144話 「すべての始まりの物語」(後)
「〈盗みの神〉は息も絶え絶えでした。身体は半分以上が消えかけで、ともすれば口元まで差しかかり、顔も消えていってしまいそうな。どうやら神族は死ぬと身体が消えるらしい。〈戯れの神〉はそのことを知りました。さてそれもつかの間、〈戯れの神〉は驚いて〈盗みの神〉に問いかけました。『何があったのか、どうしたのか』――と」
ロキが一旦そこで大きく息継ぎをすると、その隙間を縫ってユウエルが声をあげていた。
「ヘルメスが……なんということだ……まったく気づかなかった……神界にこもっていた弊害か……! ――どうも余たち神族は神界にこもってから時間の感覚に疎くなりすぎた。こんなにも長い間ヘルメスの不在を気に掛けなかったなど……」
ユウエルの声は悲痛だった。
ロキは一瞬その瞳に悲愴を映し、ユウエルの言葉にうなずいてから話を続けた。
「〈盗みの神〉は消えかけの口元からなんとか声を発しました。彼は言いました。『マキシア様には気をつけろ』――それは最高神の名前でした。そして下あごが消えかけたところで、最後に彼は笑みで言いました。『お前は逃げきれよ』と。そうして〈盗みの神〉は笑みのまま消えていきました。その場に残ったのは彼の神族としての魂の残滓です。神族にも魂などというものがあることを、またその時〈戯れの神〉は知りました」
「なんということだ……ロキ、なぜお前は今までそれを言わなかった……!」
「それはひとえに、私に危害が加わらなかったからですよ。――この意味がわかりますか?」
ロキは続けてユウエルに言う。
「なぜヘルメスに危害が加わって、ワタシに危害がなかったか。ワタシは最高神ではありませんからこれは推測ですが――おそらく、最高神マキシアはワタシがヘルメスから『あの言葉』を伝え聞いていることに『確信』を持てなかったのでしょう。ヘルメスに関しては、マキシアは『確信』を得ていた。『盗神』という神族性質をしっかりと認識していたがゆえの確信です。情報に対する天才的な盗みの可能性を考慮していたのです。『盗み聞く』という言葉に現れる可能性を。だから、ヘルメスにだけまず危害を加えたのでしょう」
「しかしマキシアはあれで用心深いぞ。お前とヘルメスが共に神界に侵入してきたことに何らかの意図は見出していたはずだ。確信がないだけでお前を野放しにするとは思えん」
「それも然りでしょうね。ですから、マキシアは『確信』こそ得られなかったが、確信に近い『予想』は持っていたのだと思います」
「ではなぜお前には危害を加えなかった?」
「『神格者』ですよ、陛下。これもあくまでワタシの予想ですがね? ――最高神マキシアは神族を殺すことによる神格者からの力の消失を気にしたのです。神族を殺してしまえば、その神が分け与えた力は世界から消失する。特にワタシは〈戯れの神〉ですから、恩恵を受ける神格者も多い。なんたってワタシはわりと適当に能力をバラまいていましたからね。強弱のバラつきこそあれど、ワタシの力を借り入れている現界の民は意外と多い」
ロキは両手を広げて妖艶な笑みを浮かべた。
「対してヘルメスは〈盗みの神〉です。ヘルメスは悪辣的な才能の神なのです。世界調停を考慮して〈法神テミス〉やその他の神族との折り合いをつけなければならなかった。ゆえに恩恵を受ける神格者は少なく、またなんだかんだといってヘルメス自身も神格者を作ることに積極的ではありませんでした。『俺の宝物が自分の子分たちに盗まれたらどうすんだよ! 悲しいじゃん! たまに悪い事教えてやってもいいかなっていうクソマジメな奴とかいるけどさ! そういう奴に限って盗みを教えると嬉々として俺の宝物奪っていくんだよ! ちくしょっ!』彼はある意味自らの能力にとても自覚的でした」
ロキは次に楽しそうにヘルメスの演技をした。
「だからこそ、ヘルメスは死んでもワタシほど大きな影響は神格者に及ぼさない。もっと言えば、世界に唐突な変動を顕さない」
つまり、
