120話 「見敵追走戦」【前編】
――来た。
サレはひとり内心に確信を覚えていた。
――間違いない。
敵だ。
なぜなら、
「――斬られた」
自分の左腕に、裂傷が生まれていたからだった。
◆◆◆
マコトを左腕で抱き寄せた瞬間だ。
人の波にまぎれて、殺意の視線がこちらに向けられたのを、サレは一歩早く気付いていた。
つまり、向こうが手を出してくるより先にサレは敵の攻撃を察知したのだ。
ゆえに、サレは攻撃が飛んでくるより先にまずマコトを自分の懐に抱き寄せた。
彼女の身体を守るように自分の身体で覆い隠し、まず彼女の安全をはかる。
その数瞬後、ことは起こった。
サレはマコトを抱き寄せた方の腕に熱い感覚が走ったのを感じた。腕の表面を走る異物感もだ。
斬られたという漠然とした認識。それでも焦ることなくその方向へ目を向ける。
しかし、斬られてから見るという刹那の動作間に人外染みた反射速度を見せたサレでさえ、自分の腕を斬った者の姿は捉えられなかった。
代わりに、
「うおっ」
「きゃっ」
「なんだなんだ」
などと、自分の左後方から通行人たちの声があがるのを聞く。
つまり、
「――あっちか」
自分たちの前からきて、通りすがりに刃物をひらめかせ、そしてそのまま抜けるように後方へ逃げていったのだろう。
――これで相手の動きを見るという一番目の目的は果たせたな。
殺意に気付いた瞬間にマコトを抱えて逃げることもできたが、それでは向こうも明確な行動を起こさなかっただろう。結局、どれが『本物』かわからないままただ漠然とした敵意だけを知ることになる。
必要なのは相手の姿を見て、あわよくばそれをきっかけに狩りをすることだ。
その巣をさがして、もろごと狩る必要がある。
だから、
――このくらいの傷はくれてやる。
あとはこの全体の動きをどこからほかの仲間たちが観察してくれていることを願うばかりだ。
「――サレッ! 腕が!」
「大丈夫だよ、マコト」
すると、サレの腕の傷に気付いたマコトが悲痛な声をあげた。
サレは彼女を安心させるように微笑を浮かべて答える。
そして、次にサレはマコトを抱えあげた。
背に手を回し、仰向けに寝かせ、そしてその膝の裏にもう一方の腕をまわし、ホールドする。
横抱き――俗にいうお姫様抱っこだった。
「お、おっ?」
「さて、もう動きは見れたし、マコトを安全な場所へご招待しようか」
「お、おう。なななんかちょっと恥ずかしい体勢だな、これ」
「そう?」
「ま、まあ意外と乗り心地は悪くないから気にするな、うん」
マコトはサレから顔をそむけてそう言った。
そうしてサレはマコトを抱いたまま大きく跳躍し、宙で一瞬だけ『黒翼』を微解放して、人の波を一気に飛び越えていった。
まわりからは「おお」やら「なにあれ」やら興味津々といった感じの視線や声があがるが、その姿は家々の屋根を蹴ってどんどんと離れていってしまって、通行人たちの視線も結局はすぐ切れてしまった。
◆◆◆
サレの願いどおり、サレの腕を斬りつけた敵をプルミエールとマリアは追っていた。
プルミエールは白の六枚翼をはばたかせて低空からその姿を追い、マリアは軽いステップを踏みながらその姿を追っていた。
軽いステップとはいってもその一歩は動作の軽さとは対照的に、やたらに大きな跳躍だ。その一歩で十数メートルを飛ぶように走っていた。
マリアの足元をよく見ると、一歩を踏む瞬間に足の下で砂が舞っていた。
まるで地面から巻き上げられるような舞だ。
またマリアの着ている服がふわりふわりと不自然に舞っていて――
――風の精霊の力を借りてるのかしらね。
プルミエールは横目でちらりと眼下のマリアを見、そんな思いを抱いていた。
一方で、背を向けて逃げている敵の姿はせわしない。
「んー……」
どうにも少し、頼りない姿だ。
それにプルミエールは違和感を得て、
「んー……もしかしてアレも『捨て駒』かしら……」
そんなことを思った。
だから、
「――マリア! アレ、あんたにあげるわね。私ちょっと別の用事思い出したから、この鬼ごっこから抜けるわ」
「えっ!?」
言った。
すぐさま眼下のほうから驚いたような声があがるが、しかしその声は、
「――わかったわ」
次の瞬間にはなにかを察したかのような従順な答えで返ってきていて。
プルミエールはマリアに一度手を振り、来た道を引き返し始めた。
◆◆◆
「相手が手練れだとわかっていたら、私ならどう動くかしら」
――どう差し向けるかしら。
プルミエールは来た道を戻りながら内心に言葉を浮かべた。
――普通だったらこちらからも手練れを送るかしらね。
力の差がありすぎればそれはまともな勝負にならない。
まるで相手が動揺しないほどの力量差ならもっともで、意味すらもたないだろう。
だから、最低でもその存在にすがりつけるぐらいの者を送る。
その自分の価値観を信ずれば、あの頼りない感じの敵は、
「やっぱり、捨て駒よ」
断定する。
断定して、さらに思考を進める。
なら、次に敵がとってくるであろう一手は――
「仮初の一手に、二手に――さすがにそろそろ本物の『打撃』かしら」
二重尾行の引き剥がしのための『姿さらし』。
さらに用心深い尾行を引きはがすための『実動攻撃』。
そうして獲物の庇護者を剥がして剥がして、裸になったところで――本当の打撃。
そんなところだろう。
「――アハハ」
