ファイル.11
「まてコラーー!」
彼女の叫び声が街の中に響き渡る。網を持って猫を追いかける彼女は、まるで獲物を狩る猛獣のようだった。
「私から……逃げられると思う……な!」
「撮ったどーー!」とともに網の中に猫が入る。そんな彼女を僕はただ追いかけるだけのお荷物に過ぎなかった。
「ありがとうございます! すぐ逃げちゃうんですよハニ丸は……」
「これもお仕事ですからね。まりさんも大変ですね」
捕まえた猫をまりと呼ばれる女性に渡し、話している。まりさんと彼女は前からの知り合いで、聞けば僕が来る前にも一度猫探しに依頼してきたらしい。
「本当大変です。そういえば平山さん彼氏できたんですね」
「え? この人ですか? 違いますよ! この人は私の助手です!」
強く否定された。まあそんな関係ではないことは僕も分かってるつもりだ。少し気まずくなってしまった。
「では、私たちはこれで。行きますよワトソンくん」
「あ、はい」
まりさんに頭を下げ彼女の後についていった。
「周りから見たら私と横山さんってそんな風に見えるんでしょうかね?」
「さあ? 見えるんじゃないですかね? 十九歳と二十三歳だし年相応だし」
「ワトソンなのにね」
一度もそんな話をしたことがなかったためか、彼女は頰を赤らせめていた。僕にとっては彼女は恩人であるし、彼女にとって僕はただの助手でしか思われてない。そんな関係で今は満足……。
「してるのかな……」
「ん? なんか言いました?」
「あ、いえ……なにも」
気まずい雰囲気のまま事務所に着く。鍵を開け中に入ると、固定電話に留守電が入ってるのに気がついた。
「誰だろう?」
固定電話の留守電ボタンを押した。
『平山さんーー! 僕です! 谷口です! 明日そちらに帰ってきますので食事でもどうですか! それじゃ!』
「……」
聞いたことのない男の声。彼女はその声に心当たりがあるのか、深くため息をついていた。
「知ってる方ですか?」
「以前買い物してたら声をかけられたんです。相談に乗ってほしいと言ってたので事務所の電話番号を教えたんですが、それからしつこくこんな電話をかけてきてて……」
いわゆるそれは……
「ナンパ……ですか? 不用心に電話番号を教えるのはどうかと思いますが……」
「依頼かなと思ったんですよ! めんどくさい人です」
呆れた顔をする彼女。そんな顔をただ見ることしかできなかった。
そして翌日。事務所に入ると、男性がソファに座り彼女と話していた。
「横山さんおはようございます」
「おはようございます平山さん。お客さんですか?」
「いえ……この方は……」
少し嫌そうな顔をしていた。男性が立ち上がり挨拶をする。
「初めまして。谷口健介です。失礼ですが、彼女とどんな関係なのでしょうか?」
ああ……この人が昨日の……
「初めまして。助手をやってる横山と申します」
大人な対応をした。見るからに僕より歳下だった。が、どこかで見たことがある。
「ほほう……助手ですか? ちゃんと彼女の役に立てているのか……」
「それは一体どういう意味ですか?」
眉間にシワを寄せにらめつけた。「まあまあ……」と僕と健介を彼女が止める。
「谷口さん。それでご依頼とは?」
彼女に聞かれると、健介は満面の笑みを浮かべた。
「あなたに僕を守ってほしいんです」
「それはどういう意味でしょうか?」
「実は僕。狙われてるんです……」
は? と顔をしてしまった。確かに普通の男性よりは……少なくとも僕よりは力がなさそうには見えるが、狙われるほどひ弱そうな体型ではない。
「つまりボディーガードをしろと?」
「はい! 平山さんに守ってもらいたいのです」
先ほどのふざけたような顔とは違い、真剣な顔をする健介。とりあえず詳しい話を聞くことにした。
「実はここ数日前から誰かに見られてる気がしてるんです。それで怖くなって一昨日から別荘にいたんですが……平山さんに守ってもらえばと思い帰ってきたわけです」
別荘……?
