだいぶ良くなりました」
「部屋をジロジロ見ないで下さいね。借り物の部屋で、コーディネートしていませんし……」
支えられる理由なんて何もないのに、体を支えられながら階段を登った。
クリスティーナが扉を開く。屋根裏なのに小綺麗で、床に幾何学模様の絨毯が敷いてある。
大きなベッドにソファ、ローテブル。クリスティーナが以前落下した大きな窓の近くにデスクと椅子。それからクローゼットとタンス。
「広いですね」
「元々息子さんの部屋で、体格が大きかったから2階の部屋ではなくて、ここに住んでいたそうです。アメリアさんが、広い方が良いだろうってこちらを貸してくれています」
部屋も広いが、ベッドも広い。あのベッドで2人で眠る……?
「寝てて下さい。私、タオルとか持ってきます」
ベッドに促され、ゴクリと喉を鳴らす。クリスティーナが毎晩眠っている神聖な布団だ。
「エクイテスさん?」
「あの……」
「だいぶ良くなりましたって、熱が上がっていません? 歩いている時より顔が赤いです」
ほらほら、と黒羽コートと上着を脱がされてベッドに寝かされた。
クリスティーナは俺が脱いだ靴を窓際に並べ、黒羽コートと上着をクローゼットにしまい、部屋から出て行った。
軋まないベッド。あまり硬くないベッドマット。ほんのり甘い匂いのする、ふかふかした布団。この香りはクリスティーナがつけている香水の匂いだ。
(なんか、彼女が密着しているような錯覚に陥る……)
俺は上半身を起こした。布団を膝にかけて座る。この方が落ち着くというか、香りが鼻をくすぐらないので緊張しない。
(なぜこんなことに……。いや、チャンスだ。店主夫人に煽られたからではないけど、キスくらい……。いや、抱きしめるだけでも……)
許されるなら抱きしめるよりキスだ。絶対にそっちだ。1回より複数回。酔っ払い客が触ったことのありそうなところを触って消毒……にならなくね? なんだその発想。
単に触りたいだけ。オルトのせいだし、アメリアのせいだ。それからクリスティーナがいつも可愛いからで、今日俺の手を握ったりするから。
(うおー……。煩悩消えろ。俺は病人だ。そう、風邪っぴき。クリスティーナさんにうつしてはいけない。そういう設定だから触ってはいけな……)
俺は両手で髪をくしゃくしゃと掻いた。
(嫌だあ。大チャンスだ。絶対キスする。いや、キスってどうやってするんだ? そこらで見たことあるからいけるか?)
「エクイテスさん、頭が痛いんです?」
扉が開いた音と、声掛けで、バッと顔を動かした。
「いや全然」
気遣わしげなクリスティーナの唇に視線が釘付け。あれに、触る。あそこに、触れる。体温が上がった気がする。
クリスティーナがベッドに近寄ってきた。手に水の入ったバサンとタオルを持っている。
「風邪と頭痛に効くハーブティーを持ってきます。食欲はあるんですよね? 野菜スープとパンで良いですか? 食べ過ぎると良くないです」
彼女はベッドに腰掛け、バサンを膝の上に置いた。タオルを濡らしている。
「はいどうぞ。熱の汗って気持ち悪いですよね」
タオルを差し出され、小さく頷く。手を伸ばして考える。
「……。ほんの少し怠くて……」
「大丈夫ですか?」
「背中だけ頼んで良いです?」
「はい」
クリスティーナは膝の上に置いてあるバサンを床に置いた。
(自分で言っておいてあれだが、恥ずかし過ぎるな)
背を向けて、シャツのボタンを外す。シャツを脱ごうとして手を止める。傷だらけだ。いつかは見せるとしても……いつか見せるって……見せるのか。そうだよな。
俺は意を決してシャツを脱いだ。クリスティーナが息を飲む音が聞こえる。
しばらくして冷えた手がそっと背中に触れ、体が強張った。
「拭きますね。痒いところがあったら教えて下さい」
「今朝洗ったんで、多分ないです」
冷たいタオルの感触よりも、指先だけ触れているようなクリスティーナの僅かな手の感触に意識がいく。
背中の後に肩や首を拭かれ、タオルが腕に移動したので、タオルに手を重ねた。
そろそろ限界。振り返って、彼女を押し倒したい。深呼吸して「落ち着け。理性だ」と言い聞かせる。
「後は自分で出来ます」
「ハーブティーや食事を持ってきますね」
クリスティーナが俺から離れる気配がした。チラリと振り返る。出入りに向かって歩き出し、こちらに背中を向けている。
背中の古傷をどう思ったのか、分からない。
(触るのが嫌だとか、気持ち悪いとかは無いってことだよな。いや、病人だと思っているから、我慢したか?)
もしも一緒に眠るなら綺麗でありたいので、拭けるところは全部しっかり拭き、靴下を脱いで、ズボンを捲り、足もなるだけ擦った。
流石にズボンを脱ぐのは気が引けたのでやめておいた。靴下を靴の上に置き、シャツを着直す。
バサンをテーブルに運んでタオルを良く洗い、ソファに沈む。ベッドはやはり落ち着かない。
しばらくして、クリスティーナがあれこれ乗せたトレーを持って戻ってきた。
「まあ、寝てないと」
「体を拭いたらサッパリしまして」
クリスティーナは俺の隣に腰掛けた。トレーをテーブルに置く。野菜スープの良い香り。
鼻にまとわりつく血の匂いが消えるとか、食欲をそそられる感覚がするのは、クリスティーナと一緒にいる時だ。癒されるとはこういうこと。
「あと、胸がいっぱいで元気が出ました」
一代決心をして、クリスティーナの体に両腕を回す。見た目より華奢だ。強く抱きしめたら折れそう。
「エクイ、エクイテスさん……」
「こんなに心配されるとか、世話をされることなんて今までなかったので。ありがとうございます」
少し体を離し、クリスティーナの顔を見つめる。鼻と鼻が触れる。若草色の瞳が左右に揺れ、俺を見て、ギュッと閉じた。
彼女の両手が俺のシャツを掴んだ瞬間、俺は更に顔を寄せた。クリスティーナの頬に手を添える。
しっとりとした滑らかな肌。甘い甘い香り。
重ねた唇は想像以上に柔らかくて、美味しい気がして、頭が痺れてプツンと理性が切れた。




