第一章 悪役令嬢、殺人事件に巻き込まれますわ!?
――人生とは、いつだって突然終わる。
少なくとも、アリア・フォン・ヴァルシュタインはそう思っていた。
ただし。
「…………死ぬほど眠いですわ」
今朝のアリアにとって、人生最大の問題は
眠気だった。
「昨日何時に寝たんでしたっけ……」
窓から差し込む朝日が眩しい。
柔らかなベッド。
天蓋付きの寝台。
高級そうな家具。
壁に掛けられた巨大な鏡。
そして、鏡に映っている――見知らぬ少女。
長い黒髪。
紫色の瞳。
透き通るような白い肌。
そして、いかにも「お嬢様です」と言わんばかりの寝巻き。
「…………」
アリアは数秒、鏡を見つめた。
「誰?」
当然、鏡の中の少女もこちらを見る。
「…………」
「…………」
「誰ですの?」
もう一度聞いてみた。
当然、鏡の中の少女も口を動かした。
「…………」
アリアは額を押さえた。
「落ち着きましょう」
こういう時こそ冷静さが必要だ。
何かの夢かもしれない。
そう思って頬をつねる。
「痛っ」
夢ではない。
「…………」
もう一度つねる。
「痛いですわ!」
当然だ。
何をしているのだ私は。
「お嬢様?」
扉の向こうから声がした。
「お目覚めになりましたか?」
「……ええ」
返事をしてから、アリアは首を傾げた。
声まで勝手にお嬢様になっている。
おかしい。
何もかもがおかしい。
昨日までの私は――。
普通の会社員だった。
三十歳。
独身。
特にこれといった恋人もいない。
仕事から帰って、コンビニ飯を食べて、録画しておいたドラマを見て、寝る。
そんな、ごく普通のアラサー。
ただし、一つだけ人より詳しいものがあった。
「サスペンスドラマ……」
そう呟いた瞬間。
頭の奥に、昨日までの記憶が一気に流れ込んできた。
その日は姪を預かる日だった。
『ねえ、おばちゃん』
『なに?』
『このゲーム、ここからどうなるの?』
姪が流行りのゲーム機の画面を指差していた。
画面に映っていたのは、金髪の少女。
可愛らしい制服。
魔法。
豪華な学園。
そして、その少女を睨みつける黒髪の令嬢。
『この悪役令嬢、なんでこんなに性格悪いの?』
『それは悪役だからだよ』
『へえ……』
私は適当に相槌を打ちながら、画面を見ていた。
ゲームのタイトル。
確か――。
「『君と恋する魔法学園』……」
そこまで思い出した瞬間。
アリアの背筋に悪寒が走った。
鏡を見る。
黒髪。
紫の瞳。
そして――。
「悪役令嬢……?」
名前が脳裏に浮かんだ。
アリア・フォン・ヴァルシュタイン。
公爵令嬢。
高慢。
気が強い。
口が悪い。
待っているのは――破滅。
「…………」
アリアは無言でベッドに倒れ込んだ。
「最悪ですわ」
前世の自分。
享年三十。
転生先。
悪役令嬢。
死亡フラグ。
「いや、まだゲーム開始前なら、どうにかなるのでは?」
ゲームの内容を思い出そうとする。
「ええと……」
ヒロイン。
皇太子。
生徒会長。
幼馴染。
攻略対象。
魔法学園。
「…………」
思い出せない。
「私、横で見てただけでしたわ」
姪がプレイしているのを眺めていただけ。
しかも途中でスマホをいじっていた。
「攻略対象の名前すら曖昧ですわ……!」
最悪である。
唯一覚えているのは――。
ヒロインが可愛かったこと。
悪役令嬢が嫌な女だったこと。
そして。
「このゲーム、何か変なところで話題になってたような……」
何だっただろう。
思い出せない。
その時だった。
コンコン。
「お嬢様、朝食のご用意ができております」
「今行きますわ」
とりあえず生きる。
破滅しない。