「あ! 思い出した! あなたは谷口財閥の御曹司! 谷口健介!」
目の前の男性は、建築企業である谷口家の一人息子、谷口健介だった。テレビに出ていたのを以前に観た。まさか、そんな人がうちの事務所に来るとは……
「ご存知でしたか」
「って誰ですか?」
彼女は存じてなかった。あれ? と腰を落とす健介。
「まあ、そんな有名な方だと専門の方に守られた方が良いかと思いますが……」
「あなたに守ってほしいんです!」
強く反論をする健介。なにをそこまで彼女にこだわるのか、大体は予想はついた。「分かりました」と依頼を引き受けた彼女は明日の同じ時間に来させるよう健介に言った。なにやら彼女は別件でどこかで行く予定があるそうだ。健介が帰る前に支度をし早々と事務所を出て行った。
「健介さん。あなた彼女に惚れたんですね?」
「なにをバカなことを……。惚れてるに決まってんでしょうが」
意外に素直に答えてきた。少し笑いそうになってしまったが、抑える。
「てか、あなたこそ本当にただの助手なんでしょうか? あの人のこと好きだからここにいるんじゃないんですか?」
「僕はあなたが思ってる人ではないですよ。彼女をそんな風に思ったことは一度もありませんし」
僕の言葉になんとも言えない顔をする健介は、カバンを手に持ち事務所を出て行った。誰もいない事務所で一人。コーヒーを淹れにキッチンへと向かう。
「あの人は僕のことどう思ってんだろう……」
翌日から健介の護衛が始まった。とは言ったものの、二人で食事をしたり買い物に行ったりと護衛らしくない護衛ではあった。一日目が終わり、彼女が帰ってくる。妙に機嫌が良かった。
「見てください! 私が欲しかったブランドのお財布です!」
「良かったですね……」
まるで彼氏に買ってもらったかのような態度を見せる彼女の姿を僕は見ることができなかった。
その後も何日かが過ぎる。が、これといってなにも進展はない。ブランド物や彼女の機嫌が増えるばかりだ。
「平山さん、これって何か意味があるのでしょうか? 狙われてるのは言ってたけど見る限りじゃなにもなさそうに見えますが……」
「確かに。でも、なにもない事が一番良いんじゃないでしょ?」
買ってもらった物を見つめながら答える彼女は、探偵というよりただの女の子にしか見えない。
「物で吊られてるだけじゃないですか! 最近おかしいですよ平山さん! 毎日食事したり買ってもらったりしてるだけじゃないですか!」
「なんでそんなに怒ったんですか? もしかしてヤキモチ?」
「もういいです。先に帰ります。お疲れ様です」
僕は上着を羽織り、逃げるように事務所を出て行った。
狙われてるという口実で彼女を側に置いてる健介を何故か許せなかった。だが、狙われてるなんて嘘だと言えるわけがない。なんとも言えないのが腹立ってしまう。自分の家に帰ると上着を脱ぎ、シャワーも浴びずそのまま寝てしまった。
朝目覚めると、彼女からの着信があった。寝起きのまま折り返し電話する。
「もしもし……おはようございます。どうしたんですか? こんな朝早くから……」
『もしもし。おはようございます。今日はそのまま駅に来てほしいんです』
駅? とりあえず彼女に言われ、九時に町の駅に待ち合わせをすることにした。
駅に着くと、彼女と……健介がいた。
「おはようございます。今日は僕も一緒ですか?」
「いやあね。本当は平山さんと二人っきりが良かったんだけど、平山さんがどうせならワトソンくんも同行した方が良いと言ったから」
「一人より二人の方が良いかなと思いましてね。さて、今日は何処に行かれるんですか?」
二人が並んで歩くのを後ろでただじっと見つめていた。こうして見るとカップルに見えなくもない。むしろお似合いじゃないかとも思ってしまう。
「今日はね。近くの公園に行こうかなと思いまして……わっ!」
健介が急に声を上げる。猫が近くに寄ってきた。
「動物苦手なんですか?」
「猫が嫌なんだ! 小さい時に爪で引っ掻かれたことがあってね。それ以来猫が嫌いになってしまったんだよ! こっち来んな!」
とても嫌そうな顔をする健介とは反対に戯れる彼女。
「そういえば谷口さん。狙われてると仰ってますが、どこでそう思ったんでしょうか?」
「路地裏の道だよ。夜歩いてたら妙な視線が……」
何かを考えている彼女。なにか分かったのか?
