145話 「新世界現刻:世界の仕組みが変わった日」(前)
「いいでしょう。訊ねなさい。あなたが知るべきことは、きっとワタシ以上にたくさんある」
ロキはサレの方を向いて言った。
サレは頭の中を整理しながら言葉を紡いでいく。
まず一番最初に訊ねておきたいことがあった。
途中にロキの言葉を遮るのも悪いと思って、あえてすぐに訊ねなかった事柄。
「最高神マキシアの『魔神の因子は潰した』という言葉。――その意味はなんだ?」
予測はある。
当然予測はあるのだが、そこに神族の確証が欲しかった。
「〈魔神〉は、おそらく『最高神格』に至った魔人族のことを指すのでしょう。そして最高神格に至る要素を、初代魔人皇帝〈テオドール帝〉は初期時代の時点で身に備えていた。――恐るべき存在です。ですが、テオドール帝は神族との戦で命を落としました。――〈魔神〉として覚醒する前に」
「その戦の理由を偽ったとさっき言っていたが」
「最高神マキシアは『魔人が攻めてきたから潰す』という理由を他の神に伝えました。つまりこちらからではなく、向こうから噛みついてきたと。ですがあの『魔神の因子は潰した』という台詞から推測するに、方便だったのでしょう。よく考えてもみてください。魔神覚醒の前に潰しておきたいのに、わざわざ魔人が攻めてくるのを待つわけがない。まったく騙すにはしないにしても、わざと神族を襲ってくるように仕向けた可能性はある」
ロキはそこで一息を置いて、「しかし」と続けた。
「まあ、実際に魔人族はそれぐらいしかねない存在でしたから、原因は必ずしも妄信的だった神たちにだけあるわけではありません。魔人には、分が悪くても矜持のためには退かないという異常なまで前進志向がありました。決して退かず、ただ前へと進軍し、敵対者を潰す。――彼らは『良い意味でも強すぎた』し、同時に『悪い意味でも強すぎた』のです」
初代魔人皇テオドールの神族との戦については、サレもいくらか聞いたことがある。
「なぜ最高神はそうまでして魔神を殺しておきたかったんだ」
「今ユウエル陛下から聞いた話を加味すると――『神格』を守るためじゃないでしょうか。『神格』が最も高く在るために、それを超え得る存在を恐れたのでしょう。神格を司る最高神であるがゆえの傲慢で、神族の傲慢が収束した存在で、そして神族の集約的存在。あの『越えるな、超えるな、乱すな』という言葉もそんな傲慢から来ていたのではないでしょうか」
「神格か……」
サレは納得を得る。
自分の予測は正しく、そしてそこにロキの確信染みた推測が加わった。
「なら次だ。さっき〈異族討伐計画〉の名を聞いたが、それがこの物語に関係するのか?」
「――そうですね。それについては今ワタシなりの確信を得たので、また説明しましょう。ここからはジュリアスに命じられた仕事の結果も含めてのことなのですが――」
ロキはジュリアスを見てから言った。
◆◆◆
「どうやらその最高神が〈アテム王国〉と繋がりを持っている可能性があるんですよ」
◆◆◆
「アテム――」
「そう、アテム王国。ジュリアスはアテム王国が今に攻勢を仕掛けてくるだろうと予期し、その先手としてワタシにアテム王国の情報収集を頼みました。――そのジュリアスですら、神族の物語がこんな風に関わってきているとは知らなかったでしょう」
ロキの言葉にジュリアスがうなずきを見せる。
「ああ……思いもしなかったよ。――アテム王国が純人族の国家である以上、神族の力を受け入れているだろうとは思っていた。だからそれらの偵察を兼ねてロキに情報の収集を頼んだ。僕は魔人族を滅ぼしたアテム王国の軍事力がずっと気になっていたからね。たぶん相当格の高い神族の神格者が、アテム王族かその周辺の軍隊にいると予測した」
「あなたの予測は的を射ていましたよ、ジュリアス」
ロキがうなずいた。
次いで、再びサレに視線を移す。
「――〈異族討伐計画〉って、なんか気になりません? おかしさを感じませんか? あなたたち〈凱旋する愚者〉の存在を客観視してみて、違和に気付きませんか?」
ロキは答えを待たずしていった。
「――あなたたちは『神格を超えすぎている』。いくらなんでも、こんなに神格を超える存在がひとところに集まるなんて、少しおかしいでしょう。魔人、竜、鬼、天使。――よく考えてみてください。『因果』を。――原因があって、結果がある」
つまり、
◆◆◆
「神格を超える要素があったから、あなたたちは襲われた」
◆◆◆
「――まさか」
「そしてこれが真であるならば、どこかで聞いたような構図だ。――最高神は神格を超える存在を忌避した。だからテオドール帝を殺した」
異族討伐計画の真意がそれであるとしたら、あまりに似すぎている。
「――とすれば。アテム王国の裏に最高神が潜んでいると疑うのは――」
ロキの言葉に続いたのはサレの声。
「――当然の帰結だ」
帰結。
把握。
理解。
サレは自分の心臓が高鳴る音を聞いた。
「あなたたちを見る限り、襲われた異族は『よくやった』と思います。こうしておそらく、その種族の中で最も『可能性』があった者を逃がしきったのですから」
神を殲す眼に目覚めた魔人皇。
その拳でアスラの神格を割る竜王の血族。
テミスの神格を超える鬼人。
アテナの神格にすら匹敵した天使。
権力のインフレに嘆いていたものだが、それにかくも意味があったとは。
――知らなかったよ。
本当に、思いもしなかった。
「ワタシはジュリアスに頼まれてアテム王国に潜入するついでに、最高神の神界への侵入を再び試みました。――後者は失敗に終わりましたが、前者には多少の収穫が」
「それは?」
「アテム王城に最高神の神界への神界術式を見つけました」
――多少?
