142話 「すべての始まりの物語」(前)
「少し、昔の話をしましょう。できるだけ手短に行きますから、なんとなく聞いておいてください。大事なところでちゃんと時間を取りますからね」
ついにロキが本題に入った。
両手を広げながら、ずらりと座ってならぶ〈凱旋する愚者〉と〈黄金樹林〉の面々を見据える。
加えて一番近く、足元のあたりで座っているテフラ王族の面々と、各ギルドの長、副長を見た。
また、そこにはロキ以外の〈神族〉も座っていた。
先ほど現れた戦神アテナに加え、アテナの招集に従うように他の神々が姿を現したのだ。
完全に姿を曝け出している神が数人、神界術式から半身を出す神がさらに数人と、顔だけを出す神が何人か。
それらが神族であるとわかる者たちからすれば、思わず息を飲んで止めてしまいたくなるような光景だった。
「あらー、ずいぶん集まりましたね。槍神ソルに剣神アレスに鎧神ライラスに――狩猟神と弓神を兼任するアルテミスまで。――あ、名前が似てるテミスじゃないですか。法神が現界にそうやって顔だけでも出してくるなんて、珍しいですね」
「相変わらず減らず口がむかつきますね、ロキ。ちなみに名前が似てるおかげで私はアルテミスさんと仲良くなれたので、名前が似てることにはかえって感謝してます」
凄まじく長い髪を垂らしながら、法神テミスと思しき女がアルテミスらしき白光女性に顔を向け、ぺこりと頭を垂れていた。
次いでまたロキに視線を戻し、
「あと最近私の規律あんまり意味ないみたいですし、もういいかなって。――また泣きますよ」
「ちょっと、唐突に泣くのはやめてくださいよ……あなたの泣き落としワタシ苦手なんですよ……」
ロキが勘弁してくれといって片手を振る。
そのあとアテナに視線を向け、
「それにしても、姉上が呼んだんですか?」
「まあね。おもしろい話なんでしょ?」
「プレッシャーかけてきますね」
「たぶん他の系統の神も見てるわよ。あたしが嫌いな芸能主神の匂いもするし」
「犬みたいですね……」
同じ神族たちは近場に座っていて、やや気だるげな様子だ。
見れば空間のところどころにブゥンと音を立ててまたいくつかの神界術式陣が開いていて、どうやら他の神も音を拾おうとしているらしかった。
レヴィの周りには特にいくつかの神界術式陣が広がっていて、
「うっわ、自然系神族まで来てるじゃないですか。いやですねえ、また私滅多打ちにされたりしないですかねえ」
「大丈夫さロキ! 僕がちゃんと言っておくからね!」
「レヴィ、あなたの言葉はなんだかかえって信じがたいんですよね……その、へたれですし馬鹿ですし……うおっ!」
ロキが言った瞬間、レヴィの周りの術式陣のうちの一つから氷で形成された槍が三本飛んできて、ロキの右足と左足の手前に突き刺さった。石の床を軽々と貫く氷の槍だ。
「〈氷神〉め……!」
「ちょ、ちょっと、〈テレイア〉、だめだよ、今は危ないから手を出しちゃだめだってば!」
ロキの悪態のあとにレヴィが氷槍を飛ばした神界術式陣に向かって慌てて声をかける。
どうやらそのおかげで氷槍による攻撃は止まったらしく、一同は安堵の息を吐いた。
ともあれ、予期せずしてそこに多数の神族が集まろうとしていて、前の方に座っている白光人型や、空中に不気味に展開される神界術式がなんたるかを知る者たちからすれば、やはり絶句ものの光景であった。
また、ジュリアスの隣に目を向けると、そこにも神界術式陣が広がっていた。
まだ神界への門は開いていないが、どうやら天空神ディオーネの神界へ繋がる門のようだった。
「もしかしたら、聞いてるかもしれないからね」
ジュリアスがロキの視線に気づいて、苦笑して言う。
ロキもそれに苦笑を返し、そしてまた前を見据えた。
見ると、このナイアスの中心で起こっているひと騒動を訊きつけた他のギルドの純人や異族たち、はたまたギルドに所属していない住人までも集まってきて、さりげなく混ざりこんでいる。
「なんだなんだなにごとだ、面白そうだな」そう言いながら、お祭り好きたちが集まってきているのだ。