プルミエールは不意に笑いがこみあげてきて、空を錐もみ状に回り飛びながら笑い声をあげた。
――わかった、わかったわ。
なにがといえば、
「今は私たちが『恐れられる側』になってるのね」
今までと逆の立場になっているのだ。
さきほどまでの敵の行動予測。まるでそれは、
「まともにやりあっても敵わない相手に、幾度も幾度も手を重ねて、どうにかこうにか勝とうっていう――低き者から高き者への勝利への動き」
まさしくそれだ。
「アハハ、思ったよりも殊勝なことじゃない、〈黄金樹林〉」
狩る側と狩られる側という区切りとはまた別の、新しい区切りだ。
力量的に、純然として勝っている側と――負けている側。その区切り。
〈凱旋する愚者〉から見た〈戦景旅団〉。
テフラ王国から見たアテム王国。
純人から見た異族。
弱い者から見た、強い者。
そんな物の見方をしているがゆえに、強き者を屈服させるためにありったけの手を尽くす。
下から上を剋するために。
――なら、油断はできないわね。
己の不出来を自覚しながら、それでも高き者に対抗しようとする低き者は、たとえ小さくとも油断ならない存在だ。
「私たちがそうだったもの」
プルミエールは認識を改める。
「なら私たちは――今だけは高き者として、低き者を潰さないとね」
――下から引っ張るんじゃないわよ。後ろから引っ張るんじゃないわよ。
私たちは、
――崖下に落ちる気なんか、さらさらないわ。
胸中に抱いて、プルミエールは飛翔する速度を速めた。
その日、歓楽区を歩いていた住人たちは、空から「プチッっと潰すわよおおおアハハハ――!!」という奇声を聞いた。
◆◆◆
――う、うおおお! 景色が過ぎ去るのがはやあああい! ――なにこれこわあああい!
マコトは今すぐにでも叫びをあげたい気分だった。
サレに横抱きにされて幾分。
その腕に抱かれたままだということは、サレの移動速度に同期しているということであって、
「んっ、ちょっ、あのっ、ねえっ、んあっ」
「ん? ちょっと揺れる?」
身体がガクンガクン揺れる。
サレが家々の屋根を蹴るたびに、衝撃がサレの身体越しに伝わってくる。結構な衝撃だ。
サレはサレとてこちらに衝撃を与えないように気を遣っているのだろうが、
――やっぱこいつらの身体駆動ってどうかしてるよな!!
魔人のちょっとが自分にとってはちょっとじゃないらしい。獣人系異族として純人よりは耐久的に優れているはずだが、それでも魔人と比べると劣るようで。
すると、次にさらなる衝撃が身体を襲った。
急にサレが大きく横っ飛びしたのだ。
ボッっとなにかが燃え上がるような音を聞いた直後、視界がすさまじい速さで横に流れた。
――はあん。
次いで、なされるがままに身体が急制動をかけられ、思わず胸中で変な声をあげてしまう。
いったい何が起こったのかと視線を周りに向けると――まずサレの背中に黒い翼が生えているのが映った。
直後、そのサレの口から言葉が紡がれる。
「――ああ、なるほど。……そういうことか」
「ど、どうしたんだ?」
当人はなにか「してやられた」という風な雰囲気で言葉を紡いでいる。
「マコト、すこし揺れるからちゃんとつかまっててね」
「えっ――おいっ、まっ――」
『待って』という前に、サレの身体が再び高速で動きはじめ、マコトは急いでサレの腰に抱きついた。
――爛漫亭に帰りたい……。
そうして揺れに耐えながら、胸中でそんなことを思っていた。
◆◆◆
サレはマコトとの会話中に、突然自分の身体の横の方から飛んできた『銀色の矢』を視認していた。
つまるところ、
――攻撃だ。
すんでのところでそれに気づいて、黒翼を解放させて空中で方向転換を図る。
自分たちが進む軌道を読んで放たれたと思われるその矢は、黒翼で無理やり方向転換をかけたおかげで眼前三メートル先ほどを通過し、彼方へと消えていった。
「――」
サレの脳裏ではそれまでの情報が統合されて、思考が逡巡していた。
――攻撃。
――二重尾行。
――三重尾行。
ややこしい。
だが明確なのは、
「向こうも向こうで、なかなかに用心深いな……!」
さきほどのどさくさにまぎれた攻撃も、おそらくは敵のフェイクだった。捨て駒による攻撃だ。
そうしてこちらの尾行を剥がしていって、裸になったところに本命の一撃を加える。
――そんなところだろうか。
一応それらをすべて考慮しても、最終的な『騙し合い』にはこちらが勝っている。
なぜなら向こう方はまだ、
――マコトを本当のアリスだと思っているからね。
だから、その点に関して――つまり事の発端に際しての根本的な騙し合いに関しては勝っているのだ。
マコトの妖術が彼らを上回った。
「その点はマコトの勝ちだね」
「お、おおおおおお揺れるうううううう!」
こちらの声が聞こえているかは定かではないが、とりあえず褒めておいた。
「まあ、それはそれとして――」
現状で攻撃を受けているのも事実だ。
この攻撃の糸をたぐりよせれば、最終的には敵の巣までいけるかもしれない。
本当に今の攻撃は本物かは追ってみなければわからないだろう。
これだけ用心深く手を重ねているのだから、これ以上があってもおかしくはないだろうと思えてくるの事実だ。
とにかく、実際に奴らを追うためには――
「――ギリウス!! パシられてくれよ!!」
まずはマコトを安全な場所に移さねばならないだろう。
――役割転換だ。
そうしてサレは、空へと向かって声を張り上げていた。




