やまちち
……野々村幸代の死は、
……頭部打撲によるショック死と診断された。
3年2組に続けて起こった不幸は夏の間、学校や地域の話題になった。
だがそれも、新学期が始まり秋の運動会の頃には薄れていた。
3年2組の生徒達は新しい、<お兄さん先生>にすぐに懐いた。
瀬戸家と野々村家の不幸は、
(どういう縁でか)両家が親しくしているという、噂が、早々と過去に、してしまった。
瀬戸リカと娘は、野々村一家と一緒に、たびたび外食していた。
野々村裕也の通っている学校に、保護者代理で、行ったりもした。
(瀬戸航太君のお母さんと、野々村先生の御主人は幼なじみ)
(息子と妻を亡くし、互いの不幸がきっかけで、再会し、愛が芽生えた)
まるでドラマのようだと噂が広まった。
ユウヤは、週に一度の、皆で晩ご飯が待ち遠しい。
皆とは祖母と父と、コウちゃんの母と妹だ。
「どうして、毎日じゃ無いの? ずっと一緒にいたいのに」
ユウヤは父親に今日も聞く。
父は(ゴメン)と笑って答える。
「何度も言ってるだろう。死んだ、お母さんの、一周忌が終わらないと、無理なんだ」
ユウヤはその答えを聞くたびに、死んだ母を恨んだ。
「もうすぐ冬も終わる。そして春が来たらユウヤは四年生だね。四年生になったときにはリカさんが、ユウヤの新しいお母さんに、きっとなってくれるよ」
トラックの助手席で、ユウヤは嬉しい話を聞いた。
団地の裏から、細い道があって、行き止まりに小さな祠があった。
畑で出来た野菜を供えるのが、お祖母ちゃんの日課だった。
二人だけの秘密だと指切りしたから
父にも母にも話した事は無い。
「すぐ終わるから、ユウヤは車で待っていて」
毎回、そう言う。
ユウヤは、それに従っている。
実は、
古い信仰が、この山に、あった。
祠は、<ヤマチチ>を祭っている。
千年前には<ヤマチチ神>を祭る立派な神社が有った。
今、篠山団地が建っている場所だ。
「ヤマチチ様。息子を救って下さってありがとうございました。つまらぬモノですが、お納め下さい」
30年前から、同じ言葉を、毎日ヤマチチ神に唱えている。
息子のシンイチが、今生きているのは、この神のお陰と信じている。
30年前の春、命より大切な一人息子が、余命僅かだと告知された。
脳に、大きな腫瘍が見つかったのだ。
絶望、地獄、無明、最悪のダメージだった。
神に祈り、運命を呪った。
それでも一日一日、息子が幸せである事を祈った。
そして、夏休みに奇妙なトモダチを知った。
大人の靴を履いていた。
足が異様に大きいからだとすぐ分かった。
顔色が死者のようで、
背骨が曲がり、手足が長い。
頭には、短い二本の角があるではないか。
まるで化け物だった。
有り得ない存在だと驚愕する。
そして、息子のトモダチ二人の死。
余命僅かと宣告された息子より先に健康な子供が二人死んだ。
この事実は重かった。
化け物が関係していると考えた。
健康な子供を殺す力があるのなら、
死にゆく子供も助けられるのでは?
もし、この世に、そんな力が有るなら助けて欲しい。
神でも悪魔でも、いい。
調べるうちに、この地域に伝わる<ヤマチチ神>
の存在を知った。
ヤマチチは、夜に、口から生気を吸い取りに来る。
吸い取られた者は明け方死ぬ。
ただし、吸い取ってる途中に誰かに見られたら
結果が逆になる。
死ぬどころか、寿命が伸びるのだ。
野々村京子は、この言い伝えに希望を見た。
そして、ある晩、街灯を消す時間に
玄関に大きな靴が有るのを見た。
<ヤマチチ神>が家に居るのだと、思う。
一睡もせずに息子の部屋の前で見張った。
ドアに耳を付けて、中の気配を一瞬も聞き逃さぬよう、
自分の頬を叩いて眠気を払った。
夜明けに息子の小さな悲鳴を耳が捕らえた。
部屋に入ると、<ヤマチチ神>が、そこに居た。
姿形は、あの奇妙な息子の友達だが、
目の前でやってる事が<ヤマチチ神>伝説、そのままだった。
寝ている息子の身体の上に乗り、口から、ジュルジュル、何かを吸っていたのだから。
<ヤマチチ神>は見られているのに気付くと、消えた。
さっと、一瞬で消えた。
それからすぐ、
息子の腫瘍は奇跡的に縮小した。
手術で摘出できる大きさだった。
夏休みの後半に大手術を受け、
癌を摘出できた。
転移は無かった。
息子は<ヤマチチ神>のおかげで
命を救われたと信じた。
あの夏から30年。
毎日のお供えと礼拝は日課になった。
感謝の言葉は欠かさないが
誰にも言えない愚痴も<神様>に聞いて貰った。
(嫁は優秀だが、ヒステリックで独善的で
息子は常に緊張して可哀想)だとか。
(家の中が明るくなるような、
たとえば、幼なじみのリカちゃんのような嫁なら
学がなくても家柄が悪くても、ずっと良かった、)とか。
(聞いて下さい。リカちゃんは可哀想なんです。あんなに心の優しい子なのに、苦労ばっかり。ろくでもない男に騙されて、そっくりなバカ息子を育ててるんです)とか。
まさか、<やまちち神>が全て聞いているとは知らなかった。
いや、話さなかったとしても、この神が人の心の底を見抜く力があるとは、
知らなかった。
今も知らない。
嫁の死に、自分の願望が関係しているとは、よもや思っていない。
<黒い靴>を見たくせに、記憶から消している。
有り難うございます。
これからも、我が一族、息子と孫を守って下さい。
最後に深々と頭を下げる。
<ヤマチチ神>は欠伸をする。
この女の話は、もう面白くない。
この女の話は、もう退屈だ。
女にはもう望むことがない。
それが退屈だ。
でも、また来いと、神は呟く。
たった一人の信者を、手放す気は無い。
最後まで読んで頂き有り難うございました。