エピローグ
「お前、いつまで不機嫌なんだよ?」
珍しく、かなえが困った顔をしている。ハンドル操作を誤る訳にもいかないので、海里はアクセルを少し強く踏んで答えた。軽スポーツカーのエンジンが短く唸る。
「……むぅ。とは言え、頼まれたお使いくらい楽にこなして欲しいところだぞ? ナナを連れて行くのは、私の誤算だったけどさ」
ウォンウォン、とエンジンが再度唸る。海里なりの無言の抗議らしい。腹を立てているのに、思いっきりぶつけてこない辺り、彼の育ちの良さがうかがえる。
新の元を訪ねた海里は、完全に彼女の術中にはまっていた。それもお礼と称した記憶の整理であったが、消化しきれていない記憶を喰らわされ、精神的な食あたりになっている。
更には、一緒にいたナナも新の瞳に巻き込まれている筈だが、海里はどんな夢を見たのかを教えてもらえないでいる。ナナも心配であるが、現場に天敵がいたことに気づけなかったことが、海里の苛立ちに拍車をかけていた。
「おいー、いつまで黙っているんだよ。いい加減、私も困るわ……」
かなえは現象や理屈を収集することを得意としているものの、納得しているが気に喰わないという複雑な感情への対処は苦手であった。何と続けようかと迷っている内に、車は目的地へと辿りついていた。
「……すまん」
海里が口を開いたが、その言葉の意味するところがわからず、かなえは首を傾げた。車を停めてから、海里は黙って頭を掻き毟っている。
「俺の力不足だ。かなえに当たるのはお門違いだって、わかってるんだ」
だけどなぁ、と海里はもう一度頭を抱える。ハンドルに額を預けて黙る姿を見て、相当な葛藤に駆られているのだろうな、とかなえは推察する。それでも優先事項があるのだから、とっとと立ち直れよとも思う。
「まぁ、言いたいことはいろいろあるだろうが、今日は私に付き合ってもらうぞ、お兄ちゃん?」
「はいはい、ちゃんとお兄ちゃんしますよ。させてもらいますとも」
上目づかいに、甘えるような口調。お屋敷の魔女にこんな言葉を聞かされてしまえば、海里はいい加減立ち上がらねばならないと思ってしまう。ふぅ、と一息、更には一つかぶりを振って、彼は車を降りた。病院の敷地内は以前と同じく、多くの車で溢れていた。
「イヌカイさ――」
とぼとぼと歩きだす長身の男の背中に、少女は言葉を投げかける。
「ナナのことは気になっても、態度に出し過ぎないでくれな。これだけは覚えておいて欲しい。あの娘は、決してお前を裏切らない」
「……ああ」
この魔女が何を意図して話しているかはわからないが、曖昧であっても返事をしておいた。何を言っているとはわからなくとも、目の前の少女が真摯に訴えているということだけはわかっているつもりだ。眼帯には塞がれていない方の、右眼が強く訴えている。
三森螺矢と書かれたプレートの差し込まれた病室に、二人は再度立っていた。今日は、海里はサングラスもかけていない。それに付き合ってかはわからないが、かなえも普段着ですぐ横に立っている。相変わらず、どこへ出ても恥ずかしくない恰好であるのだが、眼帯をしているのとそうでないのとでは、丸きり印象が異なるものだ。
『今度はサングラスなしで会ってくれ』
かなえの言ったことが思い出され、何とはなしに緊張をしてしまう。彼女の言葉にはそれなりに深い意味がある筈だが、その言葉はいつだって唐突に出される。母に会いに行くからついてこい、と言う話も今朝急に聞かされたものであった。
コンコン――踏ん切りがまだつかない内に、扉がノックされてしまった。相変わらずの若々しい返事を確認すれば、すぐ様扉が開かれる。
「かなえちゃん――と、令一さん?」
「……イヌカイです」
どこか申し訳なさそうに海里は名乗った。その様子を横で見ているかなえは、バツが悪そうに笑っていた。二人のやりとりを察してか、螺矢は文庫本を置いてほほ笑む。
極端に色素の薄い両眼は、水晶の様に輝いている。その視線は、海里へ向けられているように感じ取られた。
「かなえちゃん、ちょっとこっち来て」
前回と同じように、手招きがされている。誕生日もとうに過ぎたので、かなえは疑問符を浮かべながら母親の元へと歩いていく。やはり、引き出しを開けてと頼まれる訳でもない。両腕を広げる螺矢の姿に、少女は首を深く傾げていた。そして、広げられた腕が、ゆっくりと収束される。
「――っ」
かなえはおろか、海里も声もなく呻いた。お屋敷の魔女が反応できない速度ではなかった筈だ。だが、一瞬の内にかなえは身体を拘束されてしまった。
「お母、さん?」
母親の腕に抱き寄せられ、少女は戸惑うように声を漏らした。海里はその光景に、眼を奪われてしまう。瞳を閉じ、優しい顔つきをしている螺矢であるが、その小さな肩が震えていることを彼は見逃さなかった。
「……コーヒー、買ってくる」
小さな、小さな声で呟き、海里は病室を離れた。二人には聞こえようもない程の音量であったが、それでも構わない。
扉が閉まり、彼はすぐに病棟の壁に身を預ける。親子の邂逅 を邪魔したくない。ただ、それだけの想いで部屋を出た筈だ。その筈なのだが、壁に預けた背中は縫い付けられたように離れてくれない。
「――よかった」
戸惑いながら、ぼそりと呟いた。いや、呟いていたことすら彼は気づいていない。
こんなことがあるのか――海里は他人事であるのに、胸は打たれ、肩は大きく上下していた。
母親失格と漏らす女性は、震えながら我が子を抱き寄せた。そう、彼女は母親なのだ。誰に何を言われようとも、かなえを抱き寄せる権利がある。
「あ、ぁ、ぁぁ……」
これでも我慢をしていたというのに、知らずの内に嗚咽が毀れていた。母親に抱き寄せられた時のかなえの表情が、目に焼き付いて離れない。
「俺、バカだ。とんでもない、バカだ」
海里は腕を目に当て、天を仰いだ。
父親に頭を撫でてもらいたかったのは、自分じゃないか――
ミミナリ、三話終了。
以下、設定メモ。
瞳を奪われる話のため、タイトルは資格剥奪。
作中は12月初旬になりました。陰暦の12月は旧臘という言うそうですね。
眼に余るお節介をする人が依頼人。
螺矢さん、神社出身の巫女さんという走り書きがあったが、活かせず。
さて、ミミナリも折り返し。今後はよりシリアスなので、読後感壊すような後書きも今回まで。
ここまでお付き合いくださった方に感謝を。




