5話 夜会準備
「奥様?覚悟はよろしいですか?」
「え、ええ、もちろん……でもそこまで気合を入れる必要があるかしら?」
アメジストにとって、久しぶりの華やかな夜会とはいえ、リディアの尋常ではない熱気に、私は少々戸惑いを覚えていた。
大好きな恋愛小説の世界の貴族に転生したの だから、せっかくならば貴族らしいことをしてみたいと思ってはいたが、パーティー1つでここまで大変な準備があるだなんて、この時の私は夢にも思わなかった。
気合を入れたリディアにより、入浴から始まり、念入りなマッサージ、そして時間をかけた丁寧なメイクまで、朝から晩まで文字通り振り回された。
まるで、これから戦にでも赴くような徹底的な準備だった。
「ねぇ、本当にこんなマッサージをして効果があるの?それにここまで念入りにしなくても良いんじゃないかしら?」
「何を言っておられるのですか?!夜会は、女性にとって戦場も同然な場所なのですよ!奥様は国内一の大富豪、エーデルシュタイン伯爵の娘なのですから!当然、誰よりも美しくなければいけませんわ!」
リディアの言葉には、並々ならぬ情熱が込められていた。
「いや、今の私はブレンシュタインの公爵夫人なんだけど?」
「ですが、奥様はそれでもエーデルシュタインの直系の子孫なのですよ?!当然、誰よりも綺麗でいることは義務にも等しいのです!」
リディアの強い信念が、ひしひしと伝わってくる。
リディアの丁寧なケアを受け、実家から大切に持ってきた、深い青色が私の瞳の色を際立たせる青いドレスと、月光のように静かに輝くサファイアの首飾りを身に付け、準備は整った。
鏡に映る自分の姿は、見慣れないほどに華やかだった。
ここまでする必要があるのかと疑問な工程もいくつかあったが、私はオシャレには全く疎いため、彼女にされるがままだった。
今はただ、リディアのセンスと美意識に縋るしかない。
(……はあ、なんで夜会の準備ってこんなに大変なのかしら)
社交界の華やかさの裏には、想像以上の努力があることを思い知らされた。
「はあ、はあ……な、何とか間に合いましたね」
リディアは肩で息をしながら、達成感に満ちた誇らしげな顔で私に笑いかける。
その笑顔には、安堵と喜びが入り混じっていた。
「はぁ……パーティーの準備って、こんなに大変なのね」
改めて、リディアの技術力に頭が下がる思いだ。
本来であれば複数の侍女が肌や髪の手入れ、ドレスやアクセサリー、靴の準備をするのだが、生憎今の私には侍女がリディアただ1人しかいない。
その為、全ての工程を彼女1人に任せっきりになってしまったのだ。
しかし彼女は匙を投げることも無く、完璧にパーティーの準備をし、私を完璧なレディへと変身させてくれた。
私は改めて彼女の存在に感謝し、いつか恩返しをしようと心に決めた。
「さぁ、奥様、ぜひ鏡を……」
リディアが鏡を見るよう促した時、突然部屋の扉が開く。
そして、扉の隙間からエレノアがひょこりと顔を覗かせた。
「あらまぁ、お嬢様、そんなに慌ててどうなさいましたか?」
「お母様に会いたくて……お部屋に入っても良いですか?」
彼女は私にキラキラとした無垢な瞳を向ける。
「分かったわ。いらっしゃい」
「ありがとうございます!失礼します!……わあ、お母様とっても綺麗!」
エレノアは私を見るや否や、パアッと瞳を輝かせる。
「そう?そう言ってもらえると凄く嬉しいわ。……でも、いきなり来るなんてびっくりしたわ」
「ご、ごめんなさい。でも、どうしてもお母様に、会いたかったんです……」
そう言って俯くエレノアを注意することは不可能で、結局私は化粧が崩れないように優しく彼女を抱き締めた。
「……嬉しいことを言ってくれるわね。私もあなたに会いたかったわ、エレノア」
「本当ですか?えへへ、お母様と同じ気持ちだったなんて、凄く嬉しいです」
そう言って笑うエレノアを見て、私は安堵した。
今日は、夜会なのでエレノアを残して行かなければいけない。
もし私がいない間にエレノアに何かあったらと思うと心配で堪らなかったが、それでも今回の夜会に参加しないわけにはいかない。
何故なら、これはクリスチャンの命令だからだ。
そして、この機会を逃せば次実家と連絡を取れる機会はない。
ならば、娘が心配でもこのチャンスに賭けるしかない。
「……ねぇ、エレノア。今日の私はどうかしら?あなたの母親に相応しい装いかしら?」
私がエレノアに問い掛けると、彼女は首をブンブンと縦に振り、口を開いた。
「当然です!お母様は世界一綺麗です!ドレスも、お化粧も、アクセサリーもとっても素敵ですわ!」
「本当?嬉しいわ。あなたに褒めてもらえて、少しだけ元気が出たわ」
エレノアの頭を撫で、改めて鏡の前に立つ。
そこには、転生したばかりの弱々しいアメジストの姿はなく、凛とした薔薇のように気高い美女が立っていた。
「……私って、意外と容姿が整っているのね」
私がそう小さな声で呟くと、リディアがギロリと私を睨み付けこう言い放った。
「当然です!奥様は、アカデミー時代からよく他家の令息からラブレターを貰っていたじゃありませんか!社交界デビューのパーティーだって、数多くの令息にダンスを申し込まれたのですよ?そんな奥様が美しくないわけがありませんわ!奥様は世界一美しい御方です!」
リディアは鼻息を荒くしながらそう言い切ると、ゼェゼェと苦しそうに息をしながらも、自分の事のように満足気な表情を浮かべていた。
「そうです!お母様は世界一です!」