「あら?平山さんじゃないですか」
前からまりさんが歩いくるのが見え、声をかけてきた。
「おはようございますまりさん。お散歩ですか?」
「それがね。またハニ丸がいなくなっちゃって……今探してるの」
ハニ丸がいなくなったのか……。正直言えば、こんな意味のない護衛より猫探しの依頼を受けてほしいものだ。
「またですか? 分かりました。では、見つけ次第捕まえてまりさんに連絡いたしますね」
彼女が礼をし去ろうとする。あ……となにを思い出したかのように彼女が立ち止まった。
「この前、ハニ丸がいなくなった時っていつ頃ですか?」
「確かあの時は夕方からだったと思いますが……」
「そうですか。分かりました。では私たちはこれで」
「平山さん! ハニ丸の依頼優先にしましょうよ!」
歩く彼女を止め、説得しようとする。
「ハニ丸ですか? ああ……今回は割とすぐに見つかると思いますよ」
「え?」
彼女の言葉は自信ありげだった。
「谷口さん。夜にもう一度その路地裏に行きませんか? 全てが繋がりました」
ニヤリと笑う彼女を僕と健介は顔を合わせ首を傾げた。
夜の十時。健介が視線を感じたと言っていた路地裏に着く。パチパチと今でも消えそうな街灯が夜の雰囲気をより一層醸し出していた。
「ここに来て何が分かるんですか?」
「もう少しで分かりますよ」
三人は静かに歩き出した。
そして、しばらく歩くと後ろから足音が聞こえてくる。唾を飲み込みゆっくりと振り返った。
「え? ハニ丸……?」
小さい視線の正体。ニャーーと鳴くハニ丸がいた。
「谷口さんが付けてるコロンです。そのコロンは猫にとってマタタビの様な匂いだと思いますよ。だから先ほどの猫も真っ先に谷口さんの側に近づいて来ました」
「視線って猫のことだったんですね。でもなんでここにハニ丸が? 偶然にも程がある……」
「偶然ではありません」
彼女がそっとハニ丸に近づく。ハニ丸は鳴きながらどこかへ走っていった。
「追いかけましょう」
彼女はハニ丸の後をついていく。それにつられて僕らもついていくが、健介は嫌そうな顔をしていた。
着いた場所は知らない人の家だった。
「ここにハニ丸が毎度いなくなる真実があります」
玄関の横に小さい鳴き声をする仔猫がいた。
「ハニ丸の子供です」
「え? ハニ丸ってメスだったんですか?」
驚きの真相。
「はい。最初の頃ハニ丸を見た時、太っていましたが、その次に見た時は痩せていました。それでハニ丸はどこかで出産をしてたんじゃないかと思っていましたが……」
五匹の仔猫がハニ丸に擦りついていた。すると、僕らの声に気づいたのか家の家主が玄関から出て来た。
「もしかして、この猫の飼い主さんか?」
「あ、ごめんなさい。騒がしくしてしまって……」
「それはいいんだが、困ってたんだよ。この猫が出産してしまってて知識もないままずっと立ち会っていたんだが、そうか……ようやく、飼い主が来たか。悪いけど何匹か持って帰ってくれないか? 残りは俺が飼ってあげるからよ」
彼女はすぐにまりさんに電話をかけ始める。事情を話した。すると何十分もしないうちにまりさんが来た。五匹のうち二匹はまりさんが飼い、もう三匹のうちの二匹はそこの家主が。もう一匹は親戚の人がもらうと話がまとまったらしい。
ハニ丸の件を解決させ、まりさんを家まで送っていった。そしてもう一つ。解決させることがあった。
「それでどうしますか? 谷口さんは」
「視線の正体が分かったことだしな……これで平山さんとも会う理由がなくなったわけか……」
偉く落ち込んでいる。
「そしたら平山さん。うちの会社に来ませんか? あんな小さい事務所で働くよりも将来幸せになれますよ!」
健介が突飛な案を言い出してきた。
「大体、あんなボロい事務所に人なんてそうそう来ませんよ。うちで働けば……」
ボゴッ!鈍い音が住宅街に響く。
全てを言い出す前に、僕は拳を握り、健介を殴ってしまった。
「痛っ……なにすんだよ!」
「何も知らないくせにあの事務所をバカにするんじゃねえぞクソガキ。御曹司かなんか知らねえけど、てめえみたいな野郎が口勝手に言っちゃいけねえ場所なんだよ!」
はっ! と我にかえる。謝ろうとしたが、その前に健介が黙って帰ってしまった。
「平山さんすみません! 依頼者を殴ってしまって……」
「いえ、もし横山さんが殴ってなかったら私がやろうとしていました。逆にありがとうございます」
頭を下げる彼女。
「横山さん……」
「はい……」
「私……今改めて思いました……。あなたのこと」
これってもしかして……。
「やっぱり私……あなたを……」
胸がざわつく。
「最高の助手だと思いますよ!」
へ? と口を開けてしまった。ニコッと笑う彼女はスッキリしたかのような顔で帰っていく。
「ほら、行きますよワトソン君! 明日も早いんですから!」
「どういうオチですかーー!」
やっぱり僕と彼女の間には探偵と助手以外の関係はなさそうだ。




