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いつの頃からか、厨房にはピリッとした緊張感がなくなり、以前なら妥協しなかった場面でも「まぁいいか」という怠惰な空気が流れ始めていた。
そんな誇りも責任も感じられない職場に嫌気がさし、優秀だったソース部門のトップが辞めたのは昨日の出来事だ。他の真面目なスタッフも、後に続くかもしれない。
今はまだ表面上問題はないが、いずれ堕落した空気は客席にまで及び、店の評判が落ちるのも時間の問題だろう。
「広輝の意識が変わるといいんだけど」
今の広輝はメディアへの露出が増え、そちらの方ばかりに気を取られて店のトップだという自覚がまるでない。しかしだからと言って、それを咎めるようなことは臆病な七星には出来なかった。
はーっと深いため息をついた時、ノックもなしに食品庫のドアが勢いよく開いた。驚いた七星の肩がビクッと跳ねる。
「あ、やっぱりここにいた」
入口に立っていたのは、爽やかな笑みを浮かべた広輝だった。休憩時間に会いに来てくれたのかと嬉しくなった七星が、木箱から勢いよく立ち上がる。
「広輝がここに来るの、珍しいね。良かったら座って? そうだ、新しいレシピがね……」
舞い上がって一気にまくしたてたが、広輝の背後にもう一人いることに気づき、慌てて言葉を飲み込んだ。広輝の肩越しからプッと吹き出した笑い声が聞こえ、黒髪の美女が姿を見せる。
「広輝に話しかけてもらえて、そんなに嬉しかったの? すっごいガツガツしてて笑える。オバさんの片想いって怖いね」
七星を小馬鹿にしたようにクスクス笑いながら、広輝の腕に自分の腕を絡め、体を密着させた。広輝の方もそれを嫌がるでもなく、美女に微笑み返す。
なんだか嫌な胸騒ぎがして、七星は広輝と美女の顔を見比べながらおずおずと尋ねた。
「れ、麗佳さんまで、こんな場所にどうしたんですか?」