「最高神マキシアはワタシの死によって世界に急激な変動が起こることを考慮し、すぐに危害を加えることを躊躇った。それによって他の神族が『異変』に気付く可能性があったからです。そういうわけで、すぐには殺さずに注意深く観察しておくことにしたのでしょう。そうしてワタシが『例の台詞』を口走れば、さすがに殺しに来たとは思います」
ついでに言えば、とロキは続ける。
「ヘルメスだってすぐに殺されたわけではありません。それがなぜだかはワタシにも予想がつきませんが、その時間の開きには最高神の『躊躇い』が見て取れます。――ハハ、実に面白い。まるで悩み惑う現界の民のようだ。ここから分かるとおり、最高神はどうやら『究極の神』というわけではなかったらしい。究極的な神ならば、完璧な策略によってワタシにこんな自由を許さなかったでしょうし、ヘルメスを殺すまでの時間的な開きもなかったでしょう。――ユウエル陛下は知っていらっしゃいますか? 最高神が『何を司っていたか』ということを」
「ああ、知っている。だが待て、余のうちで統合してから話す。続けよ、ロキ」
「御意のままに」
ロキは頭を軽く垂れた。
そして頭を上げて、再び紡ぎはじめる。
「ともかく、ワタシはワタシでそんなマキシアの胸中を知っていた。知っていたというと大仰ですが、まあ、これも結果論で、今ワタシがこうして生きているからそうだったのだろうという話です。ヘルメスはワタシに『お前は逃げきれよ』と言った。――その言葉から、ヘルメスは『ワタシに危害が加わるであろうことを』予測していたことが察せられます。消えかけの口で、なんとか数文字の音でワタシに知らせた言葉。ワタシはその言葉について徹底的に考えた」
「……」
いつの間にか、いつもは飄々としているロキから怒気のような色が表れはじめていて、誰もが押し黙った。
丁寧だった口調もややぞんざいになり、声量は高らかになって空へと昇って行く。
「マキシアがワタシを消さない理由をそこから推測し、なぜそんな理由がマキシアの中に生まれたかをさらに推測し、推測し、推測し、いつ自分に魔の手が伸びてくるのかを淡々と予測しながら、ただひたすらにマキシアの胸中を推測した! ワタシが『あの言葉』を他の誰かに言わなければマキシアは手を出してこない。それに確信を得られたのは何百年からしてからだ! それによって漠然と、マキシアはワタシを監視しているのだと推測した! いつ見ていて、いつ見ていないか。その判断はワタシにはつかない。だから――だからワタシは――」
数百年間その情報を胸の内に秘め続けた。
「――長かった! なんと長かったことか!!」
爆発するような雄叫びが、ロキからあがる。
「代わりにワタシは『可能性』を待った! 最高神を神界から引きずりおろし、かつ殺しうる存在が世に揃うまで待った! 中途で我慢が途切れてはいけない! 言った瞬間、おそらく最高神はワタシと伝え聞いた者を殺した! もしかしたらそれによって他の神族たちが異変に気付いて、最高神の行動のおかしさに気を回したかもしれない。しかし気付かない可能性もある。最高神は最初の魔人皇帝を殺した時の言い分さえを騙しきる強者だったから。神族には『前科』があった。最高神に騙されたという前科が。だから今回だって他の神族が騙されないとも限らない。ゆえに――」
◆◆◆
「私は『神族以外』で最高神を殺しうる存在が生まれるのを待った」
◆◆◆
「その存在に気づいたのは最近です。ふと純人族の友人の様子を見にテフラ王国に来てみると、その友人は何やら珍しい異族たちと手を取って派手な舞台を踊っていました」
ロキの視線がジュリアスに向かう。
「〈ジュリアス・ジャスティア・テフラ〉。そんな名前のワタシの友人は、純人族でありながらはじめて『王神』を降ろしうる器を持っていた。まさしく『神域の王子』だ。最高神と同格たる王神を降ろしうる、世界に一人の逸材。これは転機だと思った」
次にロキの視線が向かったのは王神ユウエルの方だった。
「――しかし、王神を呼べたとしても、結局その力は『神族』に依存している。あえて命を惜しまずにユウエル陛下の前で言いますが、ワタシはたとえユウエル陛下であっても、最高神マキシアに欺かれる可能性があると思っていました。神族は結局、『一種族としての神族』なのです。帰属意識もあれば、仲間意識だってある。絶対公平な神など存在しない。創造神でさえもそうであるのに、王神がそうではない理由はない。だからワタシはその転機を一度見放した」
