9話
「何? メッセージ?」
「いや、知らない番号」
ユリは車内を指差す。「中で話したら?」
「ありがとう。気持ち悪いから出てみるよ」
拓哉は助手席に入る。恐る恐るスワイプする。
「……」
「もしもし? たっくん?」
「……」
「もしもし? たっくんの携帯だよね?」
聞き覚えがある──もう何十年も聞いていない声だが、一瞬であの頃に引き戻され、取り除かれたはずの塊が少し再生された。
「……どちら様で?」
「どちら様って、あんた」
子犬や子猫を捨てるかのように施設の前に置き去りにした母親だ。直ぐに母親だと分かった自分が許せなかった。彼女のせいで、どんな人生だったか、どれだけのものを失ってきたか、怒りの全てをぶつけたかったが、気づいていないふりをした。“お前”の事など頭の片隅にもなく、思い出すにも数時間かかると──。
「あんたの母親! 唯一の身内! 種子が違う兄弟はいるかもだけどね」
「……」
昔から品のカケラすらない女だ。歳をとって、声も嗄れていて、その品の無さに磨きがかかっていた。
会わずとも分かる──当時はまだ若いから、場末の飲み屋のエースにはなれたであろうが、今はもう見るに耐えない容姿に変貌しているだろう。
「お金貸して」
「……」
ユリは心配そうに外から見ている。ずっと外にいるから指先も悴んできているかもしれない。拓哉は車内に入ってくるように手招きした。
「お金っ! 聞こえてる?」
ユリが運転席に入って来たと同時に、スピーカーに切り替えた。
「たっくん、5万でいいから。貸してよ。返す宛はないけどね」
「……」
ユリが首を傾げている。意味が分からないといったジェスチャーをしながらこちらを見ている。
「番号は誰に?」
「あんたんとこの社長よ。しかしケチよね。あんたの社長」
「借りたの?」
「何度かね。返す宛はないけど」
はらわたが煮えくりかえるとはこの事かと思う。出所してから今日まで、比較的穏やかな日々を過ごしてきた。それはきっと周りの人に恵まれていたからだ。
「消えてくれない? あんたの顔もうる覚えなんだよ」
「母親に向かって何て言い草だい!」
拓哉は車の天井を見る。呆れてものも言えない。ユリも誰と会話してるか悟ったようで、心配そうに拓哉を見つめている。