もはやそこは『劇場』のようであった。
超人気の舞台劇を見にきた観衆たち。
客席は前の席から二階席、三階席まで満員で、貴賓には王族までもが参加している。
そんな大人気の劇団による劇。
アレトゥーサ湖の碧い水と、空から降り注いでくる燦然とした日光が飾り付けだ。
カーテンコールは〈戯れの神〉によって。
一礼と共に。
そうして劇は開演した。
◆◆◆
ロキがスゥと息を吸って、聞く者の耳を魅了するような、まるで音楽の神の声かと聞き紛うかのような魅惑の声で、言葉を紡ぎ始めた。
「昔々、あるところに〈戯れの神〉と呼ばれる悪戯好きな神族がいました。彼にはとても仲のいい友人がいました。その友人も神族で、〈盗みの神〉というたいそうけったいな称号を持っていました」
前者はロキ自身のことで、後者はおそらく〈盗神ヘルメス〉のことであろう。
サレたちは内心で補完しつつ、ロキの次の言葉を待つ。
「彼らは神たちの中では生まれたのが後の方で、他のえらーい神たちと比べるとほとんど子供のようでした。そして子供という評に違わず、彼らはどちらも好奇心が旺盛で、そのうえ悪戯が大好きでした。神界にこもってからもたびたび他の神に内緒で下界に遊びに行ったり、他の神の神界に勝手に侵入してはちょっかいを出したり荒らしたり、それはもうやりたい放題をしていました」
「そういやかなーり昔にあんたヘルメスと一緒にあたしんとこ来たわね。すっごくうざかったのは覚えてるわ。神格者からの献上品の戦術書とか武器とか、勝手に持ち出したり荒らしていったりで……」
「ハハハ、その節はご迷惑をおかけしました。――反省はしていませんが」
ロキがわざとらしくケラケラと笑うが、アテナには珍しく「しかたないわね」とため息をつくだけだ。
ロキの話をそれ以上中断するのは避けたようだった。
「そうして何年も何年も、下界で遊びほうけては神界で悪戯をしたりで、他の神たちの間でも有名な悪戯小僧となった〈戯れの神〉と〈盗みの神〉は、ある日とてつもなく大がかりな悪戯をしようと決心しました」
大がかりな悪戯。
その言葉を放った時のロキの声には、力が入っていた。
ロキが身振り手振りを大きくし、話を続ける。
「神たちの中には、〈主神〉というえらーい神たちがいました。主神はとある分野の統括的な存在で、またその大体が神たちの中でも特に早くに生まれた存在でした。そしてさらにさらに、その中でも一線を画した『とーっても偉い神族』が『三人』いました。〈戯れの神〉と〈盗みの神〉は次の悪戯の対象を彼ら『三人』にしました」
瞬間。
ロキの近くに座っていたアテナたち神族が、その肩を急に強張らせて、目をあらん限りに開いてロキに言葉を放っていた。
「あんたまさか――!!」
「ええ、そのまさかです」
ロキは微笑みの様相で、そして続けた。
◆◆◆
「〈戯れの神〉と〈盗みの神〉は、『三貴神』と呼ばれる〈最高神〉〈王神〉〈創造神〉に悪戯をしようとしました」
◆◆◆
その直後だった。
一際大きな神界術式陣がジュリアスの頭上に広がって、すでにその時点で沸々と威の波動を発していたその術式陣を、神たちが一斉に見た。
「まさか」「自ら現界へいらっしゃるなど」そんな声が神族たちからあがり、ジュリアスまでもが、
「〈ユウエル〉、まさか君が自分からこっちに出てくるなんて――」
半ば呆然としていた。
その巨大な術式陣から出てきたのは、顔が白光に覆われて見えない人型だった。
あの〈王神〉だ。
サレたち〈凱旋する愚者〉とセシリアが連れてきた〈戦景旅団〉のギルド員には見覚えがあった。
圧倒的な存在感を重さとして感じるほどの、威圧の波動。
頭をあげているのがつらくなる。
顔を直接見てはいけない。
最も貴い者への無遠慮な視線は、そもそもが許されない。
言われずとも察してしまう。
たとえ白光に顔が隠れていなくとも、ほとんどの者は〈王神ユウエル〉の顔を見れなかっただろう。
そんな神族がジュリアスの頭上から神界の門をあけてふわりと現れる。
ゆっくりと地上に下り、ロキの前に立った。
「――『陛下』」
