50話 和解
『………………え?』
気付けば、ここは侯爵家だった。
ボロボロの部屋がルーリアの自室。すぐに、これは夢だと分かった。だけど、夢にしては自由に動ける。思わず手を開いたり握ったりしてみたけど、思いのままに動かせた。
(ネオの……作った夢?)
ルーリアの契約精霊・ネオは主人の許可がなくても夢を見させることができるほどに、上達したのか。だが、意味なしで夢を見させるとは思えない。
『あーー』
テキトーに声を出してみる。声に少しだけエコーが掛かっているので、これはネオの作り出した夢の中だ。あの小さな精霊が作り出す夢は、絶対にエコーが掛かっていることを最近知った。
『ここは夢だし、怯えることもない。折角だから探検しようかしら』
鞭で打たれていた時は、全然自分の生家のことを知らなかった。この機に、このセロライハラ侯爵家を探検してみても良いかもしれない。ルーリアの自室のバルコニーだけは、見栄えが良くないという理由で姉と同じくらいにお金を掛けていた。
そんなバルコニーから出て、自室を後にする。
廊下に出ると、そこには使用人がこちらに目もくれず行き来していた。
『あ、あのっ———?』
一人のメイドに手を伸ばすと、その手は宙を舞っただけだった。『え?』と口を小さく開けて、その伸ばした手をグーとする。
(私、透けてる……?)
よくできた夢だ。きっと、一人だけじゃ寂しがり屋のルーリアは孤独感を感じてしまうと、ネオが気を利かせてくれたのだろう。自分が透けてることには気には留めないで、ルーリアは探検をする。
バスルーム、サンルーム、ダイニングルーム、庭園、執務室など、たくさんの部屋を回った後、ルーリアは一つの部屋に辿り着いた。
『ここは………』
扉を開けてみると、それはそれは豪奢な一室があった。これはきっと、姉・メティーチェイアの自室だろう。少し怯えつつも、どうせメティーチェイアが居ても透けていて自分は見えてないのだしと勇気を出して入室した。
『何。夢?』
どうやらメティーチェイアは居るようで、ルーリアは肩をビクッと震わせる。それでも進んでゆくと、そこにはベッドの背もたれにもたれかかっているメティーチェイアを見付けた。
それにしても、メティーチェイアの方もここがどこかと気になっているような雰囲気を纏っていたのだが。
(まさかね。お姉様の自室よ? 昼寝をして、今起きたに違いないわ)
それでも、メティーチェイアと目が合ったのが現実だ。
彼女は目を大きく見開いて、『るー、りあ……?』と呟いた。
『…………はい、お姉様』
『あんた。どうして私の部屋に……というか、私は牢屋にいたはずで………』
『………』
(ネオ。貴女、何てことしてくれるの………)
感情のこもってない笑顔を見せて、ルーリアは内心頭を抱えた。ネオは、メティーチェイアとルーリアの仲直りを望んでいるのだろうか。あまりにも気まずい雰囲気が流れているが、その中でもメティーチェイアは何か考えているようだった。
『ルーリア』
確かめるように、名前を呼ばれる。
『……………はい。なんでしょうか、メティーチェイア様』
お姉様と言うと平良手打ちをされる。夢といえど、もうあの孤独感は覚えたくない。やっと忘れ掛けたのに、今更その孤独を思い出してもデメリットしかない。だからルーリアは、メティーチェイア様と姉のことを他人行儀に言った。
『なんで、神様はこんなことを…………』
『申し訳ございません』
頭を深く深く下げる。
その様子を、メティーチェイアは嘲笑うことも心配することもせず、ただ冷静に、無表情で見詰めていた。何故、平手打ちをしないのだろう。普段のメティーチェイアならば「土下座でもしなさいよっ‼︎」とルーリアの頭を殴るはずなのに。
思わず頭を上げると、そこにはベッドの上に立っている姉がいた。先程までベッドの背もたれにもたれかかっていたのに、いつの間に。
『ルーリア……ルーリアなのね?』
『はい、そうでございます。メティーチェイア様』
また確かめるようにルーリアの名を呼ぶ。その言葉を肯定すると、メティーチェイアは何故か声を荒げた。あぁ、きっと、また何かで怒らせてしまったのだろう。
『なんで、こんなところに私がいるのよ………』
『え?』
姉は何故、涙声なのだろう。メティーチェイアの涙腺が刺激されていて、今にも泣き出してしまいそうだ。彼女はそれを抑えるように、体中に力を入れて涙を引っ込めようと体をふるふると震わせている。
『こんな豪華な部屋、もうわたくしの物じゃない………。牢屋の中、皇太子に色々言い返していても、心の奥底では分かっていたのよぉ………これは、わたくしがルーリアにしてきた償いだと。だから、わたくしは、私は……』
ポロポロと、メティーチェイアの瞳から大きな涙が流れていっている。メティーチェイアは絞り出すように声を震わせ、叫んだ。