それだけを目標にしよう。
アリアはそう決めた。
――この時は。
まさか自分が。
その日のうちに殺人事件へ巻き込まれるなど。
知る由もなかった。
⸻
◆
魔法学園。
アリアは教室へ向かう廊下を歩いていた。
周囲の生徒たちは、アリアを見ると小声で何かを話している。
「……あれがアリア様」
「相変わらず怖いわね」
「リリアさんにまた何かするんじゃない?」
「最悪……」
「…………」
聞こえている。
全部聞こえている。
「性格悪い設定、ちゃんと引き継いでますわね……」
前世の私は、人から「怖い」と言われることはあっても、ここまで露骨に嫌われたことはない。
だが、今の自分は悪役令嬢。
仕方ない。
むしろ好都合だ。
誰とも関わらなければいい。
そう思っていた。
その時。
「あの!」
明るい声がした。
振り返る。
そこにいたのは――。
桃色の髪。
大きな瞳。
天使のような笑顔。
「リリア……」
名前が自然に出てきた。
ゲームのヒロイン。
リリア・フローレンス。
「おはようございます、アリア様!」
「…………」
なんて眩しい。
目が痛い。
「お、おはようございますわ」
「今日はいい天気ですね!」
「そうですわね」
「昨日の授業、難しかったですよね!」
「そうですわね」
「アリア様は――」
「そうですわね」
「まだ何も言ってませんよ!?」
「あら」
しまった。
適当に返事してしまった。
リリアがくすくす笑う。
「アリア様って、思ってたより面白い方なんですね」
「……え?」
「なんでもありません!」
そう言って彼女は走っていった。
アリアはその背中を見送る。
「……いい子ですわね」
ゲームのヒロインというだけあって、本当に嫌味がない。
これを虐めろと言われても無理だ。
「私は絶対に関わらないようにしましょう」
そう呟いた。
――数時間後。
その決意は跡形もなく崩れ去ることになる。
⸻
◆
昼休み。
校内に、けたたましい鐘が鳴り響いた。
「――緊急事態です!」
教師が廊下を走っている。
生徒たちがざわめく。
「何?」
「事故?」
「誰か倒れたの?」
アリアも教室から顔を出した。
そして。
教師が叫んだ。
「旧図書塔で、生徒が一名――」
一瞬。
教師の声が止まる。
「……遺体で発見されました」
「…………」
空気が凍った。
アリアの胸が嫌な音を立てる。
旧図書塔。
生徒。
遺体。
その単語を聞いた瞬間。
頭の中で何かが繋がった。
「……まさか」
アリアは走り出した。
教師の制止も聞かず。
廊下を駆け抜ける。
旧図書塔へ。
そして。
重い扉の前で足を止めた。
扉の向こうから漂う――鉄臭い匂い。
誰かが泣いている。
誰かが叫んでいる。
そして床には。
赤い血が流れていた。
「…………」
アリアは震える手で口を覆った。
そこに倒れていたのは。
桃色の髪の少女。
「……リリア?」
ゲームのヒロイン。
この世界の主人公。
そして――。
彼女の胸には。
何本もの刺し傷が刻まれていた。
「…………嘘」
アリアの顔から血の気が引く。
その瞬間。
背後から教師の声がした。
「アリア・フォン・ヴァルシュタイン」
「…………」
「あなたに聞きたいことがあります」
床に落ちた血まみれの短剣。
そのすぐ横。
探検を隠すように置かれていた――白いハンカチ。
薔薇の刺繍。
アリア自身のもの。
「これは……あなたのハンカチですね?」
アリアは絶句した。
そして。
前世で見た数々のサスペンスドラマが。
頭の中を駆け巡った。
――第一話。
まさかの。
ヒロイン殺人事件。
長くなりそうですが、どうぞよろしくお願いします。




