第一話 「黒雨の東京」
黒い雨が、崩壊した東京を静かに濡らしていた。新宿外縁部――《崩壊区域》。かつて無数の人々で溢れていた街は、今では瓦礫と闇に支配されている。倒壊した高層ビル。放置された車両。ひび割れた道路の隙間からは黒い水が流れ、腐った鉄の臭いが空気に混じっていた。
神城レンは、崩れた高速道路の上をゆっくり歩いていた。黒いコートの裾が雨に濡れ、右手に握られた大型拳銃から冷たい水滴が落ちる。
「……静かすぎるな」
耳元の通信機からノイズ混じりの声が響いた。
『レン、聞こえる?』
「ああ」
『新宿第七码区域でノクス反応を確認。数は不明。気をつけて』
「了解」
短く返し、レンは周囲へ視線を向ける。暗闇の奥。崩れたコンビニ跡の中で、何かが動いた。
ぐちゃり。
水を踏むような音。
レンは拳銃を構えた。
「……いたか」
次の瞬間、黒い影が飛び出した。
裂けた口。異常に長い腕。全身を這う赤黒い血管。人間の原型を辛うじて残した怪物――ノクス。
咆哮と共に飛びかかってくる怪物へ、レンは躊躇なく引き金を引いた。
轟音。
特殊弾がノクスの胸部を撃ち抜く。怪物の身体は吹き飛び、瓦礫へ叩きつけられた。
だが、それでも終わらない。
黒い肉が蠢き、裂けた身体が再生していく。
「……相変わらず化け物だな」
レンが舌打ちした瞬間、背後を銀色の影が駆け抜けた。
「ユア!」
白鐘ユア。銀髪の少女は地面を砕く勢いで加速すると、一瞬でノクスの懐へ潜り込む。小柄な身体から放たれた蹴りが怪物の腹部へ叩き込まれた。
爆発音のような衝撃。
ノクスの巨体が宙を舞う。
しかしユアは止まらない。赤い瞳が淡く光り、その右腕が黒く変質していく。皮膚が裂け、鋭い爪が形成される。その姿は、人間よりも怪物に近かった。
「――終わり」
振り下ろされた一撃がノクスの身体を真っ二つに裂く。黒い血が雨に混ざり、怪物は灰となって崩れ落ちた。
静寂が戻る。
レンは拳銃を下ろし、小さく息を吐いた。
「だからその力、人前では使うなって言ってるだろ」
「ここ、人いない」
「そういう問題じゃない」
ユアは無表情のままレンを見上げる。
「レン、怪我してる」
「かすり傷だ」
「血の匂いする」
「お前は犬か」
その時だった。
通信機が激しく鳴る。
『レン!! 今すぐ撤退して!!』
「何があった!?」
『超大型反応を確認! Phase4クラスよ!!』
直後、地面が揺れた。
遠くで爆発音が響き、高層ビルが崩れ落ちる。レンとユアは同時に顔を上げた。
崩壊したビル群の奥。闇の中から、巨大な影がゆっくり姿を現す。
ビルより巨大な黒い肉塊。全身に浮かぶ無数の赤い眼球。蠢く触手がアスファルトを砕きながら進んでくる。
「……冗談だろ」
レンの額を冷たい汗が流れた。
そして、その怪物の肩の上に、一人の男が立っていた。
黒いロングコート。口元に貼り付いた笑み。狂気を宿した赤い瞳。
男は雨の中、ゆっくりと両手を広げる。
「こんばんは、東京の生き残り諸君」
静かな声だった。だが、その声は崩壊した街の隅々まで響いた。
「今夜、この街は終わる」
次の瞬間、東京全域に警報音が鳴り響く。
赤い警告灯が夜の街を照らし、空気を裂くようなサイレンが降り続ける雨と混ざり合った。
レンは拳銃を握り直す。
巨大な怪物。
謎の男。
最悪の予感が胸を締めつける。
ユアが小さく呟いた。
「……来る」
直後だった。
怪物の無数の眼球が、一斉にレンたちを見下ろした。




