119話 「観覧尾行戦」【後編】
「プルミは気付いているかしら」
マリアはシオニーが密偵を追っていく姿を見て、そんな言葉を浮かべていた。
――たぶんこれは三重に尾行されてるわね。
マリアの内心にはプルミエールと同じ思いが浮かんでいた。
「釣られているのは私たちの方かしらねぇ……」
なんとなく、そんな気がした。
うまくいきすぎなのだ。
自分たちの諜報的錬度をまっすぐに認めているからこそ、違和感を覚えた。
――いろんな角度から観察できるようにって、ギルド員をバラけさせたことがかえって仇となったわね。
わざわざ固まって尾行するのもどうにも間抜けだ。
もちろん程度にはよるが、バラけるのは当然として。
だが、いうなれば今回はバラけすぎた。
それが仇となった。
――とっさに指示が出せないのも、ちょっと困りものだわね。
密偵を追っていったクシナもシオニーも、戦闘力という点に関しては疑いなく、一人でも無事に帰還するくらいはこなすだろう。
〈戦景旅団〉との戦闘を経て、それくらいの確信は持った。
それに、彼女たちは獣人系異族で、生への執着には篤い方だ。危機察知能力はのきなみ高い。
もし危険を察知したならおとなしく退くことを選ぶだろう。
だが、不慣れな諜報戦にいたっては、少しその個人的な行動力の高さが仇となる。
「まあ、犬と猫だし、玩具があれば飛びついちゃうわよねぇ」
やや表現が歪曲していることは自覚しているが、およそその言に間違いはないとも思う。
あの二人は目の前にエサをぶら下げられれば、独断が許されているに限り、たぶん飛びつく。
だから、今の自分のように疑りすぎとも思うほどに現状を疑う者がいるとすれば――
「プルミと、トウカかしら」
しかし、マリアの予想は一つ外れる。
マリアはその視界の端に、また別の密偵らしき者を追っていくトウカの姿を見た。
「まあ……トウカも脳筋だものね……はあ……」
マリアは苦笑しながら手のひらで額を押さえた。
◆◆◆
しばらくして、マリアのもとにプルミエールが現れた。
あたかも歓楽区を歩いているただの住民とでもいうかのような体裁で、ボロ目のローブとフードをかぶり、さらに首から翼の上半分までを覆い隠すような巨大なストールを巻いて、ゆっくりと歩いてきたのだ。そしてマリアのいる建物の陰にするりと身をすべり込ませていた。
「よかった、あなたは釣られなかったのね」
「まあね。高貴だもの。――で、やっぱりあれ、わざと私たちの目に留まるように動いてるわよね」
プルミエールは自尊の言葉も手短に、マリアと情報を整合させる。
「そうね……たぶんだけど、私もそう思うわ。こっちが二重尾行していることを知って、こっちの尾行を剥がすようにわざとああやって見つかっているんだわ。向こうも一人ずつ使ってきているのを見ると、こちらの細かい人数まではわかっていないのでしょうけど」
「向こうもおそるおそる、って感じかしら。まあ、一手目は上回られたみたいだけど」
結局、こちらが二重尾行をしかけようとしているという事実は先に知られてしまった。
まだ細かい情報が渡っていないだけマシだとも思いつつ、
「となると、まだいくらかわざとらしいのが来るわね。――どうしましょう、副長とマコトを呼び戻して、一旦退くべきかしら」
「フフッ、珍しく弱気ね、マリア?」
すると、プルミエールが小さく笑ってマリアの顔を笑みで覗き込んでいた。
「そうかしら」
「そんな感じよ。――いいじゃない、これはこれで。ある意味成功みたいなものよ? だって、向こうがこっちを注視しているって事実もつかめたんだもの」
プルミエールが再度笑みを浮かべたあと、軽く吐息をついて、続けた。
「――姉の尻ばっかり追ってるシスコン女かと思ってたけど、ちゃんとこっちにも目は向けていて、それでいて手を打つくらいの意識は持っているって、そういうことだもの」
「それはそうね」
「だったら成功じゃない。私たち、唯一つっかかれそうな〈黄金樹林〉の動きが知りたかったのよ? だから、動きがあったこと自体は『成功』だわ。――まあ、尾行戦には負けたかもしれないけれど」
