第1話 転校生
九月最初の月曜日。長かった夏休みが終わりを迎えた校舎には、まだ夏の熱気が残っていて、窓から差し込む強い日差しが教室の床を白く照らしていた。
久しぶりに顔を合わせた生徒たちは、海へ行った話や花火大会の話、終わらなかった宿題の話で盛り上がり、始業式前の教室はいつもより少しだけ騒がしい。
秋月遼は、その喧騒から少し離れるように窓際の一番後ろの席へ座り、グラウンドをぼんやり眺めていた。
サッカー部が朝練をしている。
その奥では野球部がランニングを始めていた。
風に乗って吹奏楽部の音が聞こえてくる。
何を見るでもなく外を眺める時間が、昔から嫌いではなかった。
「おはよう」
後ろから声を掛けられる。
振り向くと、榊が眠そうな顔で立っていた。
「夏休み、一回も返信返さなかったな」
「寝てた」
「一か月?」
「たぶん」
「便利な体だな」
榊は呆れたように笑い、そのまま前の席へ腰を下ろした。
他愛もない会話だった。
毎年同じような夏休みを過ごし、毎年同じような始業式を迎える。
高校二年の二学期ともなると、学校生活はすっかり日常になっていて、新鮮な出来事なんてそう多くはない。
少なくとも、この日までは。
教室へ入ってきた担任は出席簿を机へ置くと、一度教室を見回してから口を開いた。
「今日は転校生を紹介する」
一瞬で教室がざわつく。
隣の席同士で顔を見合わせる者。
小さく歓声を上げる女子。
何も言わず姿勢だけ正す男子。
転校生という言葉には、それだけで教室の空気を変える力があった。
「入ってきていいぞ」
前のドアが開く。
その瞬間だった。
教室中の視線が一斉に入口へ集まる。
現れた女子生徒は、一歩教室へ足を踏み入れると、まるでそんな視線に慣れているかのように自然な笑顔を浮かべた。
肩まで伸びた明るい金色の髪。
高い位置で結んだツインテール。
制服はきちんと着ているのに、不思議と目を引く。
派手というより、華がある。
そんな印象だった。
「夏川ひまりです!」
元気な声が教室へ響く。
少しも緊張していない。
それどころか、初めて会う三十人以上を前にしているとは思えないほど堂々としていた。
「よろしくお願いしまーす!」
ぺこりと頭を下げる。
そのあと顔を上げると、また笑う。
その笑顔につられるように教室の空気も和らいでいく。
「趣味はピアノとカラオケです!」
「好きな食べ物はオムライス!」
「あと彼氏はいません!」
「最後はいらない」
担任が間髪入れずに突っ込む。
教室がどっと笑いに包まれた。
ひまりも一緒になって笑っている。
作った笑顔ではない。
自分でも面白くなってしまったような、屈託のない笑い方だった。
その瞬間、遼は思った。
人気者になる。
きっと、この子は。
予想は外れなかった。
一週間も経てば、ひまりはもう教室の中心にいた。
昼休みには女子たちと机を囲んで笑い、体育では男子とも気軽に話し、先生にまであだ名を付けそうな勢いで距離を縮めていく。
誰とでも話せる。
誰とでも笑える。
そんな才能を持っていた。
「秋月くん」
金曜日の昼休み。
弁当を食べ終え、いつものように窓の外を眺めていると、不意に名前を呼ばれた。
振り向く。
ひまりがいた。
「やっと話しかけられた」
「俺に?」
「うん。なんかずっとタイミングなくて」
そう言うと、ひまりは遼の机へ肘をつき、そのまま顔を覗き込んできた。
「秋月くんって、いつも外見てるよね」
「そう?」
「見てる見てる」
「癖かな」
「鳥でも好きなの?」
「いや」
「じゃあ何見てるの?」
「別に」
「変な人」
ひまりは笑う。
その笑い方には棘がない。
人を傷つける笑いではなく、面白いものを見つけた子どものような笑い方だった。
「夏川さんも変だよ」
「え?」
「彼氏いませんって言うし」
「あれ大事でしょ」
「誰に」
「男子全員」
「自信あるな」
「まあね」
胸を張る。
遼は思わず吹き出した。
つられて、ひまりも笑う。
その笑顔を見ながら、遼は思った。
可愛い。
素直にそう思った。
もっと話したい。
もっと知りたい。
そう思うことも、たぶん普通だった。
だから、このときは何も疑わなかった。
その笑顔が、ある日突然、何の前触れもなく消えることを。
そして、自分がその光景から目を離せなくなる人間だということを。




