7.魔法による初めての終わり
柚子城ランは、老婆と共に世界を滅ぼすことにしました。
どうせこの世界には、彼女の生きていく場所など、もう存在ないのです。
そんな世界に何の未練もありませんでした。
老婆は世界中を滅ぼすつもりでいました。この地球上に、自分たち以外のすべての人間を殺すつもりでいました。その足掛かりとして、まずは日本から滅ぼすことに決めているようでした。
最初の変化は、小さなものでした。
誰一人として、その変化に気づくものはいませんでした。
その老婆は気候をある程度、操ることができました。それほど大きな力ではありませんでしたが、たくさんの人を殺すためには十分すぎるほどだと、老婆は言いました。
「雨雲を集めてやればいいのさ」
そう言って、老婆は空をにらみ続けながら魔法をかけ続けていました。やがてきれいな青空に雲が目立つようになり、空が灰色の雲で覆い尽くされました。大気中の湿度が上がっていくのをランは肌で感じました。
ポツリ、とランの顔に雨粒が当たりました。
雨が降り始めました。
「さあ、もうこれでいい。濡れてしまうよ」
老婆はランの手を引っ張って家の中に入ってしまいました。
ランは家の中から外を眺めつづけました。雨はただひたすらに降り続けました。休むことなく降って雨は街へ流れ込みました。老婆の家にはテレビはありませんでしたし、インターネットのような情報網からも切り離されていました。老婆の家にあったのは少し古びたラジオただ一つだけでした。しかしそれで充分でした。
人間世界の阿鼻叫喚と混乱が、ラジオを通してランたちの耳に届いてきます。アナウンサーの怒声や市民の逃げ惑う声。
ランはそれらの声を聞いて、とても嬉しくなりました。
彼らの中には、ランのかつての同級生がいたはずでした。
彼女の父親も、まだこの街にいるはずです。
それなのに、ランはなぜか嬉しくて仕方がありませんでした。
雨が降り始めてから一週間がたちました。その間、雨はやむ気配を見せませんでした。既に死者が三〇〇人を突破したと、ラジオのニュースでは伝えられました。どうやら洪水が起きているようでした。ランは、人間の社会がこんなに弱いものだとは知りませんでした。こんなにもろい世界に、ランは住んでいたのです。
「彼らの世界はとても弱い。きわどいバランスの上で成り立っているものなんだよ」
老婆は言いました。
「だから、少しだけつついてやれば、このざまさ」
死者が三〇〇人を超そうが、建物が何百と壊れようが、雨は降り続けます。それは老婆を迫害し続けてきた人間に対する積年の恨みでした。この雨は老婆の涙みたいだなと、ランは思いました。
最終的に雨は三か月にわたり振り続けました。もはやランがかつて住んでいた町は、その機能を停止してしまっているようでした。ほとんどの人間は死んでしまったか、それともこの町から避難してしまったようでした。
まずは一つ、街を潰しました。しかし老婆の復讐は終わりませんでした。
自分の人生を、奪った人間。
自分を否定し、攻撃した人間。
自分の存在を踏みにじった人間。
その恨みは、簡単にはなくなりませんでした。次の攻撃対象は、ランたちの町の外にあるいくつかの街です。
ランにとっては、ほとんど未知の世界でした。しかしそれは、若いころに迫害を受けた老婆にとっても同じでした。
老婆は地震を起こしました。今まで日本で記録されたことがないような、極大の地震を起こそうとしていました。
しかし、それは簡単なことではないようでした。一部の気体や液体をコントロールすればよかった豪雨などとは違い、地面を振動させるという行為は、尋常ではないエネルギーを必要とするようでした。それは老婆にとって、とてつもない負担になります。
老婆は自分の死を覚悟しました。
そして、地震を起こしました。
しかし、ただ地震を起こしてしまえば、ランにも危害を加えてしまう恐れがありました。
ですので、自分たちがいるこの家には危害が及ばないように、その周囲およそ六〇キロメートルにわたって、老婆は地震を起こしました。
地震は周囲の街に致命的なダメージを与えました。
しかしそれを老婆は知ることができませんでした。
老婆は力尽き、柚子城ランだけが家に残りました。
もはやラジオは、何も伝えてはくれませんでした。
ただ耳障りな雑音を、家の中にふりまくだけです。
それがラジオの故障なのか、それとも放送自体が中止されてしまっているのか、ランには判断がつきませんでした。
老婆が死んでしまっても、ランは生き続けます。
そしてそれは、世界も同様でした。
世界は、老婆が語るほど弱い世界ではありませんでした。
少なくとも、一人の人間にどうにかできるような存在ではないようでした。
ランは、老婆が住んでいた家を出ることにしました。
老婆は簡単に埋葬しました。非力なランには土を掘ることは出来ませんでしたから、魔法を使って土を根こそぎ抉り取り、その中に老婆を埋めました。最後に木の棒を立てて、目印にします。
この家にいても、もうランにできることはありません。
ランには気候を変えたり地震を起こしたりすることはできませんでした。
ですので、ここにいたのでは、世界を滅ぼすことができません。
人を殺すためには、直接手を下さなければなりません。
ランは外の世界に出ることにしました。
ランは山を下りました。
彼女は魔法を使って、空中に浮かびあがりました。そのまま上昇を続けます。
街が一望できるところで、彼女は止まりました。
そこから三六〇度辺りを見回しました。
世界の終りが広がっていました。
死んだ街でした。
建物も、ほとんどが崩れてしまっていました。
遠くからではよく分かりませんでしたが、人の気配もしませんでした。
老婆の魔法は、一定の成果は上げているようでした。
しかし、それだけでは意味がありません。
世界はとても広いのです。
世の中のことを全く知らない小学生のランでも、そのぐらいのことは知っています。
少なくとも、ランの街が全滅したことは確実でした。
老婆の起こした地震によって、ランの住んでいた街の周辺も、おおよそ全滅していると考えました。
ランは街に降り立ちました。
がれきの山になった地面を踏み締め、街の最期を確かめました。
そのまま、歩き出します。
秩序を失った道路は、とても歩きづらいものでしたが、それでもランは魔法を使うこともなく、自分の足で歩き続けました。
さらに外の世界へ。
まだ人間がのうのうと生きている世界へ。
ランは歩き続けます。
外へ。
外へ。
外へ。
まだ見ぬ、外の世界へ。
ただひたすらに、歩き続けました。
やがて人がいる世界にたどり着きました。
ここにはまだ、人間がたくさんいます。
ランは彼らに魔法をかけます。
それはかつて、自分の母親を殺した時と同じ魔法でした。
相手の体をねじ切ってしまう魔法です。
ぼきり。
ぐちゃり。
どさり。
ランが魔法をかけた相手は、簡単に死んでしまいました。
死体の周りでは人間たちが混乱していました。
勝手に人間がねじ切れて死んだのですから当然の反応でした。
そんなことに構わずランは魔法をかけ続けます。
ぼきり。
ぐちゃり。
どさり。
二人目。
ぼきり。
ぐちゃり。
どさり。
三人目。
単調で退屈な作業でした。
恐慌が起こりました。
周囲の人間は、まだ何が起きているのか理解していませんでした。
しかし、自分たちがとても危険な状態にあることは分かったようでした。
みんな逃げ惑い始めましたが、ランは一人も逃す気はありませんでした。
ぼきり。
ぐちゃり。
どさり。
四人目。
最後まで容赦するつもりはありませんでした。
世界を滅ぼすその日まで。
自分が死ぬまで、ただひたすら殺し続けます。
ぼきり。
ぐちゃり。
どさり。
五人目。