「犬と猫と鬼があの様子じゃね」とプルミエールは続けた。
「これだけの動きを見せたってことは、たぶん向こうもさらに大きく動いてくるわ。三重尾行を使ってまでこっちの二重尾行を引きはがそうってんだから、あそこにいるサレとマコトを狙っているんでしょうね」
「なら、マコトの妖術はバレていないってことね」
「そう。だからそれも成功のひとつってことね。向こうは二重尾行に気づいておきながら、それでもここで、あそこの『アリス』をなんとかしたいんだわ。それだけ行動を急ぐ理由か、もしくは強行策にでるだけの自信をもってるのよ。――だから、待つのよ」
天使は笑みを妖しく変化させて言った。
「いまにこの『我慢対決』に耐えられなくなって、向こうが仕掛けてくるから」
向こう側はこちらの尾行の精確な人数を把握していない。
ゆえに、今行っているこの『引き剥がし』をまだ何度か行ってくるだろう。
これみよがしに密偵をちらつかせて、『追ってこい』とケツを振る。
で、それを追っていく者が見られなくなったら、おそらく向こうは、
「もう二重尾行は引き剥がしきったと判断して、本当の一手を打ってくる」
それを待つのだ。
そして、
――そこにある危険は一つ。
プルミエールはその危険についても当然認識の手が及んでいた。
だから、至極真面目に謝罪の言葉を紡いだ。
「――サレとマコトには、悪いことをするわね」
危険。それは、受け身になることで相手の初手を許してしまうという危険だ。
見てから間に合えば一番良いが、こちらもそれが本当の初手であると確実に見極めてから動きたい。
もしそれが偽りの一手ならばまた相手の思うつぼだ。
だから、
「――悪いわね」
そうプルミエールは繰り返した。
――でも。
「なんのために『あんた』がそこにいるのか、それはわかってるわよね」
遠くからサレに言う言葉。
「あんたが絶対にマコトを守るのよ」
それはある意味で、最も信頼をおいた点。
「あんたなら、ちゃんと守れるでしょ?」
だから、
――頼むわよ。
そうプルミエールは内心に浮かべて、自分は自分の役割を果たすべく――決心を固めた。
◆◆◆
視線が――たぶん三つほど。
小さな威圧感とでも言おうか。
ともかくすこし表現が難しい――むずがゆさを伴うような感覚。
それが三方向から向けられている気がする。
サレは内心に確信染みた思いを得ていた。
さすがに感覚のみで精確な数や、明確な方向がわかるわけではないが、
――アリスじゃあるまいしな。
なんとなく、という程度に感じられてはいた。
サレは表情を柔らかくしたまま、マコトと一緒にペースを乱さずに歩き続けていた。
「んー……なんか、消えては現れたり、不思議な感じだな」
一方で、自分の予想とはかけ離れ、その視線たちは一向に正体を現さない。
それどころか、見られているという感覚が途切れたり、また別のところから現れたりと、せわしなさすら覚える。
――マリアやプルミエールたちがもしかしたら裏で諜報戦でも繰り広げてるのかな。
自分たちの知らないところですでに新しい闘争の火蓋が切られているのかもしれない。そう漠然と予想する。
「まったく私には感じられないぞ。いつも思ってるんだが、お前らの感覚器はいったいどういう構造をしてるんだ? ――まるで野生の獣だな」
マコトが言いながら、
「いや私が獣人であることを考慮すれば、野生の獣以上だな、お前らの察知力は」
マコトはしばらくして緊張も解けてきたようで、口数も徐々に増えてきていた。
まだサレの手はぎゅっと握って離せないものの、少しも身体の震えは収まってきて、歩き方からもぎこちなさがとれていった。
「そっちに集中して気を張ってるからね」
それと、
「万が一すら、絶対許さないつもりでやってるから」
全精力をかけて、それこそ必死で、周りに気を配っているのだ。
「まあ、かといってかたっ苦しくなるのもかえって不自然だから――」
緊張と脱力のバランスだ。