ロキはユウエルに小さく頭を垂れた。
ユウエルはそれを手で制し、「よい」と一言を告げた。
ロキはまた息を大きく吸って、さらに先を紡ぐ。
「しかしその時、〈神域の王子〉と共に舞台で踊る異族を見て気が付いた。ワタシの中ですべてが繋がった気がした。――いたのだ。――『魔人』が!」
次に視線が向かった先にいたのは――サレだった。
「『魔人』だ! 魔人を見つけた! それも神格に迫っている魔人をだ! 〈テオドール帝〉に迫る存在をワタシは見つけた!」
ロキの声は強くその場に響いた。
耳を突き抜け、頭を揺らす魅惑の声。
「――しかしそれでも、まだまだ慎重に。我慢に我慢を重ねたワタシの数百年が一度の失敗で泡に帰すリスクがある。だからワタシは入念に観察をしました。その魔人の周りに『似たような異族たち』がいることを観察し、それによってアテム王国の〈異族討伐計画〉についても思考を巡らした」
その最後の名前に、異族たちの身体がぴくりと反応した。
「とにかく、奇跡的だった。魔人がこのテフラ王国に来て、そして目立つようなことがなければ、そもそもワタシは魔人の存在に気付かなかったでしょう。ましてや、その者があの〈テオドール帝〉の再来のような魔人であるとも気が付かなかったでしょう。――その男が〈テオドール帝〉をすら超える可能性を持っていたことにも、きっと気が付かなかった」
ロキはまだ続ける。
「先ほども言ったとおり、ジュリアスの存在のみではワタシはあの台詞の公開に踏み切らなかった。二人が揃ってこのテフラ王国にいなければ、そして手を取り合っている状態でなければ、ワタシはたぶんそれを言わなかった」
だが、揃った。
「何の因果か、それが揃った。だからこうして――ついに話したのです」
「ロキ――」
ジュリアスが唖然としながらもロキを見つめた。
「でも、そんな長い時の間でも、良いことだってありましたよ。私はヘルメスの魂の残滓をずっと大事に持っていましたが、ついに三年前、そのヘルメスの魂をほんの少しでも受け止めるに足る『器』を見つけました。今までいろいろ試したんですが、神族の転生というのもまた難しい事柄のようで。ともあれ、それを受け入れた器が――この〈メル〉です。メルエラ・スティーラ。道端でのたれ死んでいた純人族の少女の死体が、まさかその器になるなどとは思いませんでした。――この子がヘルメスの再来です。まあ、神格は半分以下ですけど。でも、ヘルメスの神格概念を受け止めるに足りた器なのです」
「あんまり神族として覚醒してしまうと最高神にバレてしまうかもしれませんから、ある意味良かったのでしょうね」ロキは最後に言った。
「それで、ユウエル陛下。最高神が何を司っていたのか、そろそろ教えてくださいますか」
「……」
ユウエルはしばしの沈黙のあとに言った。
紡がれる言葉は端的だった。
◆◆◆
「……最高神マキシアが司っていたのは『神格』そのものだ」
◆◆◆
「――ハハ、なるほど、そういうことですか」
「マキシアは『神格』という神族の優先の力を司っていた。格そのものをだ。神格術式、神族の身体の格、それらをだ」
「アハハハ、わかってきた、わかってきましたよ『陛下』。繋がってきた! あの台詞の意味が!」
ロキが高笑いを始める。
その神族たちの会話をよそに、〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉は自らで思考を回していた。
ロキの話。
魔人族の話。
神族の話。
自分が何か大きな出来事の『因子』になっている。
「おい、ロキ」
サレはロキに問いかけた。
理由は単純で。
――知りたい。
なにが、なにを、どうやって。
自分の生が神族とすら関わっているのなら、それを知りたい。
まだわからないことだらけだ。
だから、
「教えてくれ」
お前は『繋がった』といった。
ならば教えてくれ。
「――俺のことを」
お前が今この瞬間に知りつつある世界の仕組みを。
その情勢を。