どこが多少なのだ。
大きな収穫であるし、かつ、ギリギリもギリギリではないか。
「あれはワタシが昔ヘルメスと解読した神界術式です。――つまりは、たぶん――そういうことです」
「よくバレなかったな、ロキ」
「たぶんバレましたよ。ワタシ自身気付くのが遅れまして、近づきすぎました。生まれてから今までで一番の必死さで逃げましたけど、たぶんバレました」
ロキが人差し指を立てて言う。
「でも『逃げ切れました』。こうして全てを話そうとしたのも、ワタシがいつ最高神マキシアの魔の手につかまるかわからないから、という理由もあります。なのでワタシがどうにかなった場合のために、ヘルメスの遺児たるこの〈メル〉に言伝書を持たせてもあったのですが、ひとまずこうして話せました」
ロキは自分の背中に隠れていたメルの頭にぽんと手をおいた。
「ともあれ、まだ仕掛けてきていないところをみるとマキシア自身が何かしらの準備をしているか。あるいはこうして同格たる『王神ユウエル』陛下が近くにいるから手を出せていないか」
「どちらもだろうな。だがマキシアならやる時は苛烈にやるだろう。準備を終えれば、余がいたとしても動くと思うぞ。――来るとすればそろそろかもしれんな」
それはユウエルにとってなんとなくの『勘』であった。
なぜそんな感覚を自分で得たのかについて、ユウエル自身意識的ではなかった。
やや強引に説明をしようとすれば、三貴神間に働く相互の神格情報の共有がまだ残っていて、それが作用しての『勘』であったのかもしれない。
マキシアはその共有間の揺れを無意識的に感知した。
しかし、数秒後――
神たちは有意識にて知る。
最高神が『動いた』という事実を。
◆◆◆
「――――」
◆◆◆
神族たちが一斉に立ち上がった。
一瞬の挙動だ。
恐ろしさをすら感じる一瞬の動きで、立ち上がった。
すべてが目を丸め、口を薄く開けている。
腕はわなわなと震えてきて、足も同じく震えはじめていた。
ただ一人、宙に浮いているユウエルのみが目を瞑って落ち着いた様相で。
そうして、
ユウエルが言った。
◆◆◆
「今――『神格』の繋がりが切れた」
◆◆◆
神族以外にはそれがどういう意味か即座に理解できない。
「ユウエル……?」
ジュリアスが思わずユウエルに問いかけていた。
「最高神との神格が切れたのだ。余たちから最高格の神格がなくなった。――今、この瞬間に」
「――は?」
「くそ、しくじったな。思ったより手が早い。余がもっとはやくに知れていればとも思うが……しかしそれではもっと早くに神格の接続を切られただけか」
「ユウエル?」
「待てジュリアス。今情報を整理している。――ロキ、今ここにいる神族はすべて『こちら側』だな?」
「おそらくは」
「――自らで真実を証明したか。もう言い逃れはできないな、マキシアよ。真実を知った余たちをもろとも敵にまわすつもりか。――――ハハハ、ハハハハハ!! 貴様は同族をすら神格のために壊すのか!! 本末転倒ではないかッ!! ――狂ったな! 狂ったなマキシアッ!!」
ユウエルが哄笑の後に叫ぶ。
高らかに、怒号染みた、好戦的な――叫び。
「貴様は間違っているぞマキシア!! 貴様のやり方は間違っている!! もっとも上に立つ神が傲慢を極めてはならぬのだ!! なによりそのエゴのために他を下げてはならぬぞ……! 上に立つ神は、神の王はっ、他を引き上げる存在でなければならないのだッ!! 貴様のそれは神族の『後退』だッ!!」
異族や純人族たちには、そこで一体何が起こっているのかを理解することができなかった。
ただ、神族たちの声や動きから、きっとそれがとてつもなく大きなことなのだろうと、そのことだけは把握できていた。