初めて竜を退治します。(7)
シャリシャリシャリ‐‐‐
ぼんやりと意識を取り戻していく中で、何かがナイフでリズムよく切られていく音が聞こえた。
シャリシャリシャリ‐‐‐
ほどなくしてそれがリンゴを切る音だと気づく。誰かが俺の隣でリンゴを剥いている。
「ん、うん」
目を開けるといつもの見慣れた木目の天井が見える。どう見ても鼻の長い老人にしか見えないあの木目を見間違えるわけがない。いつの間にか俺は自宅の寝室に運び込まれていたようだった。
「お目覚めのようね」
リンゴの皮を小気味良く剥いていた人物から呼びかけがあった。なんとなく検討はついていた、というよりそうであったら良いという希望的観測だったが、声を聴いてエルザであることが分かった。状況から推測するに俺を心配して見舞いに来てくれたのだろう。そう思うと素直に嬉しかった。
シャリシャリシャリ‐‐‐手に持つナイフは果物を切るには少々物騒な気もするが、教会の儀式用の短刀でも使っているのだろう。
[様子を見に来てくれたのか」俺は体を起こそうとしたが「まだ、そのまま寝ておいたほうが良いわ。お互いのためにね」と進言があったため、寝返りを打つような形でエルザのほうへ体を向ける。
お互いのため?
その言葉の真意はわからないが俺の身を案じてくれているのであれば、その言葉を拒む理由もない。素直に従うとしよう。
「あれからどうなったんだ?」マイラと話していた間にいつの間にか家に運び込まれているようであるが、結局あの後ジークは落ち着いたのだろうか。
はっとして右頬を撫でる。ガーゼが当てられており応急処置のあとであることが分かる。触っても痛みを感じず安堵する。
「心配しなくとも軽い擦過傷程度よ。流石のお父さんもあれだけ封魔の加護に囲まれては満足に魔法を発動することができなかったのね。音こそ派手だったけれど威力はほとんどなかったわ」
シャリシャリシャリ---
手元のリンゴに視線を落としながらエルザは淡々と説明してくれた。
「ジークは一体どうなったんだ?」
「お父さんなら今は広場にいるわ。あれから私が誠心誠意、懇切丁寧にエリックがこの村の防衛にどれだけ貢献してくれたかを説明したら落ち着いてくれたわ。そのあとに体力に余裕のある騎士団の方々の力を借りてエリックをここまで運んであげたのよ。騎士団の方にはあとでちゃんとお礼を言うのよ。お父さんならもうしばらく広場にいるようだから、用事があるならあとで行きなさい」
服も朝の外出着から部屋着になっているところを見ると着替えまでしてくれたのだろう。これはネグリジェという貴族の寝間着だったか?騎士団の誰かが貸してくれたのか、とても良い着心地である。何とも親切な対応だろうか。これは後程お礼をしなくては。
窓から差し込む日差しの角度から判断するにもう昼は過ぎてしまったらしい。そうすると4時間近く気を失っていたことになるわけか。
「騎士団の様子はどうなんだ?結構こっぴどくやられていたようだったが」
「全員大事無かったわ。というより、そうならないように加減されていたという感じね。一見我を忘れているように見えても意外とそこら辺の分別はついていたという訳よ。騎士の方々はすぐにあの後全員復帰して今頃は見回りやら武器の整備などに取り組んでいたわ」
なるほど、どうやら一線は超えていないようだが、それにしても迷惑すぎる八つ当たりということだったのだろう。
「大目に見てあげて欲しいところね。可愛い一人娘が自分の知らない間に命を落とすところだったのだもの。父親としては顔面蒼白になるところでしょう」
「お前が自分のことを可愛いといったところは大目に見てやるが、それ以外のところはダメだ、大目に見ない」
「そう、厳しいのね。さすが『人に厳しく自分には優しく』を人生の標語に掲げるエリックだわ。」
「そんな厚顔無恥な標語を掲げた記憶はない。どっちかというと『人に優しく自分にも同じくらい優しく』だよ」
人に厳しくした手前、自分も同じくらい厳しく接さないと何か居心地が悪いだろう。自律の精神というより単純に周りの視線に耐えられない。他人の遅刻を糾しておいて、次の日に平然と遅刻してくる奴の精神が分からない。
