第百三拾一話 中国新幹線に乗ってみたよ
先月末に、香港から中国広州までの新幹線がとうとう開通しました。
着工開始から約7年、日本ならば用地買収などのためにもっと年月がかかったと思います。
実際、中国側はかなり早く香港との境界まで路線が出来ていましたが、香港側はちゃんと民主的な手続きを踏んでいたので、時間がかかってしまったようです。
私が北京に留学していた1990年代、正直、新幹線などの高速鉄道は夢のまた夢でした。
当時、北京から広州までは、一番早い特快列車で30時間以上かかりました。
真冬の22時の北京駅を出発する時には、外気温は-14℃で、コート、マフラー、手袋、厚手のセーター、毛糸のタイツをはいたモッコモコの恰好で列車に乗ったのですが、3日目の朝9時過ぎに広州駅乗り換えで深圳駅に到着した時には、外気温は何と20℃!(゜Д゜;)体中から汗が滝のように流れていきます。
香港まで私と同行してくれた日本人同級生も、
「暑い……。もうダメだ。」
と言って、ホームに降り立ってから5分も経たないうちに熱中症を起こし、その日は急遽、香港のホテルをキャンセルして深圳泊まりとなったのは、(;´д`)トホホな思い出です。
それから約20年が経ちました。
年末年始休暇を利用して、久しぶりに北京を再訪することにした私は、北京⇒上海を新幹線で移動してみることにしました。(所要時間はわずか4時間)
どうせ乗るならば思い切って一番値段の高い座席に乗ってみようと考え、1本の列車にわずか4席しかない『観光区』を予約しました。
『観光区』とは、列車の両端にある運転席後ろの特等席です。フルリクライニングの皮張りシートで、運転席との間のスモークガラスをボタン一つで透明な窓にすることが可能です。(…と、当時、日本のTV番組で放映していました)
普通の指定席ならば北京⇒上海が片道10000円程度のところ、倍額の20000円以上するだけあって、CAさんによる飲み物とお土産と駅弁のサービス付き!
駅の待合室も専用待合室となり、列車の出発時間までゆっくり過ごすことができます。(時刻になるとスタッフが教えてくれる)
ところが……
出発時間近くなってもスタッフが呼びにこない!(# ゜Д゜)
心配になった私が待合室のスタッフに列車の出発時間を確認したところ、若干慌てたスタッフが、
「おーい、まだ上海行きのお客様がいたぞー(゜Д゜;)……お客様、お急ぎ下さいっっ(;・∀・)」
と言われ、スタッフの誘導の下、スーツケースを押しながらだだっ広い駅構内を全力疾走する羽目になりました。
ホームに降りる改札は、大きな荷物を持った乗客でいっぱいです。(中国ではホームごとに改札があり、乗車直前にならないと検札が始まりません)
人混みの後ろに立った待合室のスタッフが、
「上海行きのお客様を先に通しま~~す!皆さん、どうか通路を開けて下さ~~い!」
と大声で叫び、乗客の検札を一時中断して、私を通してくれました。
ホームに降りるエスカレーターをトランクを抱えて駆け下りて、出発間際の列車に飛び乗り、座席に付いてほっと一息。ようやく待望の運転席との仕切りを透明ガラスにするボタンを押してみました。
……ポチッ、ポチポチ……
何度押しても、まったくの無反応。なぜだ……?
仕方ないので、CAさんに理由を聞いてみることにしました。
「あ~~(´-ω-`)、テロ対策のために、そのサービスは無くなりました。」
何ですとぉ~~~!(# ゜Д゜)
ずっと楽しみにしていたのに~~。(私は小田急ロマンスカーの展望席にドはまりした世代)
座席にへたり込んでしょんぼりしていた私の脇を、列車警備員らしき人が運転席入口ドアの施錠確認のために通り過ぎました。
「あの~~、運転席の写真を撮らせて頂くことは出来ませんか?」
思い切って警備員のおじさんに訊ねてみると、困ったように頭をかきながら、
「う~ん、それはダメだね。そんなこと許しちゃったら、俺がクビになっちゃうからさ~。でも、俺が確認している時に、そこから見ているのはお客さんの勝手だよ。」( ̄― ̄)
と言って、わざとドアを少しだけ開けて、私が運転席の様子をのぞきこめるようにしてくれました。
少しだけ見せてもらった運転席は、思ったよりスッキリしていて、レバーと液晶画面とボタンがいくつかあるだけ。あまり大きくない前面の窓からは、定規で引いたように真っすぐな線路がどこまでも続いているのが見えます。
「へぇ~、こんな感じなんだぁ~。」(@_@。
中国全土を新幹線が走り回る時代になっても、警備員のおじさんのように、ちょっとした”人情味”がまだまだ残っていることに心がほっこりさせられたのでした。