208話 「祭りの香りに惹かれる者たち」【前編】
「くそっ!! 負けたッ!!」
「ハッハッハ。――アッハッハ!!」
「笑いすぎだろ!!」
メイトが再び人垣を掻い潜って腕相撲大会決勝の場に戻ると、そこには珍しく大声で高笑いしているクシナと、「ぐぬぬ」と悔しげに口を噤んでいるサレの姿があった。
メイトはその両者の姿を見て、正直意外に思った。
「え? サレ、負けたの?」
クシナには悪いが、さすがにこういう勝負ではサレに分があるだろうと思っていた。
人虎族という膂力に優れた獣人であるクシナでさえも、でたらめな水準に鍛え上げられている魔人族には敵わないだろう。――というのがおおよそギルド内に共通する見解であった。
だが、現状はどうであろうか。
確実に、この状況はサレが負けたあとであることを示している。
「……負けた」
子どもが、悔しがりながらもなんとか相手を思って我慢するかのように、サレが短くメイトに言う。
「ど、どうやって?」
「……気が逸れた。油断した」
「いやはや、まだまだ鍛練が足りませんね」
「そうだぞサターナ。まだまだ鍛練が足りないな」
ふと、メイトの耳を聞き慣れた恐ろしい声が穿って、思わず「ひっ」と悲鳴をあげそうになった。
鼻からずり落ちそうになった眼鏡をどうにか広いとどめ、声の方を振り返る。
「ア、アリス……さん……」
ギギギ、と錆びたドアの金具が軋むように、鈍い動きで振り返りながら、視界に黒髪の少女の姿をはめ込む。
さっきの酒場で飲んだものとまったく同じ、シュワシュワと涼しげな炭酸音を放つレモネードを片手に、毛先が巻き毛掛かった黒の長髪を揺らすのは、まぎれもなく〈凱旋する愚者〉のギルド長、アリス・アートである。
「ひゃ、ひゃあ……」
「おや、どうしましたメイトさん。なにをそんなにビクついているのですか? 声が震えていますよ?」
「あ、あー……、いや、えっと……な、なんでもない?」
「なぜ疑問調なのですか?」
アリスがレモネードをストローから吸い上げながら、首をかしげている。
メイトは額からぶわっと汗が噴き出てくるのを感じた。
――あっれぇ? これ、大丈夫かな……? 賭けしてたこととか、しかもギルド資金用じゃなくて自分の懐に収める気満々で賭けしてたところとか……だ、大丈夫かな……?
「メイトさん」
「ふぁい!」
「――レモネード、買ってきてください。これ、おいしいです。だからもう一個、買ってきてください」
そう言われた瞬間に、やはり大丈夫ではないことをメイトは察した。
ふと、アリスと、その隣でまだぴょんぴょん跳ねて喜んでいるクシナの裏の方に、同志たるギルド員たちの死屍累々とした肉山が見えて、
「買ってきます」
「よろしくお願いします」
メイトは即座に酒場の方に踵を返した。
――レモネード一杯分で命が買えるのならば、僕は喜んで散財しよう。
メイトはほとんど残らないであろう未来の財布の中身を思いながらも、その選択に後悔はしなかった。
◆◆◆
「いやはや、本当においしいですね、これ。ほかにも果物系の飲み物がたくさんあるようで、また行ってみたいと思います」
ツツツ、と二本目のレモネードをストロー越しに吸い上げながら、アリスが言っていた。
昼下がり。
なんだかんだと珍しく、アリスを中心にしてナイアスを大勢のギルド員と一緒に歩いていた。
腕相撲大会のあとのことだ。
「なんだか、こうしてみなさんと一緒にナイアスを歩くの久しぶりな気がしますね」
「そうだねえ」
アリスの問いに答えるのはメイトだ。