『自分の心をわざと入れ替えないで、悪女になっていたのに‼︎』
『…………………』
ベッドの軋む音がルーリアの耳に届いた。だが、冷静ではないメティーチェイアにはそんな音など届かないのだろう。
拳を震わせて、目はうるうると潤んでいる。
『お姉様』
『っ…………何よっ!』
この強気な声音声色も、さっきの言葉を聞いたからか振る舞っていたのだと分かる。そんなメティーチェイアにルーリアは感情がない笑みを消して、冷静にメティーチェイアのことを姉と呼んだ。
『お姉様は、社交場と侯爵家以外、行ったことがありませんよね』
『そうだけど、何っ? 悪い?』
『いえ』
涙を雑に拭うメティーチェイアの姿は、まるで侯爵家で鞭打たれていた自分の姿と重なった。胸がぎゅうっと苦しくなり、言葉を紡ぐ。
『この“夢”は、私の契約精霊・ネオが作り出したんです。なので、この世界には人はいるものの、私たちの姿は見えてない。だから、一緒に外へ飛び出してみませんか?』
『なっ………何を言っているの』
きっとメティーチェイアは、もう己の人生を諦めていたのだと思う。地下でも地震は感じられたのだろう。その地震が、彼女の心を入れ替えさせたいと訴えたのかもしれない。でもメティーチェイアは、自分はルーリアに許されないことをしたと、心を入れ替えないで、悪女を演じたのかもしれない。
そんな姉に、妹は虚しくなった。
(本当はお姉様も、恋をしてみたかったはず。皇太子殿下の婚約者候補だった時、とても熱い視線を向けていたけど、それは恋とは違うものだった)
候補との顔合わせで、ルーリアとロドレームは出会った。だが、その時間はメティーチェイアにとって屈辱的だっただろう。今ならば、あの時の姉の気持ちがよく分かる。自分とロドレームがあの時、廊下で見詰め合っていた時、メティーチェイアはどんな心境だったろうか。そんなの、あの時の自分は考えたことも、想像したこともなかった。
『これは夢の中ですもの。お姉様、城下街に行って、聖女邸にも行きましょう!』
『で、でも夢の中とはいえ、聖域とも言って良い聖女邸に行くなんて………』
困ったように眉根を寄せる姉。
メティーチェイアの性格は随分と変わった。それはメティーチェイア自身も思っていることだろう。良い子になった。それでも、その性格を変えるタイミングが悪かった。
『………現実を突きつけますと、お姉様は数日後に断頭台で死刑です』
『……えぇ、自分のことだもの。知っているわ』
ロドレームに話されたのだろう。彼は、ルーリアを傷付けたメティーチェイアを許していない。たとえ、心を入れ替えたとしても。
ルーリアはベッドに腰掛けて、姉に隣に座るよう促す。するとメティーチェイアは、大人しく隣に座ってくれた。やはり、性根は良い子なんだ。
『その時に、私も見守ることになったんです』
『……………そう、なのね』
これまでのメティーチェイアは、悪女、悪役令嬢。
そんな名前が付いていてもおかしくない令嬢だった。それでもメティーチェイアは自分がルーリアにやってきたことを牢屋の中で振り返って、心を入れ替えたいけど入れ替えたら自分は壊れてしまう。だからいつも通りの悪女を演じて、牢の檻を掴み、ロドレームに強い言葉を言った。もっと、罪が重くなることも承知の上で。
(これが私の考え。………きっと、それは当たってる)
ルーリアが女神の娘だったとしても、メティーチェイアたちは偽りの家族だとしても、姉と妹の関係はどうやっても千切れることのない縁なのだ。
『その時に、お姉様、叫んでくれませんか? ルーリアって』
『え? ……なん、で? わたくしが言う資格など、ないのよ?』
『ありますよ。メティーチェイアお姉様は、私の唯一無二の姉なんですから』
混乱するメティーチェイアの手に、己の手を合わせる。
微笑んで、優しく、優しく言った。
『最初は、お姉様のことがとても苦手でした。正直言うと、「死んで欲しい」という、醜い感情を持っていたのです』
『………っ』
メティーチェイアの肩が跳ねた。きっと、その胸には色々な感情が混ざっているのだろう。そして、嬉しいなどのそう言う感情は、入っていない。メティーチェイアはルーリアに繋がれていない方の手を、自分の左胸に添えた。
『それでも、いざお姉様とお母様が断頭台に行くとなると、怖くて堪らないのですよ。本当に、本当に』
『何故………貴女は、そんなにも優しいのよ』
『優しくなどありませんよ。私は、昔醜い感情を持っていたんですから』
思わずこぼれたような、そんな言葉に、ルーリアは自嘲する。
だが、自分の感情など今はどうでも良い。
『今のお姉様、私は大好きです‼︎』
メティーチェイアは目を大きく見開き、『ありがとう……』と、涙声で、雑に目を擦って、確かにお礼を言った。




