160話 「動転劇の幕開けは悲鳴で」【中編】
サレとメイトが向かった先。
悲鳴の出どころはナイアスの大通り――から一つ横道にそれた細い街路の一角。
人だかりが出来ていた。
サレは不穏さを感じて、メイトの腕を引き寄せながら「離れるなよ」と耳に小さく入れる。
それでいて足は人だかりの中への一歩を踏んでいた。
人を掻き分け、掻き分け――視界が開けた先。
そこにいたのは――
◆◆◆
「ニーナ――第四王女――」
◆◆◆
サレが王族会合の時に見たことのあった、あの小さな〈閃姫〉だった。
彼女が、血に臥していたのだ。
◆◆◆
――何が、起こってる。
サレの頭がめまぐるしく思考を展開する。
〈ニーナ第四王女〉がナイアスにいる理由は。
――おそらく闘争関連だ。
だが、なぜそんなニーナが血に臥している。
――やったのは誰だ。
なぜやった。
なぜ――
――〈法神テミス〉の防護を抜けられた。
いくつもの疑問がサレの脳裏を駆け巡った。
同時、思考を展開しながら身体を動かす。
とっさにニーナへと走り寄った。
その小柄な身体を抱きかかえ、声を掛ける。
「おい、生きてるか」
「……」
返事はないが、抱きかかえて分かったこともあった。
――まだ生きてる。
生きているが、
――なんだ、この抉れたような傷は。
腹部に空いた傷がサレの目に入った。
抉られたような傷。
ぽっかりと、その部分だけ空いている傷だ。
手で抉り取ってもこうはならないだろうと予想させる、奇妙な傷。
――とにかく、傷を……
なんとか傷を塞ごうと思うが、サレには医術の心得などない。
人だかりたちもあたふたとするばかりで、どうにも頼れそうにはなかった。
すると、
「ま……じん……」
ニーナが薄く目を開けて、サレの腕に手を伸ばしていた。
意識が微かにだが目覚めたようだ。
「おい、気をしっかり持て、今助けてやるからな」
サレはこの状況に似た光景を、どこかで見たことがあった。
あの日、あの時、あの『悲劇の場所』で。
――……リリアン。
状況が、サレに記憶を呼び起こさせる。
しかし腕の中にいるのはリリアンではなくニーナだ。
姿かたち、顔も違う。
だが、サレの目には腕の中のニーナにリリアンが被って見えた。
腕の中にいる血に臥した女。
それを抱えて無責任に「助けてやる」と言ってしまう自分の口。
まったく同じだ。
――やめろ。今回は絶対に助ける。
首を振ってその思考を振り払った。
――どこへ行けばいい。
この傷が街の医術師で治せるだろうか。
できれば治癒系の術式が使える者に頼みたい。
ナイアスでそんな知り合いがいたか。
――くそ。
サレが内心に悪態の言葉を浮かべる。
しかし、直後、
『――ん、あれ、〈凱旋する愚者〉の副長』
人だかりの中から、そんな女の声があがっていた。
声があがった方向に首を振って、その主を見定める。
そこにいたのは――
「――シルヴィア!」
『錬金術師の家』の店主、小柄な体に黒いローブと魔女帽子をかぶった〈シルヴィア〉だった。
シルヴィアの隣にはナイアスの住人と思われる異族がいる。おそらくその異族がシルヴィアを呼びに行ったのだろう。
当のシルヴィアは表情の薄い顔で、しかし少し目を丸めて、サレに声を掛けていた。
「やあ、なんか頼まれごとで、『人を助けてくれ』って言われたから来てみたんだけど――」
シルヴィアの視線がサレからその腕の中の少女へと移る。
「ああ――」
ニーナが血に染まる姿を見て、シルヴィアの顔が途端に真顔になった。
「――これはこれは、また話が大きそうだね」
「治せるか?」
サレが訊ねると、シルヴィアからは即座のうなずきが返ってきた。
「うん、すぐに完治とはいかないけど、死なせないことはできるよ」
「なら――頼む」
シルヴィアの言葉を聞いた直後、サレが彼女に頭を下げて頼み込んだ。
その様子を見たシルヴィアは、また少し目を丸め、次いで口を開いた。
「君にとってその人一応敵なのに、そうやって頭を下げるんだね。――うん、いいよ。じゃあ僕が見ておいてあげるから、君は『行きなよ』」
まるで内心を見抜かれたように言われ、サレはハっとした。
確かに、サレはこの現状を引き起こした『張本人』を探したかった。
ニーナの傷はまだ新しい。
おそらく、やった犯人がまだ近くにいるはずだ。
「分かった。――本当に、頼むぞ」
「はいはい。そんな心配しなくても大丈夫だよ。僕は天才だからね」
シルヴィアは頭の魔女帽子を揺らし、その小柄な身をちょこんと跳ねさせた。
そうしてサレがシルヴィアの前にニーナを寝かせ、
「詳しいことはあとで爛漫亭で」
「心得たよ」
一言を告げたあと、サレはメイトを引き連れてその場を離れた。
◆◆◆
「サレ、あれ、誰の仕業だろうね」
向かう先はひとまず爛漫亭だ。
犯人を探すにも見当がつかないため、まずはこのことをアリスに伝えに行く。
その道中、メイトの言葉を聞いてサレは思考を巡らせた。
お互いに言葉を交わしながら情報をまとめていく。
「候補の一人にはサフィリスという名前もあがるだろうな」
王権闘争中という状況を考えれば、残る王族同士ということでサフィリスの名があがる。――あがるが、サレはその可能性に確信を抱けなかった。
王族会合の時に見たサフィリスとニーナ。
彼女たちが会話をしている姿を見た。
特別邪険にしている雰囲気もないし、もろもろのしがらみをとってみればただの姉妹の如く見えた。
それを踏まえて考える。
――『あそこまで』やるか? ――やれてしまうのか?
