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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
3話 資格剥奪
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4.Site stealer―盗まれたモノ

「海里にもう少し、優しくしてやってください」


「……あれは、父親によく似ている。優しいばかりでは力などつくはずもない」


 老夫婦の会話が聞こえてくる。父が亡くなって、母はセンリを連れて出て行ってしまった。屋敷に残ったのは幼い海里独り。盗み聞きをするつもりもなかったが、ふと夜中に目が覚め、祖父母の話を聞いてしまった。


「あの子はいずれ、大きな力と一緒に大きな悩みを持ちます」


 祖母が諌めるように話しているが、影次はというと、その話に特に耳を傾ける気はないようだった。


「力と言っても、パートナーすら見つからないのだ。あれに才能はない。むしろ、今からでも千里を――」


「あなた、そうはしないと海里と約束をしたでしょう」


「子どもとの約束だ。それに海里は、晃一コウイチに似すぎている。私では、うまく導いてやれないだろう」


「……っ」


 黙って拳を握りしめていたことを海里は覚えている。父親の代わりにならねばならない。そう思い勇んできたが、パートナーを得ることもできなければ、母や妹を守ることもできない。それでも、祖母だけは自分の味方だった。いや、優しくされるから何も出来ない現実をより一層噛みしめることにもなっていた。


『どうして、ガキの頃の夢なんて――』


 呟き、夢の少年と同じく拳を握りしめようとする。そうすると、余計に当時の感覚が蘇って来る。祖父はいつだってこの調子だ。瞳が強い海里は、犬と主従関係を結ぶ前に畏ればかりを植え付けてしまう――当時の海里に、この仕組みなどは理解できてなどいなかったが。


「僕が、僕が父さんの代わりに……」


 爪が食い込むことにも構わず、海里は一層拳に力を込めた。その姿を見る度に、祖母は困ったような顔をして、彼を優しく抱き寄せた。ありがたくもあったが、それに甘える訳にもいかない。彼は一刻も早く強くならねばならなかった。


 父を殺したのは自分のようなものだ――海里は泣いてもいられない。自分は祖父母から、母から、妹から大切なものを奪った。


「こんな、こんな人間が……」


 呟く海里を呼ぶ声がした。


「あ――」


 振り向けば、パートナーがこちらを見ている。海里は目の前の光景に、つい涙を流しそうになってしまった。記憶と寸分違わない姿で、アラスカン・マラミュートが彼を見つめている。


 シベリアン・ハスキーにも似たこの犬種は、そり引きに適した頑強な身体と、同時に人間に対して深い愛情を注ぐことで知られている。その愛情が如何に深いものか、それは誰よりも彼が知っている。


 大抵の犬は海里の瞳に負け、命令を聴く以前に硬直してしまう。今も穏やかな瞳で海里を見つめるこの子のみが、パートナー足り得た。夕个のアルシエンティーに比べれば半分程の大きさしかないが、その姿は何よりも海里に安心を与えてくれる。羽飾りのような巻き尾が振られている。


「ごめん、ごめんな、ナナコ――」


 いつだってそうだ。自分の力不足のために、周囲の人は小さな幸せを奪われる。夢の中で海里は、最早会うことが叶わない祖母から与えられた愛犬を抱きしめた。




「さて……彼らは一体どんな夢を見ているのでしょうか」


 立ったまま固まる客を他所に、新はフードを目深に被り直して、店仕舞いを続ける。まだ夕刻であるが、最近は殊更物騒だ。また奪われるようなことはあってはならないと、早々にこの場を離れるつもりでいた。


「どんな夢を見ているかは知らないが――」


「だ、誰っ!?」


 思わず占い師は声を漏らす。彼女の目の前に、長身の男がいつの間にやら立っていた。気配などまるで感じさせない者の出現に慄く他ない。


 現れたものは、人であることは疑いようもない。だが、新は飢えた狼にでも睨まれているような感覚に陥っていた。知らずの内に、こめかみに汗が伝い、心拍が上がることを止められずにいた。


「誰でもない、ただのイヌさ。それより、人の夢よりも自分を心配した方がいい」


 コツリと、革靴がアスファルトを蹴る音が鳴る。男が大股で向かってくるのを見て、新は戦慄した。薄手のコートの下は、濃紺色のスーツと一見すればただのサラリーマンにも見えかねない。だが、紫色の瞳は眼前の男が自分にとって危険な人物であるということを捉えていた。枯れた狼は特に感情も込めずに続ける。


