207話 「大絢爛祭の噂」【後編】
絢爛。
華やかで、美しく、きらびやか。
意味はわかる。
祭りというからに、それはぴったりな言葉であろう。
テフラが巨大な国であるのを考慮すると、きっととても豪華な祭りなのだろうと予想される。
だが、メイトは今までそんな祭りの名を聞いたことがなかった。
すると、あの垂れ耳の店員が、手にレモネードを持って寄ってきて、
「今年からはじめなさるようですよ」
そう言いながら机にレモネードをおいた。
グラスの縁にきらきらとした雫を光らせるレモンの切り身が乗っていて、またレモネードの本体たる液体の方も、しゅわしゅわと小気味良い音を立てていた。
「特製のレモネードでございます。主な材料は南方からの交易品である『キューメル公爵レモン』で、飲んだあと舌の上にすうすうとした爽快感が残るのが特徴です。ほかにも味付けにはいろいろ使っていますが、そこは秘密ということで」
またにっこりと可愛らしい笑みを浮かべた垂れ耳の獣人娘に、思わずメイトは心臓を高鳴らせた。
――あ、好きかも。
メイトは惚れっぽかった。
垂れ耳の店員は、ぽけっとしてそのレモネードをストローですするメイトの前に居座って、カウンターの内側でグラスを磨きながら、楽しげな表情を浮かべている。
メイトはそれをちらちらと忙しなげに窺い見ていたが、ようやくハっと思い出したように、またあのポスターを眺めた。
すると、垂れ耳店員の方もそれに気づいて、二度目の言葉を舌に乗せる。
「もう一度言いますが、絢爛祭、というものを今年から開くようです」
「んうっ! ――あ、ああ、今年からなんだ」
ぼうっとしていて二度も同じことを言わせてしまったことに、メイトはいまさら気づいた。
と同時、自分の失態にハッキリと思い至って、ギルド員にどつかれたわけでもないのにびっくりした声をあげてしまっていた。
ぎりぎりむせるのを堪えたメイトは、どうにかこうにかという感じで返事を紡いだ。
「なにやらアリエルの方でも王族方の諸問題が解決したようで」
「――らしいねえ」
メイトは当然それを知っていたが、それに関わっているのが自分たちであることをあえていうのもなんだと思って、そう他人事のように答えた。
「それで、どうやら今年からアリエルとナイアスの協同を強める方針に変わったらしく、手始めにアリエルもナイアスもひとまとめにした大きな祭りをやろうという話が、その王族側から提案されたらしいです」
「へえー」
――ジュリアスかなあ。
なんとなく、メイトはそう思った。
テフラ王族の中でこういう派手なやり方を取りそうなのは、サフィリスかジュリアスというところだ。
ただ、サフィリスはあの一件のこともあって、昨日今日でこんなことをしようなどとは言わないだろう。
「ナイアスに長年住み着いている住人側の代表団や、商人系の代表団など、いろいろ、アリエルに呼ばれて、会談をしてきたらしいのです」
「そうなんだ。僕たちがいない間にそんなことを。さすがというか、なんというか。やっぱりテフラ王族は団結するとやり手だなあ……」
「え?」
「あ、いや、なんでもないんだ、今のは気にしないで」
ようやく店員との会話に慣れてきたメイトは、今度は逆に、思わずギルド員と話すときのような調子で言ってしまって、とっさにかぶりを振った。
店員の方は小動物のようにかわいらしい動きで小首をかしげるが、メイトの猛然とした首振りに、ついには「ふふっ」と軽く笑って、自分の中の疑問を流したようだった。
「――王族側が全面的にバックアップしてくれるようで、資金的にも問題ありませんでしたし、まあ、もともとナイアスの住人は――アレですから」
アレ、といって垂れ耳店員は困り顔で外を見やった。
腕相撲大会の熱気にヤられている馬鹿が大勢いる。
どうやら試合は白熱しているようで、室内まで歓声が響いてきていた。
「はは……、僕もあんまり人のこと言えないんだけどね……」
メイトは自分のことを揶揄されているようで、思わず苦笑した。
