第6話
鋼の蟻地獄
職人が、鋭い刃でタバコ葉の端を切り落とした。その正確な手つきは、獲物の息の根を止める外科医のようでもあった。
大統領は、ゆっくりと煙を吐き出しながら、窓の外の夜景に目をやった。
「……競わせるか。欲望に火をつけ、互いに食い合わせる。政治の常套手段だが、それを戦国水軍のど真ん中でやるとはな」
「ええ、大統領。人は、自分だけが特別な宝を握っていると思う時、最も盲目になるものです」
レクトールは、冷徹な響きを帯びた声で続けた。
堺の豪商『海煙』が持ち込んだ、最新鋭「鉄甲船」の図面。
それは蔵人だけでなく、瀬戸内の制海権を争う他の有力水軍――毛利配下の村上水軍や、織田の息がかかった九鬼水軍の耳にも「密か」に届けられていた。もちろん、すべては鯉三郎が放った工作員による周到な種まきである。
「これほどの軍艦を他家に先に造られては、我が水軍の終わりだ」
蔵人は焦燥に駆られていた。海煙から提供された「鉄甲船」の建造。しかし、その設計図はあまりにも精緻で、必要とされる鉄の量も、南蛮大砲の鋳造費用も、一国の予算を軽く飲み込むほど膨大なものであった。
鯉三郎は、蔵人の屋敷を訪れるたびに、甘い毒を注ぎ込んだ。
「蔵人様、お急ぎを。お隣の村上家でも、似たような船の建造が始まったと聞き及んでおります。今、鉄の相場が跳ね上がっておりますが……私が何とか工面いたしましょう。ただし、担保として貴殿の領地の『徴税権』を少々お預かりすることになりますが」
蔵人は迷わなかった。宿敵に遅れを取る恐怖が、冷静な判断力を奪っていた。彼は次々と、先祖代々の領地や港の利権を、海煙という名の幽霊に差し出していった。
やがて、蔵人の領内は地獄と化した。
鉄甲船を造るための過酷な増税。漁師たちは網を捨てて鉄を運ばされ、名主たちは借金のカタに住処を追われた。かつて「水軍の英雄」と呼ばれた蔵人の威信は地に落ち、領民の怨嗟の声が渦巻く。
一方で、鯉三郎が「競合他家」に流した図面は、意図的に欠陥が混じっていた。他家が建造に手間取り、無駄な資金を浪費する一方で、蔵人だけが「本物」に近いがゆえに、最も深く、破滅的な泥沼へと沈んでいく。
ある夜、完成間近の巨大な船体が、月光の下で黒々と光っていた。
蔵人は、その巨大な鋼の塊を見上げ、陶酔したように笑った。
「見ろ、お露。これさえあれば、私は日の本の海の王だ。誰にも文句は言わせん」
傍らに立つお露は、贅を尽くした着物をまといながらも、その顔は死人のように青白かった。彼女の目には、その船が蔵人を、そして自分たちを飲み込もうとしている巨大な墓標に見えていた。
「……あなた、もうおやめなさいませ。あの『海煙』というお方は、何かが……恐ろしいのです」
「黙れ! あの男は、私に天下を運んできた福の神だ!」
蔵人の怒号が響く。
その様子を、港の影から見つめる男がいた。
鯉三郎は、静かにパイプの火を消した。
蔵人の懐はすでに空だ。家臣たちの忠誠も、領民の信頼も、すべて鉄甲船という幻影に注ぎ込まれ、消えてなくなった。
あとは、この「最強の船」を、海の上でただの「巨大な鉄の棺桶」に変えるだけ。
「熟成は終わった。……仕上げといこうか」
鯉三郎の瞳の中で、青い復讐の炎が、かつてないほど激しく爆ぜた。