〈狂姫〉と呼ばれるサフィリスは、そんなにも秩序なく狂っているのか。
妹を手にかけられるタイプなのか。
そこまでやれてしまう狂人なのか。
――いや、サフィリスはそういう狂人ではない。
ジュリアスの言にもあったが、あれはあれで捻くれた情がある。
関係のない者に関しては手を下してしまえるのかもしれないが、キアル第一王子の親愛の話を考慮すると、サフィリスはニーナに手を出せない気がした。
それになによりも、サフィリス以上に犯人として名をあげやすい存在が、サレの胸中にこれみよがしに引っかかっていた。
「――まさか、これも〈アテム〉の仕業か」
「僕もそっちの線が濃いと思う」
サレのつぶやきにメイトが賛同を返す。
「すでに手を打たれていたってことか」
「そこまでは確信がないけど。――あ、でもテミスの防護術式があるからアテム側の勢力じゃ手がでないかな? いやでも最高神勢力がアテム側にいるから――ああもう、わけわかんないな」
確かにテミスの神格防護がある。
あれを貫通できる存在はそう多くないはずだ。
「――いや、まて。そうとも限らない」
サレは走りながらやや視線を俯けて、さらに考え込む仕草を見せた。
――そう多くない? いや、本当はもっと多く『なってきている』かもしれない。
先日、神族たちの神格の原理が組み変わった。
王神勢力に神族に対して、最高神の神格が供給されなくなった。
となれば、法神テミスの神格もマキシアの手によって下げられているだろう。
王神ユウエルは、それでもまだ神族には神格があると言っていた。
『信仰』による神格。
「王神勢力の神格は、どの程度堕ちてきているのだろうな」
信仰による神格がどの程度の格を持つのか。
詳しいことは分からない。
だが――そこでサレは気付いた。
――ここは〈湖都ナイアス〉だ。
〈王国法〉に対する信仰が――薄い街。
「――っ」
――なぜもっと早くに気が付かなかった。
サレの心臓がその事実に気付いた瞬間に浮き上がった。
犯人への検討がつく前に、もっと重大な事実に勘付いた。
今まで見逃していた問題。
――いけない。
テミスの神格防護が、ナイアスにおいては限りなく『薄まっている』可能性がある。
ニーナがテミスの防護を抜かれたのはそれが原因か。
よけいに犯人の目星がつかなくなったが、それ以上にやっておくべきことがあった。
「メイト! ジュリアスを呼び戻せ!」
ニーナの負傷に関して、ジュリアスに知らせる必要がある。
そしてジュリアスはそれを聞けばすぐに現場に行こうとするだろう。
だから、呼び戻すことが前提になるのは仕方ない。
それでいて、それを前提にして打っておかなければならない手がある。
――ジュリアスでさえも、テミスの防護が薄くなっているかもしれない。
テフラ王族は今までテミスに頼ってきた前歴がある。
たとえテミスの防護が薄くなったと分かっていても、たぶんそれを前提に身体が動いてしまう。
だから、
「ギリウスあたりを『護衛』につけろ! テミスの神格防護が薄くなってる可能性がある! 俺はこのまま周囲の索敵に行くから、あとから何人かよこすようにアリスにも言っといてくれ!」
サレはメイトからやや離れながら、そう告げた。
ジュリアスの身体に万が一は許されない。
『護衛』は必須だ。
「わかった!」
メイトはサレの指示に対しうなずきを返し、サレと別れて爛漫亭の方角へ走って行った。