第二章 調査開始
翌日の放課後、栞を自宅に招いた。
両親は仕事で夜まで帰らない。調査を進めるには好都合だ。
「お邪魔します」
栞は礼儀正しく挨拶し、リビングに上がった。部屋を見回す目が、すでに何かを探している。
「おじいちゃんの蔵書、うちに置いてある。遺品として引き取った分だけど」
「見せて」
蓮の案内で書斎に向かう。壁一面の本棚に、おじいちゃんから受け継いだ本がぎっしり並んでいた。
栞は本棚の前に立ち、背表紙を一つずつ確認していく。
「おじいさんは、本に暗号を隠すのが好きだった?」
「うん。小さい頃、よく謎解きごっこをした。本のページや行を使った暗号とか」
栞が振り返った。目がわずかに輝いている。
「じゃあ、あの数列もそうかも」
蓮は紙切れを取り出した。
『16-1-3 7-2-1 12-3-2』
「蔵書番号、ページ、行数……とか?」
その推理に、蓮は息を呑んだ。
「そうかもしれない。おじいちゃんは本に番号を振ってた。背表紙の内側に」
二人は本棚を調べ始めた。
三十分後、謎は解けた。
16番の本『山岳信仰の研究』。1ページ目の3行目に「吉野」という言葉。
7番の本『近畿地方の隠れ里』。2ページ目の1行目に「久遠」。
12番の本『室町文化論集』。3ページ目の2行目に「北方」。
つなげると──『吉野 久遠 北方』。
「吉野山の北にある『久遠』……」
栞がスマートフォンで検索を始めた。しばらくして顔を上げる。
「久遠集落。明治時代に廃村になった記録がある。今は跡地しか残ってないみたい」
「そこに何かあるってこと?」
「おじいさんがわざわざ暗号で残したんだから、間違いない」
検索結果を見せられた。吉野山系の山奥に位置する小さな集落の跡地。アクセスは困難で、観光地としても整備されていない。
「行こう」
栞は黙って頷いた。
*
次の調査先は神保町だった。
おじいちゃんがよく通っていた古書店がある。『霧峰書店』という小さな店だ。
古書店街を歩きながら、蓮はその名前が引っかかった。
「霧峰書店……霧峰財団と関係あるのかな」
「霧峰財団?」
「葬儀に来てた人が代表を務めてる。御堂圭一郎って──」
「御堂?」
栞の声がわずかに硬くなった。
「知ってるの?」
「……いや、聞いたことがあるような気がしただけ」
首を振ったが、表情には何かを隠している影があった。
霧峰書店は路地裏にひっそりと佇んでいた。
看板は色褪せ、店構えは昔ながらの趣。でも店内は意外と整理されていた。
カウンターの奥に老齢の男性が座っている。白髪を短く刈り込み、眼鏡をかけた知的な風貌。
蓮が自己紹介すると、店主の目が大きく見開かれた。
「藤崎先生のお孫さん……? よく似ていらっしゃる」
「おじいちゃんがよく来てたと聞いて」
「ええ、ええ。先月も来られましたよ。古い資料を探していらして……ああ、そうだ」
店主は立ち上がり、奥の棚へ向かった。
「先生が預けていかれたものがある。『もし何かあったら、この本を探す者に渡してくれ』と」
戻ってきた手には、古い和綴じの本があった。
蓮と栞は顔を見合わせた。
「これを……?」
「どうぞ。先生も望んでいらしたでしょう」
蓮は恭しく本を受け取った。
表紙には『近畿隠里考』と筆で書かれている。おそらく江戸時代後期の書物だ。
ページをめくると、関西各地の「消えた村」についての記録が綴られていた。ある頁に小さな紙片が挟まれている。
『鬼が棲む山の麓、七つの石を数えよ』
また暗号だ。
「ありがとうございます。この本、大切にします」
頭を下げると、店主は穏やかに微笑んだ。
「先生の遺志を継いでくれる方がいて、嬉しいですよ。……ただ」
表情がわずかに曇る。
「お気をつけて。先生が追っていたものは……危険かもしれません」
その言葉は、蓮の心に深く刻まれた。
*
古書店を出た直後だった。
蓮のスマートフォンが震えた。非通知着信。
「もしもし?」
『藤崎蓮くんだね』
知らない男の声。低く、抑揚がない。
「誰ですか」
『君のおじいちゃんは、知りすぎた。調査はそこまでにしておけ』
背筋が凍った。
「何のことですか。あなたは誰なんですか」
『同じ轍を踏まないように。忠告だ』
電話が切れた。
栞が心配そうに蓮の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「脅迫……だと思う。調査をやめろって」
栞の目が鋭くなった。
「つまり、私たちは正しい方向に進んでるってことね」
「でも危険かもしれない」
「それでもやめない」
揺るぎない声だった。
蓮は彼女の目を見つめた。五年前と変わらない真っ直ぐな瞳。でもそこには、以前にはなかった強さが宿っている。
「……わかった。僕もやめない」
栞はわずかに微笑んだ。でもすぐに表情を引き締める。
「家に帰ったら、ポストを確認して。嫌な予感がする」
*
栞の予感は的中した。
帰宅した蓮を待っていたのは、一通の封筒だった。
差出人の名前はない。封筒の隅に見慣れない紋章が押されている。梅鉢に似ているが、中央に霧のような模様が描かれていた。
封を開けると、写真が入っていた。
蓮と栞が神保町を歩いている姿。古書店から出る瞬間。話している姿。
