110話 「魔人と白虎の間に」
「それで、私たちは何について話そうとしていたのでしたっけ?」
「ア、アリス……それは素なのか……?」
「やや嫌味が間接的でしたね。回りくどくしすぎるのも問題だと今学びました」
「直接的過ぎると死人が出るからバランス良くね」
「ええ、バランス良く殺りましょう」
――どことなく言葉のニュアンスがおかしい気がするが、この際ほうっておくことにしよう。
サレは独りごちてうなずいた。
アルミラージの一件のあと、場の収束を待っていたら、結局時計の針が正午を回ってしまって、そうゆっくりしていられなくなった。
どうしても抜けられないというわけではなかったが、そもそもいまだに〈凱旋する愚者〉の経営事情は芳しくなく、サレなどの役割が特化しているギルド員をのぞき、その他のギルド員は定期的な外部活動に勤しんでいる。
そういう用事が正午を回るとそれぞれに舞い込んできて、
「あ、俺そろそろ外で仕事の時間だ」
「俺も最近取引が順調で」
「私も固定客ついたのー」
ギルド員たちがそんな声をあげはじめていた。
そういうわけで、アリスがテフラ王城で得てきた情報を簡単に説明しつつ、それを踏まえての今後の動きの予想を各自の『宿題』とし、最後に解散を宣言した。
◆◆◆
「いいなー、いいなー、なんかみんなナイアスのわいわいした生活になじんでて羨ましいなー、あー、いいなー」
「うっせえぞサターナ。気が散る」
「えー、だってー、みんな生活してるって感じで楽しそうじゃんー」
人気の少なくなった爛漫亭の大広間で、サレは椅子に座り、上半身を机に突っ伏して落ち着かない様子で言っていた。その両足は床から離れてバタバタとせわしなげに動いている。
机を挟んで正面には珍しくクシナが椅子に座っていて、手元でなにやら作業をしていた。
「ねえ、クシナは何してんの? それ」
「なんでもいいだろ」
見ると、膝元になにやら派手な色の布を敷いて、その布に光る針を通している。
細かく何度も何度も針を布に通していた。
よく観察してみると、針の尻には細い銀糸がくくられていて、布を通すごとにその表と裏に銀糸が結びついていっている。
刺繍のようだった。
「あれ、クシナって『実は家庭的でした』みたいなポジションだっけ? 刺繍とかできたっけ? ねえねえ、だっけ?」
「あーもう! うっせえな!」
サレがしつこく問いかけ続けると、クシナが苛々した風に手を止め、サレを真っ向から見据えた。
目元に掛かった白の前髪を手で払い、改めてサレに言う。
「俺が前に暮らしてたところの伝統工芸みたいなもんなんだよ。俺が着てる着物の裏に虎の刺繍入ってるだろ。――それも自分で縫ったんだ。虎刺繍って、名前は馬鹿みたいにそのままだけど、結構四方に売れてたんだよ」
「へー」
「ホントに虎ばっか縫うんだけど、同じ虎でもやたら技法やら種類は多くてな。これが他地方とか、特に他大陸で高く売れるっていうから、よく長距離貿易商が来ては高値で買ってったんだよ。んで、ためしに外で露店開き始めたギルド員に商品として一個渡したら、また結構な値で売れたらしくてな」
「すごいじゃん」
「だからたまに縫って商品にしてんだよ。わかったか、このバカ」
「クシナが良いお嫁さんになりそうなことがよくわかったよ」
「お前自分から訊ねたんだから人の話はちゃんと聞けよ……!」
「ちゃんと聞いたら自分の無能さに悲嘆するだろ……!!」
――クシナでさえもギルドの経営の手助けになることをしているというのに……!