人に優しくするから、俺にも優しく接して欲しい。ちなみにエルザには優しく接しているつもりだが彼女から優しく接してもらったことは数えるほどしかない。いつか、優しさの総決算セールでも行われないものか。
『恩を仇で返す』がエルザの人生の標語なのではないかと穿ちたくもなる。
「他人の欠点を指摘するということは、その点に関して自分の行動にも責任が生じてしまうということね。ともすれば他人の行動を糾すことができるのは聖人君子か傍若無人のどちらかということになるわね。何かに巻き込まれたとしても気軽に相手に責任をなすりつけることも難しいということかしら」
「そもそもがどちらかが一方的に糾弾されるというのはあり得ない。どんな状況にしろ、どんな被害者にしろ、その結果に至る因果関係が何かあるはずなのだから。そして何より、自分にも落ち度があったと考えなければ、同じ失敗は繰り返される」
つまずいた石を責めるより、つまずいた自分を改善するほうがよっぽど建設的で救いがある。石はどこにでも転がっているのだ。
「ということは今回のお父さんの一件も、一方的に暴れたお父さんのみならず、そうなる原因を作った私たちにもその責任はあるということで良いのかしら。なんだかんだ言いながらもお父さんのフォローをしてくれるのね。嬉しいわ」
そんなつもりはなかったが、まあそういうことにしておこう。俺に対しては普段からああだが、俺以外には思いやりある行動を取り信頼を集める牧師なのだ。今回の一件もそんなジークが相手を選ばず当たり散らすことになった要因があったのだろう。それは、もしかしたら先日の村からの外出に関係することかも知れない。
「それに先日、女性の水浴びを覗こうとしたキースが『この村の女性が美しすぎるのが悪い!罪な方々だぜ』と言い訳していたけれど、それも一理あるということが証明されたわね」
「それは一方的にキースが悪い」
もろもろの軽罪も含めてそろそろ無期懲役で良いんじゃないか。そんな言い訳を認めることこそ百害あって一利なしである。
「まあ、なんにしろ。エリックがどんな時でも自分の責任を追及し、必要とあらば反省することができる人間だということが分かって安心したわ」
シャリシャリシャリ---
エルザはリンゴを切るその手を止めない。
「エルザ、ずっと気になっていたんだがいつまでリンゴの皮を剥き続けてるんだ?俺のために皮を剥いてくれているのは嬉しいんだが]
皮どころか果実まで剥き続けている。芯を残して皮と果実が一続きの帯となり果てている。
「エリックのために?ああ、最初は確かにそのつもりだったけれど今は違うわ。私がこのリンゴを切っているのは刃物の切れ味を確かめていたのよ。刃こぼれの有無や切れ味が悪い部分は無いか確認するためにね」
ぞっとした。
そう話すエルザの言葉に冷気を感じた。有体に言うと殺気を孕んでいる。
「そうね、どんな時でも自分の失敗から目を背けないエリックだもの。これから聞くことにも嘘偽りなく答えてくれるのよね」
「ヒュゥン」---先ほどまでリンゴを切っていたナイフはエルザの手の上で華麗に持ち変えられ‐‐‐「パシッ」---エルザはそれを俺に向けるように構えた。
妙に手慣れたナイフ捌きである。
何だ?俺の知らないところで暗殺業でも営んでいるのか?シスター兼魔導士の設定はいつからアサシン兼魔導士になったんだ?
逆手持ちとか刺突に特化した持ち方だぞっ。
「な、何だ?一体何の話をしているんだ。俺は何も疚しいことはしていない、お前にそんな視線を向けられる筋合いはないぞ!」何かもう、ゴミくずを見る目なんだが。その目で見られる心当たりは無いのだが‐‐‐‐否、既成事実なら俺の後ろにあった、というより寝ていた。
「------スゥ」
集中しなくては決して聞き取れない、命の危機に過敏となった今だからこそ感じられるぐらいに潜められていた寝息にやっと気づく。
俺は反射的に上半身をその寝台から起き上がらせ、同時に俺の後方を見る‐‐‐‐
そこには黒く艶やかな長髪と、それとは対照的に白くきめ細かい柔肌を持ち合わせる一目で美人とわかる仙姿玉質の女性が寝ていた。
「何でっ」
エルザは冷静を保ちながらも、目の奥には何か燃えるような感情を宿し、恐らくはずっと我慢していた問いを俺に投げる。
「何でエリックとシルビアさんがお互いネグリジェで同じベッドで寝ているのよっ!?」




