『trigger』
「そうか、お嬢さんにそれだけの覚悟があるというのなら、わしがとやかく言うというのは野暮じゃろう。さて、そろそろわしは帰るとするか」
「おじいさんはどこに住んでるんですか?」
猛麻呂の問いに老人はほんの一瞬考えた後、
「住んでいるのはこの東京という街じゃ。この街のどこかにわしはいる」
と答えた。猛麻呂はその姿を見てハッとした。
「乞食……ってことですか?」
「随分とストレートに言うのう。まあ、そうじゃな、わしはこういう身分の方が好きなのじゃ。若い頃は随分とカネを湯水のように使っていたからの。こういうのも悪くないぞ。ヨホホホホホホ!」
どこまでも不思議な人である。
爆発したような笑い方の向こうには、幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた人生の冒険者としての貫禄も垣間見える。
一体この老人は何者なのだろうか?
猛麻呂は1番最初に思った素朴な疑問にもう一度立ち返った。
「おじいさんは『ROOM』とどんな関係があるんですか?」
「もちろん、わしだって特殊能力が使えるぞ」
「ふーん、どの程度のものなのかちょっと見てみたいわね。反動で心臓発作を起こさないでよ(笑)」
美香が意地悪そうに言うと、老人はいささか大げさに首を振った。
「お嬢さん、特殊能力は人に見せつけるものじゃない。本当に必要な時に使うから己の身を助けてくれるのじゃ」
「ふーん。前から疑問だったんだけど、どうして私たちは特殊能力を使えるの?」
「それはまだ分からん。情報班もその事については前々から調べておるが、明確な答えは見つかっておらん。政府もその事について調べているという噂もある」
「どうして政府も私たちの特殊能力について調べてるの?」
「分からん。もしかしたら政府の中にも不思議な力を使える者がいるのかもじゃな」
美香は自分の体を見渡した(胸のところは目をそらした)。
この体に宿る力はいったい何なのだろうか?
「お前、今胸のこと気にしただろ? 貧乳w」
「糞麻呂は黙ってろ」
「はい」
この声はガチトーンだ。言葉が黒いオーラを帯びている。
「ふと思ったんじゃが、我々が使える特別な力を『特殊能力』だとか『不思議な力』だとかいうのは、どうも寂しいというか能がないというかのう、つまらない。何かいい呼び名を考えてくれんか?」
確かに、名前がないというのは不便だ。
仲間と話していてもそれが何の力を示しているのかわからない時もある。それに単純にカッコ悪い。
「『сниться[スィーツァ]』がいいわ。響きも可愛いじゃない」
「なんかパッとしないなぁ。『神に与えられし漆黒の闇を打ち払う希望[ダークリムーバルフォース]』なんかどうだい?」
「病んでる・・・みたいだな・・・」
〈貴夜美のその喋り方の方がよっぽど病んでるわ! 〉と突っ込みそうになったが猛麻呂はグッと堪えた。
貴夜美はちょっと首をもたれた後、自信ありげに口を開いた。
「『trigger』・・・っていうのはどうだ・・・? 我々の人生を変えた引き金・・・この世界を正していく引き金・・・そして闇を払い幸福を導く引き金・・・」
パチンッ 「それがいい!」
猛麻呂と美香は指を鳴らし声を揃えて頷いた。
老人も納得したようにうんうんと頷いている。
「『trigger』か……。なかなか良い響きじゃのう。この事は今日中に情報班へと連絡しておこう」
老人は手のひらに『trigger』と呟くとそこから光の玉を飛ばした。
玉はフワフワと宙を漂い、出入り口から外へと出ていった。
「心臓発作は起こさない。この歳でも特殊能力、『trigger』は健在じゃ。ヨホホホホホホ! どうした? そんな呆気にとられたような顔をして。わしが何者か知りたいのか? 教えてやろう! わしは福山雅治の父親じゃ。見てみろ、わしの顔を。甘いマスクの下に男としての武骨さも兼ね備えているじゃろ? そうじゃろ? じゃろ?」
猛麻呂と美香はキョトンとしたまま硬直した。
この複雑な感情をどう表現していいのかわからない。言葉は万能じゃない。
「それは・・・嘘だ。このお方は・・・秘密組織『ROOM』の創始者であり・・・存在自体がこの組織の最高機密である・・・草薙山須佐男[くさなぎやますさお]殿であるぞ・・・」
2人は驚いて言葉が出なかった。
外はもう夜明けである。
老人は日が昇り始めたのと同時に帰っていった。 本当に不思議な人であった。
猛麻呂はそのままベッドに倒れこんだ。
「貴夜美さん、あのおじいさんはすごい人だったんですね」
「そうだ・・・あの人は人を惹きつける不思議な何かを持っている・・・。あの人の笑顔に勝てるものなんかないさ・・・」
「そうですね。あの……政府の計画はどうしますか……?」
「この国が・・・町が・・・人が・・・苦しむものだとしたら・・・何としても食い止めてみせるさ・・・」
そう言いながら貴夜美は机の上で突っ伏して眠ってしまった美香の背中に薄い毛布をかけた。
美香は心地よさそうに眠っている。相当疲れていたのだろう。そういう猛麻呂も体力の限界だ。
その前に貴夜美に1つ聞きたいことがあった。
「『trigger』っていう名前、よく考えつきましたね。カッコいいです。何からヒントを得たんですか?」
「まあ・・・語感・・・かな・・・。いや、正直に話そう・・・。俺の故郷の町に『とりが〜』っていう風俗店があってだな・・・。『あなたのライフルの引き金を引いてあげる♡』っていうのがキャッチフレーズだったんだ・・・。『trigger』の理由は後付けだ・・・。猛麻呂も・・・ “大きく” なったらその店に・・・“いく” といい・・・!」
猛麻呂は何も聞かなかったフリをして、目を閉じた。