第七話「回想」
第七話「回想」
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ある夜、私はメモ帳を取り出した。
メモ帳は3冊くらいになっていた。
15年という長さであったが、
思いのほかコンパクトにまとまっていて読みやすいと
自分で感心してみた。
最初のページから、
忠清さまへの自分の意見のところを中心に読み返した。
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「本日、酒井忠清殿と対面。生前、歴史小説や歴史書で読んでいた人物だ。
「樅ノ木は残った」では悪役として描かれていた。
下馬将軍。権力の亡者。だが、目の前の男は。
……思っていたのとは、少し違う気がした。まだ分からない。
もっと観察する必要がある。」
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「私たちの苗字を聞いて、懐かしいと言った。
三百年以上経っても、かつての老中たちの名前を覚えていた。
覚えていたんだな、と思った。
本の中の忠清像と、目の前の忠清殿。
どちらが本物なのか。いや、どちらも本物なのかもしれない。
もっと知りたい。」
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「忠清殿に、先祖に老中はいなかったかと聞かれた。
家柄ではなく、仕事ぶりを見て聞いていた。
本の中の忠清像は、権力と家柄で人を判断する男だった。
だが目の前の忠清殿は、仕事ぶりで人を見る。
堀田正俊の子孫だと告げた時、忠清殿は静かに受け取った。
この人と仕事ができる幸運を、有難く感じている。」
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「作業場で拍手が起きた。忠清殿は輪の少し外から、
皆が喜ぶ様子を静かに眺めていた。あの目が忘れられない。
輪の中にいる者たちを、全員見ていた。
誰一人、見落としていなかった。権力の亡者の目ではなかった。」
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「「映った」という一言で、作業場の空気が変わった。
忠清殿は何も言わなかった。ただ、その場にいた。
翌朝、忠清殿が静かに言った。
「届くものが、見えている。生前、
届かなかった知らせがあった。それが悔しかった。」
この言葉を聞いて、初めて分かった気がした。
この方が黄泉ネットを作ろうとした理由が。
権力のためではなかった。届けるためだった。」
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「誰も帰らなかった。忠清殿も帰らなかった。
部屋の隅に座って、黙って見ていた。何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
生前、誰かにそうしてもらったことがあっただろうか。
……あまり、なかった気がする。」
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「忠清殿に「よくやり遂げた」と言われた。
「お主たちが、下界で終わらせられなかった仕事を持っていることは、
知っておった。だから、見ておった。」
責任感の強い人物。
忠清さまは生前、何に対する責任感で仕事をしていたのだろう。
冷徹な権力者とは、ほど遠い。」
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「忠清殿に「先祖も驚いていると思います」と言った。
忠清殿は「私も驚いておる」と答えた。
その顔が、少し柔らかかった。
あの顔を、最初に見た時は想像できなかった。」
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「忠清殿が田中殿に「お主が最初に使え」と言った。
田中殿が下界への通信を終えた後、忠清殿は何も言わなかった。
ただ、静かにそこにいた。
「黄泉ネットを作って、良かったと思いますか」
と田中殿が聞いた。
忠清殿は
「お主が送れたからだ。それだけでも、十分だ」と答えた。
情に厚い人柄が見られた。」
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「ついに、先祖・堀田正俊のことを聞いた。
「死後の状況はわからんが、堀田が大老になったのであれば、
家綱様を支えたに違いない。」
「自分が役職を解かれたことは関係ない。
対立していたと見えることもあったであろうが、
それこそ合議。堀田はどう思っていたか知らんがな。」
責めなかった。
評価していた。そして、先祖の心の内は知らないと言った。
