19.背離《する》が如く旅鳥と留鳥の奏鳴曲《ソナチネ》を奏でる、一揃いの曙光。①
施浴室から当てがわれた宿坊へ戻ったワイルアは、南京錠を解錠する。扉を開けると、そこで立ち止まった。
当たり前だが、中はガランとしている。
ここからハリアカは自分を見ていた。
彼と同じ視点から、同じ物を見られた事が何となく嬉しくなる。
ワイルアは目を細めて微笑むと、扉を閉める。内掛錠のレバーを受け錠に嵌めた。
月明かりを手掛かりに、部屋の灯りを点ける。
持っている鍵と南京錠を壁のフックに引っ掛けると、自分の荷物へ向かった。
スーツケースから折り畳みのハンガーを幾つか出して、それに濡れたタオルと下着を引っ掛ける。
その濡れた物を干せる場所は無いか、室内を一巡して、仕方なく細く狭い窓枠に何とかぶら下げた。
窓にはカーテンも無く、まぁ…丁度良いか、とも思った。
ふと、窓の外を見ると、門の方から二つの蝋燭の灯りが寺院へ向かって来ていた。ぼんやりとした小さな灯りは、二人の僧を暗闇の中、浮き上がらせる。
静かに寺院に消えて行った灯りは、修行僧たちの規律正しい生活を象徴しているかのようだった。
ワイルアは僧を見送ると、毛布を広げる。その下からゴザが出て来た。
(……? これを敷いて寝るのか)
やはり施設の備品は、ゲストハウスの方が整っているし、観光客用に揃えてある。
しかし、これも現地の人々のリアルな生活を体験出来る、と毛布を置くとゴザを絨毯の上に広げた。
「──あぁ、そうだ」
と、カメラの充電器、それから海外旅行用変圧器を取り出す。
コンセントを探すと、サイドボードの下方に隠れるように、二口縦に並んでいた。
そのコンセントに変圧器を差し込む。次にカメラの電池を嵌めた充電器を変圧器に接続した。
これで明日の撮影の準備は出来た。
「──携帯も充電しないとな…」
着ていたベストのポケットの一つから携帯電話を取り出す。
画面を見ると、メールが何件か来ていた。
その中の一件は、写真家仲間からだった。
それを開く。
『おい、ワイルア。今度はどこに行ったんだ? 帰って来たら連絡くれ。』
写真学校の同級生から送られて来た内容は、それだけだった。
ワイルアはニヤリと笑うが、堪え切れず鼻で笑ってしまう。
行き先はいつもと同じ貧困国。
そこで人々の暮らしを切り取っている。
しかし──。
今回は違う。
そう、恋をしてしまった。それも同性に。
ワイルアは携帯電話とノートパソコンを持って、ゴザの上で胡座をかく。
再度ノートパソコンの電源を入れて、今日撮影した写真の確認作業を始めた。
市場の写真から始まり、子供たちの写真。
そして一枚の写真で手を止める。
「──やっぱり、これが今日の一番だな」
タプの樹の下で子供たちに囲まれたハリアカが、カメラに向かって微笑んでいる。
この瞬間の彼は「子供たちのハリアカ」ではなく、「俺だけのハリアカ」だった。
ワイルアはその写真を携帯電話へ転送する。
これでいつでも、何処でもこの写真を見返す事が出来る。
携帯電話に転送されたのを確認すると、ノートパソコンの電源を切る。
そして部屋の灯りを消すと、窓から差し込む僅かな月明かりを頼りに、ゴザの上に横になる。
硬い寝床に眠れるか心配になりながら、毛布を被った。
明日は街へ出て銀行に行って…。
いつの間にか、意識を手放していた。
…ドンッドンドンッ! ドンドンドンッ‼︎
扉を激しく叩かれる音で目が覚めた。
ワイルアは驚いて、飛び起きようと上体を起こす。
「──腰、いってー」
硬い寝床で腰を痛めていた。
その間も扉のノックというには激しい音は続く。
「ワイルアー! 起きてーー‼︎」
扉の向こうから聞こえるこの声はフイだ。
「フイ、まだ寝てるよ」
遠慮がちにフイへ話しかけてるのは、アタアフアだ。
ワイルアは腰を庇いながら立ち上がる。
「ふあぁ…今、開けるよ」
欠伸をしながら、ヨロヨロと扉に向かう。
「鍵、壊しちゃおうぜ」
これはランギだ。
「ダメ! そんな事したら、ハリアカが怒られちゃう!」
「ワイルア、追い出されちゃうよ」
「あはは…そうだよな」
「だから、ワイルア! 早く起きて‼︎」
ワイルアは解錠すると、扉を開ける。
「おはよう…」
まだ眠気が覚めないままに、目の前の三人の子供に挨拶をする。
「おはよう、ワイルア!」
「おはよう‼︎」
「…おはよう、ワイルア」
子供たちはきちんと身なりを整えて、揃いの生成りの布鞄を肩から斜めに掛けている。
「お寝坊さんに朝ご飯よ」
フイの両手には、使い込まれたブリキのワンプレートがあった。まだ湯気が立っている少し茶色の飯と、横に豆と野菜を使った赤茶色のペースト状のおかずが乗っている。
湯気と共に、香辛料の香りがして、ワイルアの腹を刺激する。
「冷めないうちに食べてね」
アタアフアはそう言うと、フイの後ろに隠れた。
「ハリアカがワイルアの分、取っておいてくれたんだ」
ランギが自分の手柄のように、少し自慢気に言う。
「炊き出しのご飯は早い者勝ちだからね」
はい、とフイはワイルアにプレートを差し出す。
「あ、ありがとう…」
まだ半分寝ぼけているワイルアは、プレートを受け取った。
「じゃあ、食べ終わったら、あそこに持って行って!」
フイが指差した方を見ると、大勢の人だかりが出来ていた。
食事を用意している者、順番を待っている者、適当な場所で食事をしている者…。
その中にハリアカは見えなかった。
「──お金は払ってあるから!」
「判ったよ。ありがとう。きみたちは?」
ワイルアは欠伸をしながら三人に問う。
「俺たちはもう食べたよ。今から学校」
ランギが元気良く答える。
「ねぇ、帰って来たら、また写真見せてくれる?」
アタアフアはフイの陰から、遠慮がちに聞く。
「もう、アタアフアはそればっかり」
フイは少し呆れ気味だ。
「だって、まだ全部見せて貰ってないもん」
アタアフアはフイの上着を掴んで、訴えかける。
「ああ、良いよ」
ワイルアは快諾する。
「じゃあさ、じゃあさ‼︎」
ランギが目を輝かせた。
「──夕飯、一緒に食おうぜ。その後に写真見せてよ」
「うーん、良いけど…夕飯は…」
ここで了承しても、この子たちもハリアカも嫌な顔はしないだろう。
しかしワイルアは孤児院の家計事情を察して、言い淀む。
「じゃあ、決まり‼︎」
ランギはワイルアの言葉を最後まで聞かずに、一方的に決定してしまった。
「──それじゃあ、俺たちは学校に行くよ。また後で!」
「夕飯の時間は六時だから‼︎」
フイがそうワイルアに伝えると、三人は手を振って寺院の門へと向かって行った。
ワイルアはプレートを落とさないように持ち直すと、三人に手を振って見送る。
門を出る直前に、アタアフアが振り返り、手を振って来た。
そして、門の外で待っている他の子供たちと合流すると、街を行き交う住人の波に消えて行った。