はたしてちゃんとうまくバランスをとれているのかは周りから見なければわからないから、深く考えるのはやめておこう。
「――そうか。じゃあそっちはお前にまかせるからな。自分からいうのもなんだか図々しい気がするが――ちゃんと守ってくれよ」
マコトがほんの少し笑みを浮かべて言った。言ってすぐに、
「あっ、アリスってあんまり笑った顔見せないから、今の不自然だったか?」
「微笑はセーフだと思うよ。あとはあくどい笑みもセーフだな」
「あの絶妙な微笑みはだそうと思ってだせるもんじゃないだろ……」
「そうかもね……」
二人は同時にうなだれ、しかしすぐに姿勢を正した。
◆◆◆
それから十分ほどだろうか。
新しい動きが、サレとマコトを中心として顕現されていく。
◆◆◆
ひときわ大きな人の波が、サレとマコトの前に生まれていた。
時間帯による変化だろうか。どこからか聞こえてくる教会の鐘の鳴る回数が増えていくほどに、人の数が増えていった。
日中の仕事を終えたものたちが、その仕事を切り上げて歓楽区に遊覧にきはじめたのだろうか。とにかく、歓楽区というだけあって、夜へ近づくほどに人が増えてきている。
そうして増えた人垣の中に、その大きな波が生まれていた。
波の中へつっこむのは気が引けたが、街道を見れば両端にまでその波は広がっていて、まっすぐ歩こうものならどうしても通過せねばならないようだった。
「うわぁ……もみくちゃにされそうだな」
マコトがその人の波をみてうんざりしたように言う。
対してサレは、
「揉まれるほどのもんは――」
「それ以上いったらぶっ殺すぞ」
「反応早いな……」
少しの冗談を言うくらいの余裕はもっているようだった。
「――でも、少し警戒しようか。どさくさに紛れるにはうってつけな人の波だ」
「そうだな」
「ほら、もうちょいくっついてよ。離れ離れになったら大変だ」
「お、おお、おう。くくくくっつけばいいんだな?」
――なにを意識してるんだわたしは。ひとりで馬鹿みたいだな。
マコトは内心に思った。
内心の逡巡もほどほどに、マコトはサレにうながされるままに身体をあずけ、寄り掛かるようにしてくっつける。
服越しにサレの体温が伝わってきて、少し胸が高鳴った。
その状態のまましばらく歩いて、ついに人の波に接触する。
――うっわ。
サレにくっつけていない方の身体側面に、通りすがる人の肩があたったり、交差するときに誰かが背負っていた荷物の角があたったりと、なかなかの衝撃が発生していく。
そうして身体を襲う衝撃におもわず胸中で声をあげる。
避けようにも身体を動かすスペースすらなく、
――んっ。
悪いとは思いながらもサレの方により強く身体を押し付けることしかできなかった。
できるだけ周りの波にさらされる身体の体積を小さくしようと、サレの方に寄りかかっていく。
その温もりを感じさせる身体と、自分の手を握ってくれている彼の手が、自分にとっての命綱だ。
当のサレの方は、この人の波にさらされてもなお、まるで身体の芯がブレていなかった。
どれだけ身体をあずけても、よりかかっても、確かな力の反発が返ってくる。
まるで強風にも揺らがない巨木のようだった。
――すごいな。
自分がこれだけ身体をあずけているというのに、まるで体勢が揺らがないサレの力強さを肌の向こうから直接感じて、マコトは胸中に感嘆の声をあげた。
――……もうすこしか。
その体勢のまましばらくすると、ほんの少しだけ人の波の荒々しさが弱まって、巨大な流れの終点を予想させる。
もうすこし我慢すれば一息つけそうだ。
そう思った。
背が高くないから人の波が本当に向こう側で切れているのかは確認できないが、たぶんそうだろうとは予測できる。
その安堵に、強張っていた身体が少し和らぎ――
しかし、
「――おっ、ちょっ」
そこで突然、サレに肩を強く抱き寄せられて、おもわず変な声が漏れた。
――えっ? なになに!? いきなりなにっ!?
一体なにごとかとマコトが少し頬を上気させながらサレの顔を見上げると――
そこには赤い瞳を不穏な光に輝かせているサレの顔があった。




