繰り返される『一夜』
皮膚の水分を一気に蒸発させてしまうかのような空気の熱。鼻腔をするどくつく焦げた匂い。そして絶えることのない叫び声と怒鳴り声。
『お前たちは逃げるんだ。ここは私が残る』
家族のために独り襲い来る敵に対して武器を取った父上。数多の戦場で名を馳せた父上だが奴らの備えは万全であった。そいつらは父上の動きを封じて何本もの槍で突き刺す。何度も何度も。
『私はお父様をここで待つわ、きっと追いつくから』
母上。あなたは父上を待ち受ける運命を受け入れることができない美しくも弱い人だった。あなたはそこで変わり果てた父上を残虐にも見せつけられることになる。幸いなことは辱められるまえに気が触れてしまったことだろう。
『俺たちはもうだめだ。お前たちだけでも逃げろ。屋敷の裏側に秘密の逃げ道がある」
兄上。あなたはそこで勇敢にも多くの敵を道ずれにした。しかしその勇敢さ故に怒りを買い、見るも無残な姿が広場でさらされることになる。それに屋敷の逃げ道も既に先回りされていることなど知るよしもなかっただろう。
『兄さま、いやだ。置いてかないで。わたし、わたし、いやあああああ!」
違う。置いて行ったりなどしていない。逃げることに必死だった俺は崖から滑り落ちた。強く握っていたはずの妹の手はいとも簡単にすり抜けていった。奴らに引きずられていく恐怖に染まった妹の顔は今でも瞼に焼き付いている。
シーンが切り替わる。
町の広場、無数の同胞がそこにいた。磔にされたもの。串刺しにされたもの。首を切り落とされたもの。火に炙られたもの。そしてその中心には俺の家族がさらし者にされていた。
そしてそれらを取り巻く興奮しきった奴らがいた。あるものは歌い、あるものは雄たけびを上げ、そして中には大笑いするものまでいた。
何が誇らしい?何が楽しい?俺たちが何をした?俺たちがお前たちにしてきた奉公に対する行いがこれだと?あいつらこそが悪魔でなくして何だというのだ。
ふと気が付くと奴らの姿は一人もいなくなった。代わりに同胞が俺の前に現れた。広場でのあの姿そのままで。
『奴らを許すな』『報いを』『我らが何をした?』『子々孫々まで呪いを』
---ああ、わかってる。俺がその呪いとなろう。
『奴ら、人間に復讐を』
---一人残らず、殺し尽くす。それが我らの悲願。俺が一人生き残った意味である。
『ならばあの女を殺せ。なぜ生かしておく?あの女も我らの敵の一人だ』
----それは。
「起こしてしまいましたか?」
目を開けるとローズが白いタオル片手に俺の顔を心配そうに見ている姿があった。
「今夜もひどくうなされておりました。悪夢の苦痛は私にはどうすることもできませんので、せめて額を流れる汗だけでもと思ったのですが」
「良い。お前のせいで起きたのではない。どのみち目を覚ましていた」
またあの夢か。在り日の光景。あの日のことを忘れるなと俺に同胞が言うようにこれまでに何十回、何百回と繰り返されてきた夢だ。
そうだ、俺はあの憎しみを忘れてなどならない。数年前に魔王軍に加担したときも俺の復讐に利用できると考えたからだ。
魔王の思惑などどうでも良かった。俺はただ人間を殺せさえすればそれで良かった。既に俺の体は俺のものではなく、何か別のものに突き動かされている。
俺の存在意義はあの日に決定した。一面黒く塗られた画用紙にはもはや何かを書き込む余白などない。
「その花はどうした?」
ローズの後方には書物が収められている1メートルほどの棚がある。その上に花瓶が置かれており1輪の赤い花が飾ってある。昨日までは無かったものだ。
「ああ、これはケイトがくれたものです。折角なので置いてみたのですが、お気に召しませんでしたか」
ケイトとはこの都に住む少女の名前だったか。
「最低限の交流は避けられないが、深い関わりは持つな。俺たちがここに居を構えているのはいつ奴らが裏切って襲撃してきても良いようにだ。俺たちの正体が人間に露見してしまっては面倒だ」
闇討ちのような少数の襲撃であれば恐れるに足らんが、多勢であると少し厄介だ。しかし人間の都に多勢で襲いくれば奴らもただではすむまい。
皮肉の策だが、自衛の策として俺たちは人間の都に拠点を置いている。メフィストフェレス、奴だけは信用ならん。奴は俺たちなど使い捨ての駒程度にしか思っていない。
「チッ」
俺はとっさに血を凝固させて作ったナイフを壁に思いきり投げつける。そのナイフ俺の隣の椅子に腰かけていたローズの顔の数センチを通り過ぎ、花瓶近くの壁に突き刺さった。
「それほどまでに気を悪くされるとは思いませんでした。すぐにあの花は片付けます」
「違う、花ではない。全く、奴のことを思い浮かべたことが呼び水となったか。そのナイフが刺さった先をよく見てみろ」
部屋に明かりが灯っていなかったため最初は気づけなかったローズであったが、目が慣れてきたのだろう。それが何なのかを認識し椅子から立ち上がる。
ナイフが貫いたのは壁ではなく1匹の使い魔だ。蝙蝠のような胴体をしているのにも関わらずその頭部には犬のようなものが据え付けられている。こんな趣味の悪い使い魔を使用するのはメフィストフェレスしかいない。
使い魔とは本来、世界に現存している魔物を調教し魔導士が使役するものをそう呼ぶ。奴は好んで造形が歪なものを使役する。奴曰く、「憎き大神オーディンへの反逆を体現している奴ら」なのだそうだ。その意味は理解できるが、賛同はしたくない。
ローズはナイフが突き刺さりもはや生命活動を停止いたソレの足に装着されていた筒の中から小さいメモ用紙のようなものを取り出した。恐らくはそれに今回の要件がしるされているのだろう。
「メフィストフェレスの奴め。ティルナノーグで飛王竜を討伐して以来連絡をよこさなかった奴が今更何の用事か」
巻物のように収納されていた手紙を伸ばし内容を確認する。その手紙の内容は寝起き間もない俺を目覚めさせるには十分なものだった。
「手紙には何と書いてあったのですか?」
俺の興奮が伝わったのか普段は手紙の内容になど興味を示さないローズが尋ねてきた。
「遂に本格的に動き出すことになるぞ。今までのような小規模襲撃ではない。聖戦での残存戦力、装備の準備、そして邪王復活の手筈。それら全ての見通しがたった。俺たちにも新たな戦地での任務が言い渡された」
この時をどれほど待ちわびたか。一族の恨み、そして聖戦での雪辱。その全てを晴らすまたとない機会。メフィストフェレスの奴が何を企んでいるかは知らんが精々好きにやらしてもらうとするさ。
「ローズ、俺たちは国境を越え南下する。グラズヘイム国が治める領土へと向かい、そこで対抗戦力殲滅の任につく」
「承知いたしました。出発はいつにいたしましょう、ルガト様?」
「時間が惜しい、準備ができ次第今日のうちにでる」
今度こそ失敗は許されない。俺は拳を強く握る。




