温度差
猛麻呂が目を覚ますと美香と貴夜美はホットケーキを食べていた。
時計を見るともう昼前である。草薙山諏佐男が帰ってからまだ6時間ほどしか経っていない。
まだ眠気は完全に覚めておらず、だるそうに目をこすった。
「おはようたけし!なかなか起きないから先に食べてたわよ」
「だから俺の名前は猛麻呂だ」
猛麻呂はパジャマに着替えることを忘れていたのを今頃気づいた。
昨日の夜に渋谷へ行った時に着ていた、謎の西洋風の衣装のままだ。
改めて見ると、なんと恥ずかしい格好だろうか。 生まれてくる時代と場所を間違えたみたいだ。
「猛麻呂・・・言い忘れていたが・・・今お前たちが着ている派手な衣装は・・・草薙山殿が戦闘用にと送ってくれたものだ・・・。本当はそのときに渡そうと入口の横の棚に置いておいたのだが・・・昨日それを知らない美香が私に言わずに着てしまったらしい・・・。まあ大事にしろ・・・」
貴夜美は口元のハチミツをティッシュで拭きながら言った。美香はペロッと舌を出した。
〈いや! こんなの戦いで着たら目立ちまくるだろっ!〉
猛麻呂は心の中で突っ込んだ。
(その通りだな)
誰だ? 今の声は?
猛麻呂は妙な空耳だと思ったが、特に気にしなかった。
猛麻呂は顔を洗い、VネックのTシャツにジーパンという、いつものスタイルに着替えた。
動き回るのにはジーパンは不向きだが、丈夫だという点ではずば抜けている。美香にいくらボコボコにされても買い替えなくて済むのは好都合だ。
猛麻呂は椅子に座ってホットケーキを食べ始めた。
夜食もなしに夜遅くまで起きていたので腹ペコだ。
「お!かかっているハチミツめっちゃ上手いな!」
「そのハチミツは・・・草薙山殿が作られたものだ・・・あの方は乞食、陶芸家、俳人、そして養蜂家と様々な顔をお持ちだ・・・。このハチミツはあの方いわく “愛の蜜” と言うらしい・・・」
「 “愛の蜜”、 ねぇ……」
猛麻呂は昔見た深夜アニメでそんな言葉が出てきた気もしたが構わず食べ続けた。ふと天井を見上げるとエアコンが熱を帯びながらせっせと涼しい風を作り出していた。それを見て思わず憐れみの微笑を浮かべた。
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男はおもむろにポケットからスマホを取り出すと、軽快に電話番号キーをフリックしていく。
電話帳機能は使わない。電話帳は自分の頭の中にある。
スマホは自分のような若者にとって必須レベルのアイテムだが、スマホに頼りすぎるというのは、自我を失いそうで気に食わない。
人はやはり己で考えてこそ人なのだ。
男は発信ボタンを押した。一瞬の間のあと、耳に乾いた発信音が鳴り響く。
数秒後、応答した声は気難しそうな年期の入ったしわがれ気味の声だった。
「こんな時間に何だ……? 時差というものを気にせんか、若造」
「日本はまだ夜でしたか。これは失礼。老人は朝型が多いっていうのは本当なんでしょうねぇ」
「また減らず口を叩きおって」
老人は吐き捨てるように言ったが、どこか面白がっているようだった。
「アメリカ旅行はどうでしたか?」
「どうもこうも、素晴らしい旅であったよ。向こうの人はワイルド! エキサイティング! 刺激に溢れる旅だった」
スマホ越しに踊るように言葉が男の耳に飛び込んでくる。
男は苦笑いを浮かべつつ、テーブルに並べた赤ワインを一口飲んだ。
「だが、おめぇさんが聞きたいのはそっちじゃないってか?」
老人がいたずらげにほくそ笑んでいるのが電話越しでもわかる。
男が
「あんまり焦らしてると、その間にあんたがポックリ逝っちまうんじゃないかとヒヤヒヤするんだよなぁ」
と皮肉ると、
「なんとでも言え、若造」
と老人は呟いたあと数十秒前よりは真面目な口ぶりで語りだした。
「おめぇさんが考えている通りに、コトは進んだよ。アメリカ軍の手によってすでにアレは出来上がった。実は今それに乗って日本に戻っているところさ。素晴らしい乗り心地だ。まさか、アメリカ軍がこの計画に協力してくれるとはなぁ。アメリカの目的は我々とはちと違うようだ。あやつらは世界のバランスが崩れることを期待している。まあ無理もない。イスラム国の台頭によりこれまでの世界的な地位も危うくなってきたからな。だが、この計画の発案者が今度は敵国で合議していると知ったら怒るだろうよ。ゥワッハッハ!」
老人の笑い声が男の耳にガンガン響く。なんと大きな声か。鼓膜が割れそうだ。
「それは仕方がない。アメリカだけでは数に限りがあるからな。イスラム国にも協力してもらわなければならない。できれば計画は速やかにいっぺんに終わらせたい。モタモタして邪魔が入れば計画はおじゃんだ」
「何言ってんだ、若造が。老人を散々こき使っといて、失敗しました、なんてことは許されねぇぞ。まあ、この計画については国民は誰も気づいてなさそうだ。政治に特に興味が無く黙り込んでるくせに法案が可決されてから騒ぎ出すウスノロ共は扱いやすい。マスコミも圧力とカネを使えばおとなしくしてくれる。飼い慣らせればこれほどの忠犬はいない。計画はうまく最終段階に入れたようだのう」
「ああ……」
男は力なく返事をした。
「どうした、何を弱気になっておる。気にかかることでもあるのか? まさか今さら実行するのが怖くなったとか言い出すなよ。おめぇさんが腹くくってやると言ったからわしらも必死になって動いておるのだ。この計画は日本のあり方を大きく変える。もう後戻りできんぞ」
「俺はこの計画に怖気づいたことなど一度もない。この選択は間違いなく正しい。そう断言できる自信が俺にはある。ただ……この計画に感付きそうな奴を1人思い出した」
「それは誰だ? 若造」
「あんたよりもっと年寄りのジジイだよ。そして因縁深い奴だ。あのジジイは侮れん……」
男は2年前のことを思い出した。あの忌まわしき記憶を。
「大丈夫だ。おめぇさんに勝てる奴はこの世におらんよ」
「そうだな。今回は日本国自衛軍 海軍部隊45,000兵を率いるあんたがついてるからな」
「冷やかすんじゃねえ。そういうおめぇさんは日本国民127,000,000人を率いる日本国首相じゃねえか、なあ、東大 盧舎那[とうだい るしゃな]くん」
老人は小馬鹿にするような口ぶりで言った。男もそれを感じ取り無言の抵抗をしたが、すぐに大事なことを思い出した。
「首相官邸にある世界から最高級のモノを集めた俺の“宝物庫”には俺の許可無しに絶対に入るな、と部下にもう一度伝えておいてくれ」
「はいはい、わかったよ。誰もおめぇさんの部屋なんか恐ろしくて入れねぇよ。ゥワッハッハ!」
しわがれた笑い声を断ち切るように、男は電話を切った。
耳が痛くてたまらない。
男はスマホをポケットにしまい、泊まっているホテルの部屋のバルコニーに出た。アラブの商人にとってかつて此処は休息の地であったのだろう。砂ぼこりの混じった生ぬるい風が肌を駆けていった。