「ここしばらくは静かにしていたかと思ったのだがな……ただの占いに終始するつもりはないか?」


「貴方、何を言っているの?」


「見なくてもよいものを視てしまっている。それだけならば同情もするが、人様にわざわざ教えて回るなどというのは、品がない」


 瞳のことが見抜かれている。新は血の気が引く思いに震えた。先程から震えることばかりであるが、それ以外に取れる行動がない。袋小路の路地裏へ逃げるように歩を進めた。


「私は――ただ、みんなが気づいていないことを教えてあげているだけよ!」


「それがお節介だと言う」


「うるさい、うるさいっ!」


 行き詰った路地の壁に背中を合わせた。これ以上逃げることも出来ずに、男を見据えれば、新の紫色の瞳が怪しく光る。そう、彼女は追い詰められながらもこの時を待っていた。視界から逃れるべくもないこの距離を。


「あんたには、占いなんかしてやるもんか――惑えよ、哀しみの果てに!」


 新は瞳に一層の力を込める。他人と共有できない世界を生きてきた彼女が、人と生きる術を披露する。初めから人と共有できない己の世界観、なればこそ他人の状態をより一層俯瞰をして視ることができる。


 哀しみも楽しみも、全ては記憶の彼方。その忘れ去られた客観的観測事項を呼び起こすのが彼女の瞳――否、相手が忘れ去ったことすら呼び起こす因果の想起。本来は、忘れたくない大切な記憶を呼び起こす儀式であったが、今は状況が異なる。ただただ眼前の相手から逃れるために悪夢を呼び起こす。ここに来て彼女は目の前の男から逃れるために相手の悲観的な体験を呼び起こそうと躍起になった。


「……やはり、生かしておく選択肢はないな」


「――!?」


 想起したくもない記憶を呼び起こした筈だ。泣いて泣いて、泣くのにも飽きる程の悲哀を呼び起こした筈だ。


 それでも、眼前の男は一心不乱に新へと向かう。いくら身をよじろうとも、既に壁際だ。これ以上の後退はできない。男は既に手を伸ばせば触れられる程の距離にまで近づいていた。


「――おい、その辺にしておいてやれ」


 柔らかい、幼いとも取れるが、面倒くさそうな雰囲気を隠しもしない声音が響いた。




「お屋敷の魔女が一体何の用ですか。この件、先に追っていたのはこちらです」


「お前には悪いが、そこの胡散臭いのに用があるんだ。殺してくれるなよ」


 丁寧な言葉遣いを崩すことはせず、サキはかなえを睨んだ。魔女を警戒するも尚、半身は占い師へと向けられている。ポケットの中に仕舞われた右の手は、魔女が声を掛けなければ細い首をへし折りにかかっていたことだろう。


「……魔女らしくもない。占いと称してこのキツネは、人がようやく忘れられた記憶すらも掘り返しているんですよ」


「別に構わんだろう。アレなりに良いことをしているつもりなんだろうしな」


 それよりも、と言葉を置いて魔女は続ける。


「この女、私に嘘を吐きやがったからな。しかも私の所有物に瞳術かますとか、落とし前をつけさせねばなるまい?」


 かなえの視線の先には、立ったまま意識を途絶えさせている海里の姿があった。それを見て、サキは眉間に皺を寄せる。


「妖を生かそうなどとはお優しいことで。坊ちゃんに感化されましたか?」


 慇懃無礼な口調でサキはかなえの正面へ向き直った。今や二人の眼中に、新の姿は映っていない。


「バカ言え、私はいつも通りだ。こいつが己の望みに気づかぬまま、他人の為などと綺麗事を抜かして瞳を使うなら、ここで再起不能にしてやるさ」


「わかりました。お屋敷の魔女に免じて、今回は引きます。ですが、これは貸しですよ?」


 やれやれとお手上げのジェスチャーを示して、枯れた狼は路地の影へ溶け込むように消えていった。


「返事も待たずに帰るとはな。丁寧と見せかけて粗雑なヤツだ」


 魔女は嗤う。これで一先ずは、新が殺されるようなことはなくなったと考えていい。サキが追っていた“瞳に干渉する妖”というのは、旧炉新で間違いないだろう。だが、問題は本人に自覚があるか――そして、かなえにとっての問題は、その行いが本人の望みであるかどうか――だ。


「それで旧炉よ、今の聴いていただろう。お前、私に嘘を吐いたな?」


「そんな、私は嘘なんて言ってません!」


 眼を奪われたと言ったことに、嘘偽りはない。あるとすればそれは――


「嘘を吐いたつもりはなくとも、利用するために本当のことを伏せただろう? お前が盗られたのは、視力ではないよな。盗られたのは、その瞳が持つ見え方か。もっと言えば、お前が認識するお前だけの世界だな」