「ちょ、ちょっと、エレノアまでなんてこと言うのよ……」
「当然ですわ!流石はエレノアお嬢様です!わかっていらっしゃいますね!」
エレノアとリディアは意気投合したようで、2人で私について褒め合い始めた。
そんな光景を見ていた私は、2人の様子につい笑いを堪えきれず、吹き出してしまった。
「プッ……あははは、リディアって本当に最高な侍女ね。私、あなたが居てくれて本当に心強いわ」
「も、もう!笑わないでくださいよ、奥様!……ですが、奥様のような素晴らしい方にそう思っていただけるのならば、嬉しい限りですわ」
「お母様、笑ってる!笑ってるとまた一段と綺麗ですね!」
こうして束の間のあたたかな時間を過ごし、遂にクリスチャンとの待ち合わせの時間がやって来た。
私たちは玄関ホールへと移動する。
そして、2人に別れを告げた。
「じゃあ、夜会に行ってくるわ。リディア、エレノアのことは任せたわよ。もしお義母様が来たりしたら、隠れてちょうだい。何も無いことを祈っているわね」
「かしこまりました。エレノア様のことはお任せ下さい。必ずや、私がお守りいたします」
リディアは力強くそう言い、私に一礼した。
「お母様、早く帰ってきてくださいね?私、良い子にして待っていますから」
最近は見ていなかった寂しく辛そうなエレノアの姿を見て、胸がチクリと痛んだ。
私はエレノアに近付き優しく抱きしめ頭を撫でてやる。
そして彼女に向けてこう言った。
「ええ、できるだけ早く帰れるようにするわ。でも遅くなるかもしれないから、寝る時間になったらちゃんと寝るのよ?お母様との約束、ちゃんと守れるわね?」
「……はい、私は良い子ですから。お母様との約束はちゃんと守ります」
エレノアがそう言ったことで私は少し安堵し、肩の力を抜いた。
「良い子ね。じゃあ行ってくるわ」
「行ってらっしゃいませ、奥様」
「行ってらっしゃい、お母様!」
私に頭を下げるリディアと、私の方へ手を振るエレノアに軽く手を振り返し、公爵家の正門へと向かう。
(さあ、戦場へと向かいましょうか)
そこには既にクリスチャンと騎士の姿があり、私を待っていたようだ。
彼の表情は相変わらず険しく、私への苛立ちを隠そうともしない。
「遅いぞ、アメジスト。向こうの屋敷には侍女が少ないってのに、一体なんの準備をしていたんだ?俺を待たせるなんて、なんて無礼な女なんだ……」
「……申し訳ございません、公爵様」
クリスチャンは目を吊り上げて私を睨むが、夜会までの時間が迫っているからか、暴力を振るうこともなく、さっさと馬車に乗り込んだ。
妻である私のエスコートもなしに、だ。
お付きの騎士も私のことなど無視して、さっさと持ち場に向かって行った。
彼らにとって、私はただの荷物同然なのだろうか。
おかげで私は自分自身でドレスの裾を持ち上げ、馬車に乗る羽目になってしまった。
「ドレスの裾をそんなに高く持ち上げるだなんて、なんてはしたない女なんだ。公爵夫人としての気品が全く感じられないな。少しはお母様を見習ってはいかがですか?」
「……」
私はお前のせいだと言い返したい気持ちを抑え、口を閉ざす。
「はあ……こんな女だと分かっていれば、この婚姻を結ぶこともなかったのにな」
クリスチャンの不満気な呟きに、私はとある疑問を抱いた。
ずっと心に引っかかっていた、拭いきれない疑問。
それは何故公爵とアメジストは結婚をしたのか、だ。
愛など微塵も感じられない二人の間に、一体何があったのだろうか。
アメジストは伯爵家、クリスチャンは公爵家と爵位に差があり、結婚できないわけではないが、身分が釣り合っていないように感じる。
そして、過去にアメジストが離婚を切り出した時も彼はそれを受け入れなかった。
つまり、2人には何か結婚をしなければいけない理由があったということになる。
政略結婚だったのなら仕方ないが、何故こうも相性の悪い人同士で結婚をしたのか非常に気になる。
「……では、離婚いたしませんか?」
私は彼から情報を聞き出すため、危険を承知でそう提案した。
するとクリスチャンは明らかに不満そうな顔で私を睨み付ける。
「フン、何を言っているんだ。できるわけがないだろう?お前は本当に馬鹿だな、アメジスト。お前の頭は鳩以下だ」
こんな最低な男に馬鹿にされて怒りが湧き上がるが、今ここで怒ればこの狭い馬車の中で何をされるか分かったものじゃない。
ここは冷静にならなければいけない。
「……不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」
私が謝罪の言葉を言えば、クリスチャンは気を良くしたのかフンと鼻を鳴らし満足気な表情に変わった。
「フン、お前はそうして従順でいれば良いのだ。そうすれば、お母様もお怒りになることは無いだろう」
彼の言葉は、私をまるで所有物のように扱っている。
クリスチャンの妻を私物として見ているような言動に、私は心からこの男に復讐をしてやりたいと思った。
こんな男に死まで利用され、実の娘を処刑に追いやったこの男を地獄に落としてやりたいと、そう天に願った。
深い闇の中で、私は静かに復讐の炎を燃やす。
その火がいつか、大きな炎柱となり天に届く時、私はその業火でこの男を必ず燃やしてみせる。
例え、相打ちになったとしても絶対にこの男を奈落の底へ落としてみせる。
(絶対に地獄を見せてあげるわ、クソ野郎)
心の中で、私は彼を破滅に導いてやるのだと、固く誓った。