「わたしも、決して嫌いというわけではないですよ。――ともあれ、おかげで絢爛祭は順当に開く方向へ進んでいった、と」
「それってさ、どういう規模でやるのかな」
「規模……ですか?」
垂れ耳店員がまた小首をかしげた。
メイトが振返って、店員に意を決して視線を向けつつ、身振り手振りを加えて言う。
「テフラ全体での祭りってことは、たぶん狙っているのはテフラ王国の住人だけじゃないよね」
狙っている、というどことなく曖昧な言葉しか出てこなかったことを、メイトは内心でバツ悪く思ったが、結局そのまま続けた。
「つまり、これだけ大きな祭りをやるんだからさ、たぶんほかの国からもいっぱい人が来るんじゃないかって。ナイアスの北側歓楽区だけでー、とか、商業区のみでセールをー、だとか、そういうのならテフラ王国内にかぎられるかもしれないけど、国をあげての祭りってことは、たぶん外部からも人を呼ぼうとしてるんだと思う」
王族が協力して、という言葉を聞くと、途端にそんな印象が生まれた。
メイトはあの王族たちの優秀さと、あと特に、第七王子ジュリアスの変態的な考えの大きさを知っている。
あれはあれで変人であるし、奇人であるし、おそらく狂人だ。
常人では計り知れないであろうジュリアスの思惑に、メイトは具体的な予想こそつけられないものの、規模の巨大さにだけはある程度の予測がいっていた。
こんなことを、今年から、王族が加わって、やる。
絶対に――何かある。
いつの間にかメイトはそういう方向に考えていた。
「お客さんがおっしゃるとおりかもしれません。ナイアスはこういう内外の人の往来が激しい国ですし、そういう活発性によって成り立っている国でもありますから。もしかしたらその往来をさらに多くさせるための、一つの行政手段なのかもしれませんね」
「ああ、それが当たりかもしれないな」
「アリエル側の貴族や王族が、こうしてナイアスの統治に関わってくるのをいやがる方もいるでしょうけど、わたしはなんだか嬉しくなります。やっとテフラが一つになるような気がして」
メイトは自分のことではないのに、なんだかそういってもらえるのが嬉しかった。
頑張った甲斐があったと、本来の目的のついでに達成したことではあれど、嬉しくなってそう思った。
「――ふーん。絢爛祭ねえ……」
改めて名を口に乗せる。
「ちなみに今外でやっている腕相撲大会も、亭主が言うには『前祭』らしいですよ」
「……ああ、そういうことね。だから今日はやたらとナイアスが各地でさわがしいのか」
いつものナイアス、という雰囲気を、すでにメイトは知っている。
なんだかんだと結構な時間をナイアスで過ごしてきた。
今日のナイアスはこういう感じ、今日はあんな感じ、と、基準となるナイアスの様子を知っているから、その日を比べられる。
そして今日のナイアスは、どこもかしこも騒がしげだった。
「じゃあ、これからもっと騒がしくなるのかな」
「そうだと思います」
ちょうどその頃になってメイトはレモネードがグラスから全部なくなっていることに気づいた。
「おかわりお作りしましょうか?」
それを察した垂れ耳店員にそう訊ねられたが、メイトはとっさに財布の中身を見て、
「う、うーん……。飲み逃げ犯にはなりたくないから、今日はこのくらいにしよっかな……」
盛大な苦笑を浮かべて頭をぽりぽりと掻いた。
「でも、おいしかったからまた来るよ。その――」
そう言いながら、語尾にまだ心残りがあることを示す。
二秒ほどの間をあけて、ついにメイトは意を決して聞いた。
「君はいつもこの時間にここに?」
「ええ、ときどきお休みも挟みますけど、基本的にはお昼から夜まで、ここにいますよ」
「じゃあ、また来る。――うん、絶対来るよ。お金ためてからね」
「お待ちしております」
またにっこりと愛嬌のある笑みを垂れ耳店員が浮かべた。
笑みを向けられたメイトは、自分の顔に熱があがってくるのを感じながら、そそくさと踵を返して酒場を出ていった。




