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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第十一幕 【愛憎:私たちの世界は狂っていた】
183/218

182話 「魔神への階段」【後編】

 その日、神族の一人が、魔人によって殺された。


 神々の王ユウエルは、神を殺した男を凝視していた。


 ――〈魔神〉……か?


 男の背中を見る。

 顔は見えない。

 石床に顔を向けて、朽ちて消え去った神族の虚像を見ているかのように、男は動きを止めている。

 ただ、ユウエルはその背中に『影』を見た。

 かつて自らに剣の切っ先を突きつけた男の影を。

 しかしその影は、次の瞬間にはその男の圧倒的な存在感に掻き消される。

 まるでその偉大な影をすら、男の『格』が呑み込んでいったかのような、そんな感覚。


 ――〈テオドール〉を……超えたのか?


 次いで、そんな思いが湧き起こってきた。

 原点にして頂点と謳われたあの魔人の皇をさえ、この男は超えていった可能性がある。

 ユウエルは畏怖を心に抱くと同時に、


 ――危険だ。


 そんな危機感をも覚えた。

 最高神のような神族的傲慢を抱いていなくとも、その男の姿に神族として危険を覚える。

 そして、他の生物によって害されることがないという環境で数百年を過ごしてきた自分の――精神的な『脆さ』を知った。

 その秩序(ルール)を食いちぎる者が現れた瞬間、自分の背筋に冷たいものが走って行ったのを、ユウエルは確かに感じていた。


 ――この男は――危険だ。


 『普通の生物』としての生存本能が、自分を殺しうる者の現れに警笛を鳴らす。

 こんな生物らしい本能の声を聞いたのはいつぶりであろうか。


 ユウエルはその日、ようやく『実感』した。

 自分の存在が、本当に現界の民の領域に墜ちたことを。

 自分は上から『堕ち』、そして――


 〈魔人〉が下から『昇ってきた』ことを。


◆◆◆


 サレが立ちあがったのは、ユウエルが内心の逡巡を経てほどなく、わずかばかりあとのことだった。

 立ち上がり、周囲を見回す。

 サレの様相はいつもどおりだ。

 特段に変わったことはない。

 そこへ、


『アーテーが……!』


 ギリウスの拳の一撃で霞むように消えていたネメシスが、再びの凝縮で姿を現していた。

 徐々に白い光が人型を象っていって、それが白体黒眼の女になる。


「――」


 サレの首がぐるりと回って、ネメシスの方を振り向いた。

 その足に力が込められたのを、サレを見ていた誰もが気付く。

 当然、ネメシスもそれに気づいていた。


『ッ! ――サフィリス! サフィリス! 戦いなさい! あなたの願いを叶えるために、この男と戦いなさい! この男はあなたの願いの障害になる!』


 ネメシスは叫んでいた。

 その言葉には、もはや論理などという理性的なものは含まれていなかった

 言葉を投げかけられた本人――サフィリスは、いまだアルミラージの胸の中で泣きじゃくっている。

 彼女の身体は何かに怯えるように震えていて、か弱い、ただの少女のようであった。

 しかし、ネメシスの言に対し、サフィリスは反応を見せる。


「ネメシス――」


 ただその言葉と仕草だけは、その弱弱しい状態から一線を画したように、毅然としていた。


「お前との契約は――破棄する。私とお前は、もうここまでだ」


 そんな言葉が場を貫いて行った。

 ネメシスはサフィリスが何を言っているのか理解できないとでもいわんばかりに大きくを首を傾げ、その状態のまま、


『何言ってるのよ。そんなことが許されると思ってるの?』

「『対等』である私とお前の間の契約を破棄することに、お前の許可がいるのか? お前は私に一方的な禁止を言い渡せるほど私よりも高い存在なのか?」

『当たり前じゃない。あなたは現界の民で、私は神族。ずっとずっと、私はあなたより高い存在なのよ』

「私はお前の力を借りた。しかし、対価も払った。『等価』だ。私とお前は、『対等なところ』にいるんだよ……」

『この……っ!』


 ネメシスの眉間に皺が寄る。

 隠そうともしない怒気の発露だ。

 そんなネメシスはサフィリスに近づこうとした。

 しかし、その進路に立ちはだかる者がいる。


「お前には聞きたいことが山ほどある」


 サレだ。

 サレは揺れる前髪の間から赤い視線をネメシスにぶつけながら、静かに立ち塞がっていた。

 前傾に掛かっていたネメシスの身体が、思わずのけぞる。


『……私をも殺すか。世界にあだなす罪人め』

「最初はそうしようと思ったが、今の答えは否だ。なぜなら死人に口はないからな。お前を殺して俺だけが満足するよりも、その口から情報を得た方がずっと『俺たち』のためになる」

