第四十七話 蒸気機関車に石炭をくべてみたよ
最近、”鉄オタ”と呼ばれる鉄道ファンの人達が、かなりマスコミに取り上げられるようになってきました。有名人では、タモリさんなどが熱心な鉄道ファンとして知られています。
中国は鉄オタさんにとっては、ある意味"聖地"のようなものかもしれません。
最新鋭のリニアモーターカーや新幹線もバンバン走っていますが、蒸気機関車もまだ僅かに残っています。新旧の列車がすべて一つの国の中で見られるという貴重な場所なのです。
1990年代、北京や上海では普通に地下鉄が走っていましたが、中国東北部や西北部などでは電化があまり進んでおらず、蒸気機関車がメインの交通手段として使われていました。
生まれて初めて動く蒸気機関車に乗ったのは1991年です。
当時通っていた日本国内の大学の研修旅行に参加してシルクロードの遺跡を回った時に、酒泉から蘭州までの区間を、蒸気機関車が牽引する夜行列車に乗って移動しました。
それまで私は、蒸気機関車が、日本の特急電車なみにスピードの出る乗り物だと思っていたのですが、実際は、重い客車や貨物車を20輌以上牽いて走るので、結構ゆっくりしたスピードでした。
遥か彼方に天山山脈を望むゴビ灘(砂礫の荒れ地)のど真ん中を走っていく列車なので、行程の途中にほとんど駅らしい駅はありません。水や石炭積み込みのために、2時間に1度くらい給水所のようなところで30分くらい停まります。
列車のベッドに寝ていると、時々、遠くで、蒸気機関車に独特の”ブォーッ”という汽笛が聞こえて、まるで銀河鉄道999に乗っているような気分にさせられました。
その後、ずっと蒸気機関車を間近に見かける機会はなかったのですが、1995年に内蒙古を訪れた際、深夜の呼和浩特駅のホームで、蒸気機関車が車輛入れ替えのために、煙を上げてホームに入ってきました。
思わず同行者と一緒に歓声を上げて機関車に走り寄ったところ、機関士さんが、
「何?これがそんなに珍しいの?……じゃあ、運転台に上がってみるかい?」
と声をかけてくれたのです。
ホームから運転台までは結構な高さがあり、非力な私は梯子段を上りきることが出来ず、最後は機関士さんに手をとって引き上げてもらいました。(;^ω^)
初めて実際に動いている蒸気機関車の運転台を見た感想は、『暑い、狭い、臭い』でした。
まぁ、通常は乗員2名(機関士と機関助士)のところ、私と同行者の2名が増えたのですから、狭いのは当たり前です。暑いのは、常にボイラーに石炭をくべているから。11月の深夜の呼和浩特駅は、気温が零下になっていましたが、ボイラーの前だけは、真夏のような暑さです。
臭いのは、石炭の燃えるにおいと機械油のにおい。まるでミシンの中を覗いた時のような香りがしました。
私が機関士さんに、
「私の故郷である日本では、蒸気機関車はもう走っていません。すべて博物館行きです。私は、今日、生まれて初めて、動いている本物の蒸気機関車の運転台を見ました。」
と言ったら、
「えーっ、そりゃウソだろう!?!?( ̄∇ ̄;) …じゃぁ、日本には鉄道が無いのか?そんなわけないだろうが。」
と笑われて、まったく信じてもらえませんでした。
親切な機関助士さんは、私と同行者が目を輝かせて写真ばかり撮っているので、
「そんなに珍しいならば、ちょっとボイラーに石炭をくべてみるかい?」
と言って、専用シャベルに一すくい石炭を乗せものを私に持たせると、火室のドアを開けてくれました。
ちょっと予想外にシャベルが重たい……(・_・;)
かなりヨロヨロしながら火室を覗き込むと、そこには本当に美しい赤色の世界が広がっていました。炎は深みのある赤色を基調として、所々に青っぽい黒の縁取りが混じった感じです。石炭部分は黄金色に輝いています。高温で静かに燃える石炭のあまりの美しさと、シャベルの重さに声も出ない私。
やっとの思いで石炭を放り込むと、そのとたん、重い鉄の火室のドアが、ガチャン、と閉まって、現実に引き戻されました。
それから、機関士さんが、
「ついでに、汽笛も鳴らしてみる?」
と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしました。
深夜2時の呼和浩特駅に高らかに響き渡る汽笛の音。よく考えてみなくても、ものすごくはた迷惑な行為ですが、これぞ”汽車ポッポ”という感じで、蒸気機関車というものを満喫しました。
テロ対策のために、安全管理が厳しくなってしまった現在では、ちょっと考えられないユルさですが、本当に貴重な体験をタダでさせてもらったこと、今でも感謝しているのです。
これが私のどこかにあった、"鉄心"に火を点けたのかも!?!?




