そんなの馬鹿でもわかります(19)
世界の時が止まったようだった。俺だけがその静止した時間で動くことを許されていた。蹴った地面が爆ぜる。音すら追い越して俺は鎧騎士を切りつける。
雷を帯びた神剣は鎧騎士の左半身を消し飛ばした。
「馬鹿な!!」
少し遅れて鎧騎士の困惑した声が聞こえた。
戸惑うのも無理はない。平均以下の人間がこうも、奴みたいな化け物にダメージを与えたのだ。それも、先程まで取るに足らない羽虫だとでも思っていたような男にだ。音速をも超える、神速とも言うべき雷速の一撃など、あの鎧騎士だって体感したことなどないはずだ。
まあ、メイヴいわく、男であれば味方の危機には光の速度を超えるのが当たり前らしいから、これぐらいは俺にだってできるさ。俺のような下等な人間にはせいぜい、雷の速度が限界だけどな。
理解が追いついていない鎧騎士に構わず俺はもう一度加速し、鎧騎士を切りつける。雷と化した俺の一閃は瞬く間に敵の懐へと到達する。
鎧騎士は今度こそは辛うじて反応し剣で受け止める。ただ俺は勢いそのままにもう一方の剣で鎧騎士の右足をそぎ落とす。自重に耐え切れず、鎧騎士は地面に膝をつく。次の瞬間には右足の回復は始まっていたが、関係ない。
地面を蹴る。加速する。剣を振るう。鎧騎士の一部が吹き飛ぶ。鎧騎士の体が回復する。そしてまた地面を蹴る。この繰り返しだ。何度も何度も何度も、何度でも。奴が倒れるまで俺はこの工程を繰り返す。
無限に回復する鎧騎士を相手に何を無駄なことをしているんだ。そう考える人もいるかもしれないが、俺は確信した。奴は倒すことができる。なぜなら奴は俺の攻撃を防ごうとした。不死身であるのなら、攻撃を防ぐ意味などない。
防ぐ必要があるという事実は、そのまま奴は不死身でないことの証左だ。実際に俺の与えたダメージのほうがあの鎧騎士の回復速度を上回っている。その差異は微々たるものだが、これを積み重ねていけばいずれは奴を倒しきることができるはずだ。
俺の体が持ちさえすれば。
血が止まらない。その出血は傷口からだけのものではない。鼻血と言えば、可愛らしくも、可笑しくもあり、俺らしいとも言えるのだが。目から、耳からも、そして口からも血液は止まらずあふれ出ている。
体の内側に流れる電流は細胞の一つひとつを破壊していく。
全身が軋む。老朽化した橋が馬車の重さに耐え切れず崩落するように、俺の体は今にも崩れ落ちそうだ。それもそのはずだ。本来は一生かかっても太刀打ちできるはずもない、悪魔のような相手を圧倒できる神剣。それを物語において、本来であれば描写されることもないわき役以下の俺が振るおうと言うのだ。
耐えられるはずもない。行使できるわけがない。この体はそんな風にはできていない。それに耐えられる人格も持ち合せていない。
用量、用法をお守りください、だ。
だが、それでも退けない。例え血が全て蒸発しようとも、心臓が鼓動を止めようとも俺はこの剣を離さない。死んでも、俺は彼女との約束は違えない。
彼女の存在価値を証明して見せる。
果ての見えない綱渡りをどのくらい続けたのかはわからなくなり、手の感覚はとうになくなり、手に剣が握られていることを信じ、体を酷使し続けた。
ガクン、と。
ほんの一瞬、左足に力が入らなくなった。その時を鎧騎士は見逃さず蛇竜を俺へと差し向ける。
俺は必死に動かなくなった足を庇いながら、やっとの想いで蛇竜を切り伏せ、残った右足で後方へと跳躍し、距離を取る。
「はは、これはキツイな」
そうするとみるみるうちにあの鎧騎士の傷は塞がっていくのが見えた。その様子は俺の心を折るには十分過ぎた。妄想にも近い希望的観測を打ち砕いた。あのまま行けばもしかしたらと、精一杯の虚勢はもう張ることはできない。
もう剣を振るうことはおろか、立ち上がることすらできない。そんな状況で、完全回復した鎧騎士を相手取るなんてもう無理だ。
「侮っていた。もはや貴様のような人間がここまでやるとは。我が相手として認めるに値する」
「認めてもらって光栄だよ。もう、できることはないけど」
「見事であった。本来であれば使役することすら不可能であった神域魔法を、その断片とは言え再現するとは」
