1.卒業旅行の筈だったのに
女子大生の日常が突然こんなことになりました。
遠くにいたスーツの男が振り向いた拍子に目が合った。
「Fermo! Hai visto!」
男が何か叫ぶ。海外旅行中なんだから何を言ってるかわからない現地の言葉だ。
何故か男たちは大勢で走ってくる。
「え? え? えーー?」
沙希は逃げ出した。捕まってたまるか。なんとなく理解した。これはいい訳なんて通用する相手ではない。捕まれば殺されて、誰にも気づかれず、処分されて終わりかもしれない。足は速い方だった。陸上部で鍛えた足が最も意味を持った瞬間だった。
走った。ハチャメチャに走った。道なんかどうでもいい。とにかく逃げよう。
命の危険を感じてめちゃくちゃに走った結果、沙希は海に出てしまった。
「詰んだ......」
(もう逃げるところなんてない。どうしよう)
どんな旅行ガイドにも載ってそうな風光明媚な海辺の景色だ。
(なんて水の透明な海なの。きれいな青!! もっとゆっくり見たい。んん)
(なんで、せっかくの卒業旅行でこんなことになっちゃうかな? ジェラートが食べたかっただけなのに)
自分の間の悪さを呪う。
(あきらめてくれないかな?)
ちょっと振り向いてみる。......いる。走ってくる。
「なんでよっ! 誰にも言わないわよ! 見逃してよ! それにだいたい私、あなたが誰かも知らないのに誰に何を言うっていうのよ!」
沙希のそのまっとうな願いは聞き届けられることもなく、追手は止まらない。
「日本語で文句言ってるせい?そんなの知らないわよ。スマホの翻訳機能で文句言うの?......ないわね」
もういよいよ逃げるところがなくなった。泳いで逃げるには適当な島も特にないし、溺れるだけなのは目に見えている。
「どうしよう?」
困り果てた沙希の目に入ってきたのは何故か海の中へと入っていく螺旋階段。
「うそ、何のための階段?」
何でそんなところに螺旋階段が設置してあるのかしらないが、それを降りればただ溺れるとしか思えなかった。
「遺跡? 綺麗な景色だけど、どういうこと? 行ってみる? 捕まるよりマシよね? いざとなれば泳いでやる」
海の水はさぞや冷たいだろうと思って恐る恐る一歩踏み込んでみる。
「あれ?濡れない」
沙希の周りは空気の玉に囲まれていた。沙希が動けば玉も動く。
「息もできる......」
空気の玉の向こう側では、色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいる。
(なんか水族館みたいな風景ね。水中ウォーキングって言った方がいいか)
沙希は濡れないことで気が大きくなって、その金属でできた螺旋階段を靴音をカンカン言わせて降りていく。
上の方では「自分から死ぬのか」だの「もうこれじゃ助かるまい」だの男たちの声がくぐもって聞こえてくる。
「生きてるわよー。ぴんぴんと」
咄嗟に答えて「あれ?」と思う。
(なんで日本語? さっきは現地の言葉でなんか言ってたじゃない。急に日本人になるわけないし。どういうこと?)
下まで降りた沙希はさらに妙なものを見つける。
「何これ?」
怪訝な顔の沙希の前にはドアがあった。
「は? 海の中にドア? これ開くの?」
それは沙希を包む空気の玉の外にあり、岩肌にくっつくように設置され、水の中でゆらゆらしていた。
「普通水中にドアがあったら開けるの大変よね? 意味わかんない。開けろってこと?」
このとき。
ちょっとだけ沙希が普通の精神状態だったら......
「海の中の岩にドアがある」って、おかしいってことに気が付く筈。
でも残念なことに沙希は普通の精神状態などではなく、「逃げるためならなんでもする」状態だった。
果たしてノブに手をかけた沙希にドアは待っていたかのようにするすると開いて、温かい風で沙希を包んだ。
ドアの中は花が飾られ、お香を焚いたようなとてもオリエンタルないい匂いがして、蝶々がひらひら飛んでいた。
そして、目を真ん丸に見開いた、立派な身なりの男が立っていた。呆然として。沙希もびっくりする。同い年くらいだろうか。
暫く見つめ合う二人。
とはいっても、それは甘い雰囲気でも何でもなく......
ただ時が止まったように。
やっと口が利けるようになったのか、男は一言言った。
「お待ちしていました」
その意味を理解するのを、沙希の頭が一瞬拒否する。全ての時間が止まった。
「え? え? えーー? 何で日本語? お待ち? 何をお待ちしてたのーー?」
ご無沙汰しております。
新しい連載を始めます。
前作とはかなり違ったテイストのお話になりました。
既に全話書き終わっております。長さも全10話と短めになっております。