「むしろ、こんなに平和的に街を歩くのは初めてじゃないかな。なんたって僕たち、ここにたどり着いた当初からいろいろ巻き込まれてたからね」
「そうですね。あのときはシオニーさんとクシナさんが黄金樹林の密偵をボッコボコに――」
「おい、アリス、ボッコボコにはしてねえよ。ちょっと小突いただけだ」
「ですが、協同歩調を取ったあとに向こう方のギルド長から『あのとき打たれた頭のコブがまだ治りません』という旨の手紙を受け取りました。あ、もちろん部下を代弁してのことだそうですが」
「……」
クシナは目を背けていた。
「まあ、先にちょっかいを出したのは向こう方なので、結果オーライです。あと続く手紙に『しかし、これのおかげで打たれる快感を覚えました。あなたにまた打ってもらいたい』という変態的な内容が描かれて――」
「向こうのギルドもたいがいじゃないかッ!! ていうか暇だね!? 〈黄金樹林〉のギルド長もそんなこと代弁するくらい暇なのっ!? もっと諜報活動に勤しもうよッ!!」
メイトが思わず横からツッコむ。
「はあ、はあ……」
「今日一番のツッコみでした」
荒げた息を整えているメイトに、アリスが親指をあげて見せる。
「それで、そんな要求がありましたが――クシナさん、どうしますか?」
「お、俺に訊くなっ!」
「いやしかしクシナさんが名指しで――」
アリスがわざとらしくクシナに迫っている。
クシナは変態的な趣向にあてられて、たじたじという感じだ。
顔を赤らめて、「そ、そんなんの相手してられっかよ」と口を尖らせている。
「――クシナさんがたじたじしている様子がなんとなく感じられたのでこれくらいにしましょう。まったく、こいうときこそ視力を……」
「わざとやってやがったなアリス……!」
アリスがべたべたとくっついていたクシナの腕から離れ、満足げにホっと息を吐いていた。
「最近アリスのやり方が極まってきてる気がする……」
メイトのため息は尽きなかった。
しばらくして、思い出したようにメイトが話題を転換する。
さっきの話だ。
「そういえばさ、いまだにサレがクシナに負けたことが信じられないんだけど」
「眼鏡割るぞてめえ」
「今日は結構浪費激しいから本気で勘弁してよ……」
クシナが隣にいながらそう言えてしまうのは、クシナがサレに勝利して機嫌が良いからだ。
アリスにいじられてもなお、機嫌の良さは損なわれていない。
メイトもそれを察していた。
すると今度は、クシナとは対照的にまだどんよりして元気なさげなサレが、やや遅れた位置から声をあげていた。
「――唐突に現れたアリスの姿にビビった」
「わっかりやすっ!」
だが、それだけでは疑問が残る。
その勝ち方ではクシナが満足しなかっただろうとの予想があるからだ。
クシナはまっすぐの勝負で勝つことを望むタイプである。
こうして自分以外の力の影響があって勝ったとなれば、もしかしたら『もういっかい!』くらい言ったかもしれない。
だが、今のクシナは誇らしげだ。
「それだけ?」
「俺も同じでビビったんだよ」
そこへクシナが横から口を挟んできた。
「ああー……」
「場の空気が凍ったぜ。なまじ周囲にギルド員が多かったからな。俺とサターナを含めて全員顔と身体が凍って、ほかのナイアスの荒くれ共が目を点にしている間に……なんつうかな――時が止まった」
メイトはその光景を想像し、思わず苦笑いした。
「で、そこから回復するまでが勝負だったんだ。俺のが先に回復して、ほんの一瞬あとに復帰したサターナに追いつかれる前に、腕をぶち倒した」
――あっ、それでもいいんだ……。――ていうか勝負変わってない?
あれっ? もしかしてこれ僕の方がおかしいの?