「すごいのは俺じゃなくて、この神剣だよ。いや、凄かったのはネイアだ。そして俺がその全てをダメにした」
「貴様のことは覚えておこう、ではさらばだ。気概溢れる人間よ」
蛇竜の一頭は俺を丸呑みにするべく襲い来る。
まあ、俺にしちゃよくやったよな。
「らしくないですね、キースさん」
蛇竜は鋭利な風の刃によって切り刻まれる。
「頭も、性格も運もあなたは悪かったじゃないですか。それなのに諦めだけが良いなんて、許しませんよ」
大鎌を杖変わりに、頼りなくも自らの足でしっかりと立つメイヴちゃんは、ここからでも逆転の目があるとでも言わんばかりにしっかりと前を見据えている。
「でももう、神剣に残された魔力もほとんど残っていないし、足は一本ダメになってるし、手に感覚もない。全身に力も入らないんだ」
「でも目は見えるし、剣は握れるのでしょう?まだ戦えますよ、キースさん。こうなったら意地です。嫌がらせですよ。勝てなくても良いんですよ、最後まで足掻きましょう。イサギも悪くいきましょう」
「潔いはあっても、イサギ悪いなんて言葉はないんだけどな。まったくメイヴちゃんもそんなに頭良いほうじゃないじゃないか」
でもそうだな、まだ笑う元気はある。足りないものはいくつもあるが、いまここにあるものも確かにある。それに何よりメイヴちゃんが俺を信じてくれている。死んだとしても俺は誰かの期待に応えられる自分でありたい。
いさぎ悪くいきますか。
俺は力の入らなくなった足を支え棒のようにしてなんとか立ち上がる。蹴り足にはできなくても使いようはある。無いのもねだりはしてられない。
「最後まで抗うか、ならばこれで死ぬが良い」
鎧騎士は全魔力を込めて再び『八岐大蛇の侵食』の発動準備を始める。その規模はさきほどの発動の比ではない。下手すれば一撃で城を丸ごと壊滅せしめるだろう。
俺は剣の全魔力循環を開始した。全身が再び軋む。これは比喩表現ではない。筋繊維が切れ始めている。骨のいたるところにも亀裂が入っているだろう。
八岐大蛇の行進から零れ落ちた影のいくつかは狼の形を取り、鎧騎士の敵対者たる俺に襲い来る。
どうする、ここで魔力を開放するか!?いや、まだ十分ではない。この状態では万が一にも勝ちの目を逃すことになる。もう少し、もう少しなのに。
「キースさんは自分の成すべきことに集中してください」
立っているのもやっとのメイヴは再び大鎌を振るい、その影を振り払う。しかし、もうほとんど力も残っていないのだろう。顔から倒れこみ、大鎌も地面に音を立てて投げ出される。
そんなになっても、折れた腕が力なく垂れ下がっていようと、残った腕で、手のひらで地面を掴み立ち上がる。
「メイヴちゃん、、、」
「なんて顔をしているんですか、安心してください。あなたが魔力を練っている間、手出しはさせません」
口ではそんな強気に振る舞いながらも、限界であることは明白だ。手に持つ大鎌は維持することがやっとなのだろう。砂上に描いた絵が風にさらわれるように、その形を徐々に失っていく。
それでも襲い来る影を次々と葬る。嫌がらせだと、悪あがきだと彼女は言った。しかしその眼に決して消えない光が灯っていた。
「他の誰でもない。キースさん。あなたがやるんです」
そしてその眼は俺にそう語り駆けてくる。勘違いかもしれない。都合の良い思いこみかもしれない。そうだとしても、信じてくれる人がいると、そう思えたなら。腕の痛みはもう感じない。
襲ってくる不安など、消え去った。
胸に溢れるのは、敵を打ち倒すという一念のみだ。
「貴様らの奮闘に応え、我も本気で相手をしよう。今回の魔法は先ほどの比ではない」
はったりではない。召喚された八岐大蛇は天全てを覆い尽くさんばかりのものだった。たとえ、その一頭のみが相手だっとしても相殺するのがやっとのような。
「諦めるが良い、恐れるが良い、そして誇るが良い、我に本気を出させたことを」
「諦めるかよ、恐れるかよ、誇ってなんかやるもんか!本気出したらお前なんか瞬殺だっての!」
「よく言った、キース!!」
その瞬間、空を一つの影が駆けた。伝説に聞く、ペガサスとも見違えるそれはしかし、純白の天馬などではなく、双角のバイコーンであった。




