第9話「9歳児、漂着する」
風を切る音がした。
何かが凄まじい勢いで接近してくるのを感じて、ボクは咄嗟にのけぞった。ボクの脳天目掛けて真っすぐ飛んできた何かが、後ろの壁に突き刺さる。
それは、小型のナイフだった。
「チッ、外したか……」
サリアは馬車を止めた。手綱から手を離して、ゆっくりと頭の鎧を外す。
「ヒエエエエ……!」
鎧の下の顔を見て、ボクは思わず声を上げた。
肌は爛れ、歯は抜け落ちている、世にも恐ろしいアンデッドが出てきたのだ。真っ黒い髪の毛は所々剥げている。瞳は元々赤いのか、充血しているのか、やけに真っ赤だ。
「このクソガキ、余計なことしやがって!」
サリアはそう叫び、ボクの横で寝転がっているイヴを踏みつけた。
【何かすごいのが出てきちゃいましたね。】
本当だよ!ボク、怖いのは得意じゃないんだけど。
「らるか様には寝かせて連れ帰れと命令されたが……こうなってしまっては仕方ない。死体でも構わんだろ。」
おっ、重要そうな失言!らるかって、前襲ってきたピンクの狂人だったよな。世界統一戦線だっけ、やはりそれなりに大きな団体なのかもしれない。
そんなことを質問する間もなく、サリアは懐から次々にナイフを取り出して、ボク目掛けてぶん投げてきた。
乱雑に投げられたナイフを避けることは、そんなに難しいことではなかった。少し身をよじり、避ける体制に入ったその時に背後の存在に気が付いた。イヴが寝ているのだ。
これ……避けたら、イヴに当たるじゃないか!
「っ……危ないって!」
必死の思いで喚きながら、ボクは飛んでくるナイフを全て手の甲で弾いた。
跳ね返ったナイフは、馬車の壁や床に突き刺さる。馬が大きく鳴いて、馬車がガタガタと揺れた。
守りに徹してたら終わらない!ボクは、慎重にイヴを抱えて馬車を飛び出した。
馬車から少し離れたところまで移動すると、ボクはイヴを自分の背後に寝かせた。地べたに寝かせてしまうと彼女の服は汚れてしまうが、抱えたままじゃ戦えないからしょうがない。
それから再び馬車の方を向くと、サリアが走って追いかけてきている姿が目に映った。
接近しながらナイフを投げてくるサリア。ボクはそれを冷静に避けて、無策にも必要以上に迫ってきたサリアの首根っこを右手で掴んだ。
「っグギ……ぅ…………」
サリアは苦しそうに呻いている。足をばたつかせて、必死にこちらを睨んできた。その恐ろしい瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちている。
うわっ、こっちが申し訳なくなるじゃないか!襲ってきたのはそっちなのに!モンスターって泣くの!?
【いえ……ちょっと、よく分かりませんけど……】
「こ…………し、ェ……」
……何か伝えようとしているのだろうか?
さっぱり分からない。声がくぐもっていて聞き取りにくい。
ボクは彼女の口元に顔を近づけて……
危うく耳を食いちぎられそうになった。
慌てて後ろにのけぞったが、彼女の黒い唾が大量にかかる。くっさ……!
【何ぼーっとしてるんですか!?】
いや、でも何か喋ってたから……理性があるのかと思ったが、そんな場合ではなさそうだ。
これ以上グダグダしていたら、こっちが殺されてしまう!
【アンデッドの弱点は炎系です!炎の……】
「必殺超怪力いいいいっ!!」
女神の言葉を聞き終える前に、ボクはムチャクチャ全力で彼女の首を握りつぶした。
……思った通り、アンデッドは人間よりは脆いようだ。彼女の首はプリンのように崩れ、びちゃびちゃと地面に落ちていった。
焦って思わず殺しちゃったな。ツェペリ様の命令とか言ってたし、色々と聞き出さないといけなかったのに。
と思ったが、首を失った体は未だに動いていた。首を探すように、手を前に伸ばしてふらついている。安っぽいホラー映画のような絵面だ。
【今ですよ、リヒト様!スキルで……】
ボクはそんな体も全力で殴り飛ばした。
アンデッドの体は一瞬で砕け、辺り一面にグロテスクな肉片をまき散らす。
それきり、アンデッドは動かなくなった。
【……死にましたね。】
うん、多分死んだはずだ。
【その……リヒト様は、スキルとか使って戦いたくないんですか?そっちの方がスマートと思うんですが……】
ボクはまだ出力の調節が出来ない。ここで大技をぶっ放したら、イヴが怪我をする危険性もあったし、モーションが必要なスキルよりも己の怪力でぶん殴る方が早いと思ったんだ。
【まあ、その通りですね……】
でも、今は余裕がある。ちょっと試してみるか。
ボクは散らばった肉片を一か所に集めた。腐臭を放つそれは、未だにもぞもぞと動いている。
こんなの放っておいたら、連結して復活するかもしれないからな。後処理はちゃんとしておかなくちゃ。
「よし……」
ボクは深呼吸して、両手を前に突き出した。集中、集中……
「ファイアーーー!!」
――ゴオッ!!