「――っ」


 魔女の言葉に、新は黙り込む。ある時チャンネルを合わされて以来、この瞳は自分だけのものではなくなってしまった。だから、眼を盗られたということは嘘ではない。


「大方、屋敷を訪ねてきた時もその眼は見えていただろう。そこまでして私を動かそうとしたとすれば、チャンネルをいじられて使い勝手が変わったことか。あとはそうだな――その瞳を他人に使われていたことじゃないか?」


 どっちにしろ、バカな兄弟子に踊らされていることは変わりないか、と魔女は自嘲するように嗤っている。続けられた言葉に、占い師は歯の根を合わすこともままらず、カチカチと音を立てていた。


「だ、だって、そん、そんなの……」


 自分で吐いた言葉であるのだが、その内容は支離滅裂だとしか思えない。それでも、口を動かさずにはいられなかった。だって――他人とは共有できないこのケシキを他人があっさりと扱いこなすだなんて、そんな自分の半生を全否定されるようなことは到底受け入れられない。


 彼女にとって、この不自由な瞳すらも自分がこの世にただ一人の存在であるという証明だ。他人と視界を共有するなど、その時点で自分の居場所が盗られたと表現する他には思い付けない。


「どうした、僅かであったとしても足掻いてみせるか?」


 再び新は震えて押し黙る。最早、相手へこの紫の瞳をぶつけてやろうと言う気持ちすらも萎えていた。先程の狼がこの場を離れても、まだまだ安堵することはできない。目の前にいるのは、それと同等かそれ以上の怪物だ。


 よく視える瞳が災いし、新は何をしてもこの魔女から逃れられないというイメージしか沸いてこない。


「それならそれで構わん。お前が何に腹を立てようが、私には関係ない。サキの手前、イヌカイらにその瞳をぶつけたことを怒ったように話したが、左程気にはしてはいない。私に言わせれば、まともに喰らう方がいかんのだ」


 下僕の方を向いて、キッとかなえは睨んで見せた。では彼女の本当の目的とは何か?


「私の目的はただ一つだ。お前、私を動かしてまで取り戻したその瞳で何をする? その瞳で視たモノで、人に何をもたらす? お前の望みは、どこにある?」


「私、私は――」


 赤く燃える魔女の瞳に睨まれて、新はどもる。望みなんていうものは、考えてもみなかった。これまでは、他人と見えている世界が違うからと、自分の言葉で表そうなどとはしてもこなかった。だって――どこまで言葉を尽くしても通じないのだもの――新はそれでも、目一杯に口を開いてみせた。


「私は、私だけが出来ることで、人の役に立ちたい!」


 魔女の屋敷で語った言葉に偽りはない。瞳が捉える世界が他人と違えども、彼女には、この生き方以外に他人と共生する術はない。この眼で視るものを語る以外に、生き方を知らない。ならば、この窮地においては自分の生き様、在りたいと願う様を叫ぶ他はない。


「人の役に立ちたい、か――ちと辛いが、まぁ、及第点だな。自分だけが出来ること、と言うのがポイントだぞ?」


 お屋敷の魔女は、ふぅと一息を吐くと、眼前の女性へ改めて向き直る。彼女の瞳は、紫の瞳の光を呑み込む程に、爛々と輝いている。新には燃え盛る炎の如く映ったことだろう。


「どれ程小さくとも、真摯な願いに違いはない。では、叶えてやろう――」


 赤く光るかなえの瞳が一層明るく灯り、紫の瞳と交錯する。情報を投射する眼は、こちらの情報を送ると同時に、相手の視覚情報すら読み取っていた。


 魔女の瞳に、自称占い師の瞳が読み取られる。本来眼には見えない不可視の情報も、左眼を通して強制的に視覚情報へと変換されていく。そして見つかる、本人すら気づきもしない違和感の正体が。


 他人が使い易くするために取り付けられた、後天的な機能がそこにはある。大事な記憶のみではなく、全ての記憶を読み取らせる余分な装置だ。


 かなえは、その存在を感じるとともに、すぐさまその存在を踏み砕く。比喩でもなく、極小サイズにまとめられた力が、後から取り付けられたそれを砕いていた。


 盗られた筈の瞳――自分だけにしか視えない、他人には理解も使用も不可能な世界――を取り戻したことを新は直感した。


「バカな兄の不始末は、妹がつけねばな……自分で言っててなんだが、流石は私だと思ってしまう。どっかの従僕にも聞かせてやりたい一言だな」


 誰だって失敗は犯す。だが、自分一人で完璧にしようなどというのは、傲慢でしかないと、かなえは考える。


 やれやれ、とかなえは大仰にため息を吐いて、従僕をどう起こしてやろうかと思案を始めていた。


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