「面白そうな話だな、ロキ。余も混ぜよ。あの時余の神界へ侵入したことに何か意味があったというのなら、今こそそれを聞こう。どうやら余も聞いておかねばならない話らしい」
「喜んで、陛下。ワタクシめの話を聞いて下さるのなら、ぜひとも」
「余はお前の話は好きだぞ。案ずるな、口先に命を懸けているお前はある意味潔くて、余は好きだ」
「ユウエル様って結構ロキに甘いよな」そんな声が神族たちからあがった。
ユウエルの機嫌が良いことを察知しての言葉だったが、しかしそれでも、発言できていたのは白発光が強い上位の神族たちだけだった。
白光が弱い神族たちは他の異族や純人族と同じく頭を上げれないでいた。
すると、ユウエルが大勢が座っている方向を振り向き、
「『許す』、頭をあげよ。なにも余とて不躾にお前たちを断罪しようとはせぬ。それに、豪奢な劇に遠慮は不要だろう。娯楽は貴賤なく楽しんでこその娯楽だ」
言うと、その場から威圧の重さが消えて、「マジかよ、すげえなこれ」「どういう原理なんだ……」などという声と共に、異族や純人族たちが頭をあげた。
ユウエルの顔には白光が掛かっていて見えないままだが、なんとかその姿を目視できるくらいには頭をあげることができていた。
「さて、あとは〈ディオーネ〉だな。まだへそを曲げておるのか。初期に生まれた天空神だというのに、まったく。中身が一向に成長せぬな、あやつは」
「僕が彼女の制止を振り切ってしまったから」
「だからといってあやつ自身が選んだ道を、いまさらないがしろにするのはやや無責任というものだ。ジュリアスに率先して憑いたのはあやつであるのに、今それを放棄してどうする」
ユウエルは首を傾げてため息を吐いた。
顔は光に覆われたままであっても、その顔が苦々しげに歪んでいるのはなんとなく察することができた。
「――ディオーネ、ディオーネ。そろそろ出てきたらどうだ。ジュリアスが余の力を使ったことついては済んだことだろう。ジュリアスとてお前に対する責は感じておる。それで許してやれ」
ユウエルがまるで喧嘩をしていた子供をあやすかのように、そう声をあげた。
すると――
ジュリアスの顔横に広がっていた神界術式陣がぱっくりと割れて、中からディオーネが姿を現した。
目は逸らしていて、その幼い身体は内心を表すかのように微妙にひねくれているが、もうすでに半分ほどが術式陣の中から出てきている。
「ディ、ディオーネ――」
「べ、べつにまったくジュリアスの責に気付いていなかったわけではない。私とてどうしようもなかったことは分かっているし、ジュリアスならそうしただろうとも予測はできていた。だが納得ができなかったんだ」
ディオーネは視線を逸らしたままでいう。
「お前は〈ガイア〉とは真逆だな。ガイアは精神の発達が早かったが、お前はまだまだ子供っぽいところがある」
「貴様から見れば大体がそうだろう」
「まったく、何度いっても貴様貴様と――はあ、ほんに困った娘だ。生意気にもほどがあるぞ」
「う、うるさい」
いつかの二人のやり取りと比べて、今日の二人はずいぶんと親しく見えた。
それは友人と言うよりも、父と娘という感じで。
前は有無を言わさずディオーネを切り捨てていたユウエルだが、あれが状況によってそういう立場になっていたことをサレたちは知った。
神族たちのほとんどが王神ユウエルのことを『陛下』と呼ぶのに対し、生意気を指摘されながらも『貴様』と呼べてしまうディオーネは、やはり神族の中でも相当に上位の存在であるのだと皆が察していた。
「ディオーネ、僕を許してくれ。君が言ったとおり僕は猪突する癖があるから、どうしても引き下がれない時があるんだ」
「わかっている。私も大人げなかった。悪かったよ、ジュリアス」
恥ずかしそうに笑うディオーネと、嬉しげに笑うジュリアス。
それを見ていたユウエルが、
「よし、これでひとまず良しとしよう。さあロキ、話すが良い」
「陛下陛下、なんだかワタシの影が徐々に薄くなってきてるのですが」
「それを口で挽回するのがお前の性分だろう」
「善処します……」
ロキがうなだれた。