第百一話 キャベツ畑の真ん中で
1996年に私が上海に赴任した際、勤め先が用意してくれた借り上げ社宅は、浦東新区の金橋開発区の外れにありました。
オフィスがあるビルから、マンションまで車で約15分。
幹線道路からちょっと入った場所に建っているちょっとおしゃれな低層マンションでした。
当時、浦東地区には高層ビルもタワーマンションもほとんどなくて、商業地区からちょっと離れると、公団住宅のような5階建ての”団地”がどこまでも広がっていました。さらに郊外に行くと、もうそこは畑、畑、畑………。
私の住んでいるマンションは、野菜畑の真ん中にぽつんと建っており、あまりにも周りに何も建物がないので、かなり遠い場所からでも建物を見分けることが出来ました。
上海の秋・冬の名物は”濃霧”です。
都市を二分するように黄浦江という大きな河があるため、ちょっと寒暖の差が激しくなると、すぐに街が霧に包まれるのです。(今でも深夜便がよく欠航になります)
私の住んでいたマンションまでは、幹線道路から分岐した小さな一本道を入っていくのですが、周囲に街灯もなく真っ暗で、霧の出ている夜は1m先の視界もきかなくなるため、タクシーの運転手さんに、
「ちょっと、お客さん!本当にこの先に道があるの?この奥にマンションなんてあるの?建物の灯りなんて見えないじゃない。ヤだよ、俺、こんな真っ暗なところを進むのは。」
と、よく文句を言われたものです。(;^ω^)
春になると、マンションの周りは一面のキャベツ畑になります。
日本のキャベツよりも大きくて、大人が一抱えするようなサイズのキャベツが畑にゴロゴロしています。そして、柔らかい春キャベツの葉っぱを狙って、モンシロチョウが群れ飛んでおり、春のぽかぽか陽気の日などは、『……のどかだねぇ(´Д`)ハァ…』と、思わず会社をサボって、どこかに旅行に行きたくなるような光景が広がっていました。
あまりにも立派で瑞々しいキャベツだったので、私はずっと何の肥料を使っているのだろう?と疑問に思っていたのですが、ある日、出勤途中にその謎が解明しました。
立派なキャベツの秘密は……下肥(人糞尿を溜めて発酵させた肥料)でした!!
付近のお百姓さんが、昔ながらの肥桶をかついで、柄杓で泥色の水性肥料をパッパッと畑に撒いていたのです。なぜ下肥と分かったかというと、小学校時代に嗅いだことのある、汲み取りトイレ特有の臭いが、辺りに充満していたからです(;’∀’)
「あ~~、上海はキャベツが美味しいと思ったら、有機栽培だったのかぁ(◎_◎;)」
私が車中でポツリとそうつぶやくと、隣に座っていた同僚が、不思議そうに訊ねました。
「胖姐さん、何で有機栽培って分かったの?」
「……ほら、アレ見て。あれって私が子供の時に郷土資料館で見たことのある肥桶と肥柄杓というやつだと思うんだよね~。臭いもすごいでしょ。やっぱり下肥で育ったキャベツは一味違うんだね。」
「……下肥なんてキモイよ~~(=_=)中国は日本に比べて、人だけでなくて、野菜も自己主張が激しいと思ったんだけど、まさか肥しが原因とはね……。私は日本のクセのない野菜のほうが好きだなぁ。」
同僚は気持ち悪げに下を向いてしまいましたが、私は化学肥料や農薬だらけの野菜を食べるよりは、下肥で育って青虫がついている野菜をキレイに洗って食べるほうが身体にはいいのではないかと内心考えていました。
それから20年。
あれほどあったキャベツ畑はまったくなくなり、過去に私の住んでいたマンションの周りは低層マンションや一戸建て、また、私立のインターナショナルスクールが建ち並ぶ高級住宅地に変わってしまいました。
街灯もなく真っ暗だった道も、歩道や街灯が整備されて、街路樹の緑が涼し気に風にゆれています。周りに建物が建ってしまったので、もう大通りから私の住んでいたマンションの建物を見通すことなど出来ません。
便利にはなりましたが、なんだかちょっぴりつまらないような気がするのはナイショです(^▽^;)
2017年10月末に、久し振りに想い出のマンション付近を訪れました。
キャベツ畑は、全く姿を消し、高層マンション群がたくさん立ち並んでおり、タクシーから下車した時、一瞬、自分がどこにいるのか分からないくらいに周りが変わっていました。
昔、畑の真ん中を流れていたドブ川は、とてもキレイな親水公園になっており、石造りの中国風の橋の近くにはノンビリ釣り糸を垂れる人の姿が…。
一番ショックだったのは、マンション近くに地下鉄の駅が出来たせいか、スタイリッシュなマリオットホテルとラマダホテルが道を挟んで向き合って建っていたことです。それだけ来訪者が多くて便利ってことですね。