とにかく、どうやらクシナ的には、『どっちも同じ不利』を得たなら別にかまわないらしい。
たしかにそれはそれで正々堂々的だが、単に力勝負ではないあたり、当初の腕相撲大会という名目から乖離している点で、やや首をかしげたくなる。
――でも、まあ、それはそれで勝負か。
アリスの無言精神攻撃からの復帰速度という点で、クシナが勝ったのも確かだ。
殊、この〈凱旋する愚者〉内では、それはもっとも注目される能力の一つでもある。
精神攻撃を喰らったあと即座に復帰し、あらゆる責任と後始末をほかのギルド員になすりつけ、みずからは逃亡する。
この、対外的には腐りきって見える外道スキルが、ときに戦闘能力以上に重宝される。
だからそういう見方をすればクシナは優秀だ。復帰が早かったのだ。
「あの、ものすごく大仰に説明していますけど、それ私が横にいるときにする話ですか?」
「僕たちにとっては生死が掛かっているからね! ――精神の!」
メイトはメイトで開き直っていた。
ともあれ、
「サレってわりとギルド内だと不出来を連発するよね」
「……」
「シオニーみたいにさ、もう早い段階でイロモノの匂い漂わせているとかえって『まあ予想どおりかなあ』ってなって安心するんだけどさ、サレのはときたま『なんでここでそんななの?』ってなるから、ちょっと心配。――僕心配。サレは一人になってもちゃんとやっていけるのかなって」
ぽん、と優しくメイトがサレの肩を叩く。
顔は笑っていた。
ただし下卑た笑いだった。
「慰めんのかあざけるのかどっちかにしろ……!」
「ごっめーん! あっ! 落ち込んでた? 落ち込んでたの? ぷっ――ごっめーん!」
「なんだこのウザさ……!!」
ここぞとばかりにメイトは乗ってくるが、サレはクシナに負けている手前、なんだかんだとメイト相手にも強気に出れない。
そんないつもの皮肉のやりあいをいくらかこなしていると、またメイトが思い出したように話題を変えた。
「そういえばさ、また話は変わるんだけど――テフラ大絢爛祭って知ってる?」
「大絢爛祭?」
ちょうどその単語を出したあたりで、ナイアスの路地から商いの色が消える。
特別どこへいこうというわけでもなかったが、足の先は自然とナイアスの中央湖へと向いていた。
ちらほらと高台もあるし、人はいるが商業区ほど混雑してもいないし、涼むには最適かもしれない。
「いえ、私は今知りました」
アリスがメイトの言葉に答えていた。
「――俺もだ」
サレがどうにかこうにか悔しさを脇においやって、頷きを重ねる。
「そっか。じゃあ結構最近のことなんだね。――って、それもそうか。サフィリス王女のいざこざがあってから、昨日今日の話だし」
「一人で納得するなよ。その大絢爛祭とやらがどんなもんだかまず説明しろ」
ようやく敗戦のショックから復帰してきたサレが、声に力を戻して言った。
「分かった分かった。馬鹿な君にも分かりやすいように説明しよう」
「ここぞとばかりに攻めてきやがる」
「いつものことさ。――でね、大絢爛祭ってのは……」
ちらりとメイトがサレを見て、わざとらしく悩んで見せたあと、
「――なんか大きい祭りのことさ。どう? 君でも分かった?」
「バカにしてやがるっ!! こいつ俺のこと思った以上にバカにしてやがるっ!!」
サレが尾をピンと立たせて威嚇の様相を見せるが、それをアリスが、
「敗者は黙っていてください」
「っ!! ……俺、今マコトの気持ちが分かった。俺、今叫びたくなった。『誰かぁぁぁ! わたしの味方はいませんかぁぁぁー!!』って。……マコトがああ言う気持ち、すごくよく分かったよ」
残念ながらその場にマコトはいなかったので、サレの気持ちは共有されなかった。
「ま、実のところ僕もよくわかっていないのさ。でも、たぶんジュリアスが企画したんじゃないかな。テフラ全体で行う大きな祭りってのは本当だし。この分だと、他国に対しても広告していこうとしてるんだと思うよ」
「それはまた――なぜでしょうね」
アリスがメイトの言葉を聞いて首をかしげていた。
仮にジュリアスがそんなおおげさな祭りを企画したとして、その意図がどこにあるのかがいまいち定まらない。
ジュリアスのことだから、自分たちには及びもつかない意図を含ませて、そんなことをしたのだろうと予測はできる。
「うーん……」
メイトも唸った。
あとに続くギルド員たちもメイトの話を聞いていたらしく、隣の仲間たちと相談し合ったり、同じく唸ったりしていた。
結局これという答えも出ぬままに、ついにナイアスの中央湖へとたどり着く。
そんなおり、ふと横からギルド員たちの列に入ってきて、そのうちの一人の肩を叩く者がいた。
大柄な体躯に、首元からふさふさと生えた『たてがみ』。
人型のライオン。
まさしくそれである。
その姿に一番見覚えがあったのは――
「あれ、〈獅子の威風〉の――」
「おう! 余であるぞ! 久しいな、魔人の末裔!」
サレの肩を、あの獅子顔の『ウルズ王』が力強く叩いていた。
ウルズ王国の王であり、〈獅子の威風〉ギルドの長でもある男。
――レオーネ。
その獅子混ざりの半獣人は、満面の笑みで、以前と変わらぬやたらと大きな声を放っていた。