監視されている。
写真の裏に、一言だけ書かれていた。
『深入りするな』
蓮は写真を栞に送った。すぐに返信が来る。
『この紋章、見たことある。お父さんの資料の中で。どこだったか思い出せないけど』
そしてもう一通。
『でもやめないよ。約束したでしょ?』
蓮は写真を見つめた。
誰かが監視している。おじいちゃんの死にも関わっているかもしれない相手が。
恐怖はある。でも、真実を知りたいという思いの方が強かった。
*
その夜、蓮は自室で『近畿隠里考』を読み込んでいた。
江戸時代の文体は読みにくい。でもおじいちゃんから古文書の読み方を教わっていたのが役に立った。
本には関西各地の「消えた村」についての記録が綴られていた。飢饉で全滅した村。災害で埋まった村。そして──理由不明で「消された」村。
気になる一節があった。
『永正年間、某村消滅す。三百の民、一夜にして消ゆ。後、これを語ること禁ず』
永正年間。室町時代中期。
「三百の民が一夜にして消えた」。
蓮はおじいちゃんのメモを取り出した。
『1511』
永正年間は1504年から1521年まで続いた。1511年は永正8年に当たる。
偶然じゃない。おじいちゃんが追っていたのは、この時代の出来事だ。
一体何が起きたのか。なぜ「語ることを禁じられた」のか。
本を閉じ、窓の外を見た。
東京の夜空には星が見えない。街の明かりに覆い隠されている。
でも五百年前の夜空には、無数の星が輝いていたはずだ。その星の下で、三百人に何が起きたのか。
真実はまだ霧の中だ。
でも少しずつ、その霧が晴れ始めている気がした。
*
翌日、学校で。
蓮は授業中もうわの空だった。頭の中は暗号と廃村と脅迫状のことでいっぱいだ。
放課後、栞からメッセージが来た。
『放課後会える? 話したいことがある』
待ち合わせは学校近くのカフェ。
栞は窓際の席でいつものように文庫本を読んでいた。蓮が近づくと本を閉じる。
「待った?」
「ううん。今来たところ」
向かいに座った。
栞の顔色が悪い。目の下に薄い隈がある。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「平気。昨日あまり眠れなかっただけ」
軽く息を切らしながらそう言う。その様子が気になったが、追及はしなかった。
「話したいことって?」
栞がテーブルに一冊のノートを置いた。
「お父さんが失踪する直前に書いてたノート。お母さんに内緒で持ち出してきた」
ノートを開くと、びっしり書き込まれたメモ。歴史用語、地名、人名──そして暗号らしき文字列。
「お父さんはおじいさんと同じものを追ってた。『消された村』と、その背後にあるもの」
「背後にあるもの?」
「まだ全部は読み解けてない。でも……これだけはわかった」
栞がノートの一ページを指差した。
そこにあの紋章が描かれていた。封筒に押されていたのと同じ、霧のような模様を持つ紋章。
「お父さんはこの紋章を『霧隠』と呼んでた」
「霧隠……」
「この紋章を使う組織があるみたい。お父さんはそれを追っていて……消されたのかもしれない」
栞の目に、悲しみと怒りが混じっている。
蓮は黙って彼女の手に自分の手を重ねた。
「必ず真実を見つけよう。お父さんのことも、おじいちゃんのことも」
栞が驚いたように蓮を見た。それから小さく頷く。
「……ありがとう」
声がかすかに震えていた。
*
カフェを出て、二人は次の計画を立てた。
週末に吉野山へ行く。久遠集落の跡地を調査するために。
「電車とバスを乗り継ぐことになる。山道も歩くから、準備は万全にして」
「わかった。装備は任せて」
栞は頷き、時計を見た。
「そろそろ帰らないと。お母さんに心配される」
「送っていこうか」
「大丈夫。ここからすぐだから」
立ち上がり、鞄を肩にかける。
「蓮くん」
「ん?」
「……ありがとう。一緒に調べてくれて」
普段の彼女らしくない温かさがあった。
蓮は照れくさくなって目をそらした。
「約束したからな」
「うん。……約束」
栞は小さく微笑んで去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、蓮は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
*
同じ頃、東京郊外の高級住宅地にある邸宅で。
御堂圭一郎は書斎の椅子に深く腰を下ろしていた。
デスクの上に蓮と栞の写真が置かれている。
「動き始めましたね」
傍らに立つ若い男が報告した。
「藤崎幸造の孫と、白河修一の娘。予想通りの展開です」
御堂は写真を手に取り、しばらく眺めた。
「泳がせておけ」
「よろしいのですか?」
「どこまで辿り着けるか、興味がある。それに──」
御堂の目が冷たく光った。
「証拠を集めてくれれば好都合だ。一網打尽にできる」
「承知しました。監視は続けます」
若い男が退出すると、御堂は窓際に立った。
東京の夜景が眼下に広がっている。
「藤崎幸造。君の孫も、同じ道を歩むようだな」
独り言のように呟く。
「五百年の秘密は、そう簡単には暴かせない」
御堂の手の中で、霧の紋章が刻まれた印章が鈍く光っていた。
第二章 終