三百年以上経って、初めて聞けた言葉だった。
本の中には、書いていなかった。書けるはずもなかった。
これが、歴史というものの限界で、そして面白さなのかもしれない。」
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「忠清殿が下界の検索で自分の名前を調べた。
「権力の亡者……私か」と静かに言った。
その顔が、少しだけ傷ついているように見えた。
三百年以上、そう思われ続けていたのだ。
だが、顔が少し楽しそうでもあった。
言いたいことがあると言った。
何かに挑戦するときの顔が、この方らしいと思った。」
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「忠清殿が、下界への書き込みを決める前に、私のところへ来た。
「下界では、私のことがどのような本に書かれておるか、知っているか」と聞いた。
知っていた。こちらに来てからも読み漁っていたから。
一冊ずつ、持っていった。
樅ノ木は残った。福田千鶴の研究書。前橋市史。徳川実紀。綱吉の評伝。
忠清殿は黙って、一冊ずつ読んだ。
「専制的、か」と静かにつぶやいた時、何も言えなかった。
「ここまで書いて、残してくれているのか」と言った時、
忠清さまは少し嬉しそうだった。
読み終えた後、
忠清さまの表情が、戦いに出かける覚悟を決めた時の顔のように思えた。
覚悟を決めたときの顔が、少し楽し気でこの方らしいと思った。」
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私はメモ帳を閉じた。
しばらく、静かに考えた。
最初のメモを書いた時、私の中にあった忠清像はこうだった。
「樅ノ木は残った」の冷徹な悪役。下馬将軍。権力の亡者。
では、今の私には何と書けるだろうか。
仕事ぶりで人を見る男。
黙って見守る男。
合議を信じた男。
三百年経っても、かつての老中たちの名前を懐かしいと言える男。
届けることのために、十五年をかけた男。
そして、先祖・堀田正俊について、評価できた男。
歴史小説はあくまでも小説だった。
権勢を誇った側面は、確かにあっただろう。
だが、それだけではなかった。
歴史書には書けないことが、目の前にいた。
私はもう一度、メモ帳を開いた。
最後の白いページに、静かに書いた。
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「酒井忠清という人物について、私なりの答えを書いておく。
この方は、権力の亡者ではなかった。
少なくとも、私が見た忠清殿は。
仕事ぶりで人を見た。人の苦労を黙って見守った。
合議を信じ、意見がぶつかることを恐れなかった。
三百年以上経っても、かつての仲間たちの名前を懐かしいと言えた。
届けることのために、十五年をかけた。
先祖・堀田正俊について、評価した。
本の中の忠清像は、一つの側面を大幅に脚色したものだった。
目の前の忠清殿は、もっと多くの側面を持っていた。
歴史とは、そういうものなのかもしれない。
切り取られた側面だけが残り、残りは消えていく。
だが、消えたわけではなかった。
ここにいた。黄泉の国で、今も仕事をしている。
この方と仕事ができたことを、有難く思う。
そして、先祖・堀田正俊が、
この方と同じ時代に生きたことを、誇りに思う。」
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私はメモ帳を閉じた。
窓の外に、黄泉の国の白い光が満ちていた。
変わらない光だった。
明日も、この光の下で仕事がある。
それで十分だった。
---完---
酒井忠清という人物を、ご存知のかたはどれくらい居られるのか。
あまり多くはないと思います。
中学の授業では三代将軍からすぐに五代将軍に飛びますし。
それでもご存じの多くの方は、
「下馬将軍」「権力の亡者」という言葉か、
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の悪役として知っているか、
のどちらかではないかと思います。
私もはじめは、歴史書の中の断片的な記述から入りました。
読めば読むほど、疑問が増えました。
合議制を作り、殉死禁止令を整備し、戸籍制度の基盤を作り、
全国の物流網を整えた人物が、なぜ「権力の亡者」なのか。
その疑問が、この物語になりました。
忠清さまのことを知らなかった方が、
この作品を読んで少しでも「調べてみようかな」と思っていただけたなら、
それだけで十分です。
私が調べて、どのような人物なら合議制を重んじる人間になるのかを
考え書かせていただきました。
ファンタジーですが、歴史書には書けなかったものが、ここにあります。
お付き合いありがとうございました。
竹の春と猫