眼前に、渦巻く炎が現れた。
ボクは腕を振り下ろして、それをアンデッドの肉片にぶつけた。
炎は柱のように縦に伸びて、ごうごうと勇ましい音を立てている。
さっきよりもキツイ腐臭を放ち、アンデッドの残骸は煙を上げて跡形もなく消滅した。ついでに、そこに生えていたぺんぺん草も燃え尽きた。
【……後処理に一番の大技使うんですか。】
女神が不服そうに言った。アンデッドだからね、念入りに殺しておいた方がいいでしょ。
【アンデッドを討伐しました。】
おっ、今このアナウンスが入ったってことは、やっぱり肉片の状態でもまだ生きてたってことだろうか。止めを刺しておいてよかった。
【リヒト様のレベルが80に上がりました。
スキルの獲得はありません。】
相変わらず上昇率がすごいなぁ。レベルって、少しずつ上がっていくものだと思っていたが。
というか、こういうシステマチックなことを言う時だけお固くなるのはどうしてなんだろう。
【女神の性ですよ。】
そうなのか……なんて、あまり悠長に喋っている余裕はない。
ボクはほったらかしたイヴの元に駆け寄った。意識を失ったままだ。
どうしよう、ボクは回復系のスキルとか持ってないし……。くそ、スキルって大して役に立たないな。
よく分からないが、パンに毒か何かを仕込まれてたらまずいんじゃないか?
【どうでしょう。顔色は悪くありませんし、寝てるだけだと思いますけど。】
そんなの分からないだろう。……ん?アーモンド臭がする!これは間違いない、パンに塗られていたのは青酸カリだ!
【いや、ピーナッツバターの匂いじゃないですか?】
よく見れば、イヴの口元にはパンの欠片が付いている。ボクはその小さな欠片を取り、口にした。
「ペロっ……これは!ピーナッツバター!」
【でしょ?ってか、青酸カリと疑ってたなら舐めないでくださいよ。死にますよ?】
いや、ちょっとやってみたくて。茶番はこれくらいにして、ちゃんとしたお医者さんにちゃんと診てもらわないと心配だ。イヴが起きる気配がまるでない。
今更村に戻るには遠いし、最寄りの病院ってどこか知らない?
【そうですね……何だかんだここって結構城下町に近いはずなので、城下町に向かうのが速いんじゃないですかね?】
そうなのか。じゃあ、予定通り、とっとと城下町に向かうことに……
…………
無理では?
運転手もいない、場所も分からない。どことも知れない山道で取り残され。早々に詰んだかもしれない。
【物理で対処できない時のためのスキルですよ!ほら、今まで何を覚えてきましたか?】
女神は急に生き生きとボクに声をかけてきた。
えーっと、炎と氷と雷と隷属と……色々言ってたよな。この中で今使えそうなのと言えば、隷属だろうか。
【そのスキルを使えば、動物を意のままに操ることができます。リヒト様は現在隷属Ⅲまで習得済みですので、大抵の動物を洗脳することが出来ます。人間の脳みそに限っては高度すぎて、隷属スキルは効かないんですけどね。
ちなみに虫とかも、脳みそが小さすぎて逆にスキルが通用しないんです。】
じゃあ、馬車を引っ張ってた馬にこのスキルを……
そう考えて顔を上げたら、とんでもないことに気付いた。
馬が血を流して死んでいるのだ。
サリアがやたら大量に投げていたナイフが刺さったのだろう。
馬は全身傷だらけで、5,6本ナイフが体に刺さったままだ。かわいそうに、右足はもげている。
【ダメですね……】
ダメだな。
【じ、じゃあ、物理でいきましょう!リヒト様が馬車を引いて……!】
戯言を抜かすな。ボクの身長と腕の長さじゃ、一人で馬車に乗ることすら難しいんだぞ。
【偉そうに言うことじゃないですよ。】
とにかく、何とかしないといけないな。
ボクはイヴを抱えて馬車に乗り込み、必死で頭をひねった。
要するに、馬じゃなくてもいいんだよな?馬車が引ける動物なら、何でも……女神、この辺に大型の動物っていない?
【そんなこと言われても……あ、熊の生体反応なら確認できました。南の方角です。】
よし、じゃあ熊を捕獲して馬車を引いてもらうことにしようか。
後は地図が分からない問題だが……
【それなら私が何とかできますよ。傍観のプロですからね。】
女神様がいてくれて助かった!神!
【初めて崇拝された気がします……】
* * *
「おいっ!と、止まれえええっ!」
城下町へと続く道を通っていたら、いち早くこちらの存在に気が付いた門番に血相を変えて止められた。
「ああ、おい!止まって!熊!」
一心不乱に走り続けている熊の背中を軽く叩くと、熊は急ブレーキをかけた。
慣性の法則が働いて、ワゴンの荷物と一緒に昏睡状態のイヴが外に放り出される。
「き……君!大丈夫か!?」
転げ落ちたのに一向に起きる気配がない。イヴのただならぬ様子に驚いた門番は、すぐに増援を呼んできた。
ほどなくして、門番と同じ格好をした人たちが大挙してやってきた。
彼らは、城下町の駐屯兵だそうだ。こうして水際で問題が発生した場合、その対処がこの人たちの仕事になるんだと……後からボクが色々質問をすると、鬱陶しそうに早口で答えてくれた。
「子どもは死なせるわけにはいかない!」
「急げ!急いで“宿り木”に!」
やたら深刻そうな顔をした連中に、イヴは担がれてどこかへ運ばれていった。
“宿り木”とは何だろう、病院の名前だろうか。初耳だ。
そしてボクはというと、平気そうに見えたからか、残った兵士2人とその場に取り残された。
頭の中に、先日瓦礫に書いたフローチャートを描く。
『①城下町に行く
②仲間を集める
③ギルドを組む(ブロンズ)
④シルバーギルドになる
⑤ゴールドギルドになる
⑥プラチナギルドになる
⑦超最強』
結果的に、①達成だな。ハンコ押しとこう、頭の中で。
……まあ城下町に到着したと言っても、兵士と門の外に取り残されたわけだが。