『生意気に私を尋問しようっていうの』

「お前はマキシアを知っている。俺たちが欲しい情報を持っている。当然、尋問くらいしようとするだろう」

『しようとしても、できなければ意味はないわよ。お前の格ではアーテーを殺せても私は殺せない。私は人の悪意の集合体。人が悪意を持ち続ける限り、私の神格は高まり続ける』

「違う、お前の神格は最高神によって与えられたものだ。悪意はそんなに崇高なものじゃない。汚泥にまみれた悪意を、さも崇高なものであるかのようにのたまうな」


 サレの瞳に〈神を殲す眼〉の術式紋様が浮かび上がる。

 その変化が、サレが臨戦態勢に入ったことをネメシスに報せた。

 対するネメシスはすぐに動けない。

 ややあって、ようやくという体で見せたネメシスの最初の動きは、後ずさるような後退への一歩だった。


『忌々しい眼……!』


 手を振って苦々しい顔でネメシスが言う。

 サレは構わずに前進への一歩を踏んだ。

 おそらくサレが先に動くだろう。そんな予想を誰もが抱いた。

 狩人と獲物。

 そんな形容が今の二人には相応(ふさわ)しかった。

 空に昇りきった戦いの熱気は冷えはじめている。

 頂点を過ぎて、一点に収束しようとしていた。

 すでに〈銀鎧の騎士団〉のほとんどが倒れていて、ギルド側の闘争の勝利も近い。

 しかも、サレの後方から聞き慣れた女の声がしていた。

 トウカの声だった。

 そのほかにもギルド員たちの声が聞こえてくる。

 仲間たちがやってきたのだ。


『……ッ!』


 ネメシスもようやく周りの状況に気付いて、自分が追い詰められていることを知ってか、口の中で音を鳴らした。悪態の音。

 天空を黒い竜が覆い、空への逃げ道すらを塞ぐ。

 そしてまた一歩、サレが前へ歩み出た。


『――寄るな……!』


 ネメシスが後ずさる。

 今やその身体は地に墜ちて、足で身体を支える状態にまでなっていた。


『私に近づくな。私は神族だぞ。現界の民が私に手を出すなど――最高神に楯突こうなどと!』


 ネメシスが自らの権威を支えようとする。

 最高神の権威を被って、サレをひれ伏させようとする。

 だが、


「俺がいまさら最高神の名に恐れを抱くと思うのか。俺は魔人族だ。神族相手に不屈の矜持を貫いた種族の『末裔』だ」

『いつもいつもお前らは……!』


 また一歩、狩人が前進する。

 獲物は狩人の一歩に苦渋の表情を濃くしながら後退への一歩を踏む。しかしその一歩は弱弱しい。


「戦う気がないのならそのまま折れてしまえ。俺はお前を殺すべきではないと思っているが、決して殺さないと誓っているわけじゃない。仮に自害でもしてみろ――」


 サレの目に強烈な殺意が宿った。


「その時は俺が先に殺してやる」


 それがネメシスに対する最後通牒だった。

 ネメシスの狼狽えが演技でなければ、もはや彼女になす術はない。

 あと三歩も前進すれば、ネメシスに手が届く。


 行け。

 ここは進むべきだ。


 二人を見つめる者たちは、総じて動きを止めていた。

 あと数秒で決着がつく。

 アルミラージでさえも、自分の状態を忘れてその光景を見ていた。

 ほんの数秒。それが分かっているからこそ、黙って光景を見ていられた。

 もしそこで動ける者がいれば、その者はこの状態に対して特段に思いを抱かないものであっただろう。

 たとえば、それこそ取るに足らない児戯のように考えられたならば、動けただろう。

 近場にそんな者はいなかった。

 この状況に、それぞれの命と矜持を懸けていたから。




 そう、近場には。

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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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