「お前、今心ん中ですげえ失礼なこといってそうだな」
「言ってない言ってない」
サレがまた机に突っ伏すと、クシナは軽く息を吐いて、再び作業に戻った。
しばらく無言の間が続いて、今度は珍しくクシナの方から口を開いていた。
「お前はべつに……そのままでいいだろ」
「んー?」
クシナは針を持つ手を止めず、視線は布と針に向けたままで、言葉を紡いでいた。
対するサレは机に突っ伏した姿勢で顔を少し横にずらし、クシナに視線を向ける。
「お前はいいんだよ。――他の奴らをいつも助けてんだから」
「はは、俺は俺ができることをしただけだよ」
サレは軽く笑って見せる。
「そうだ、お前にはそれが『できる』んだよ。――俺には無理だ。俺から見たらお前は十分良くやってると思うよ。俺にできないことをやってみせてるんだからな」
「そうかなぁ」
「そうだっていってんだろ」
「まあ、できることをしてるっていうのもあるけど、俺の場合はしたいからやってる、って面もあるからねー。できるって確信がなくても、結局俺は動いちゃうと思うんだ」
サレは机に突っ伏したままで続ける。
「それって実は結構危ないことだって、客観的にはわかってるつもりなんだけど」
したくて、やって、でも出来なかったら、
――終わるんだ。
このギルドのメンバーに関しては誰だってそういう状況にいるって、わかってはいるけど、
「自惚れでも、俺は副長だからねー」
「――そうだな」
クシナはサレの言わんとすることを察していた。
「お前が越えられない壁があったら、たぶん、そこが俺たちの終着点になるだろうな」
「おー、結構ハッキリいってくれるなあ」
「んでも、そんときはせめて壁に穴でもあけてから崖下に落ちろよ。その穴使って俺たちはうまいこと壁をすり抜けられるかもしれねえからな」
「……それ俺は落ちてるよね? ねえ、それだと俺は崖下真っ逆さまだよね?」
「言葉どおりだ」
「厳しいなあ……」
「お前だけじゃねえから安心しろよ。その壁に穴をあける役目がお前じゃなくて俺の場合もあるだろ。もしかしたら他の誰かかもしれないだろ。でも俺たちは結局、その役目が来たら迷うことなくつっこむしかねえし、言わなくても勝手につっこむようなやつばっかだろ、このギルド。なんたってバカばっかだからな」
「かもねー……あの時から何も変わってないなぁ」
断崖絶壁にいると皆が自覚した最初の時から、ギルドを結成したあの時から、立ち位置はまだ変わっていない。
少しは前進したかもしれないけれど、後ろを見ればそこには崖が見える。
――なかなかどうして、険しい道だ。
「でも、そうだな――」
するとクシナがふと手を止めて、机に突っ伏したままのサレの頭を見つめて言った。
サレの視線は広間の窓辺に向いていて、外の景色をなんともなく眺めているようだった。
「お前が落ちる時、一人が嫌だってんなら――俺が一緒に落ちてやるよ」
どことなく声が上ずっていることにクシナ自身は気付いていて、その妙なぎこちなさに自分で恥ずかしくなって頬が上気するような感覚がしたが、当のサレはそんな内心の機微に気づかなかったようで、
「はは、それは嬉しいけど、俺のせいで誰かが一緒に崖下に落ちることになるのは気がひけるねえ」
窓辺に顔を向けたままで、そんな答えが返ってきた。
「――まあ、お前ならそう言うだろうな」
クシナは心の片隅で安堵して、そしてまた逆の隅で少し悔しがって、軽い笑みを浮かべた。
◆◆◆
「ねえ!! 見てよ!! 見なさいよ愚竜!!」
「んー、なんであるか、プルミ。我輩今忙しいのである。我輩この翼を生かして配送業でも始めようかと思うのであるが、今その料金設定とか細かい部分をであるな、考えているのであってな」
「そんなちんけなのどうでもいいから!! あれ見なさいよ!! 愚虎と愚魔人!! 新しい組み合わせよ!! そしてついでに言うなら愚虎がぶっ込んで敗走したみたいよ!? いいわ!! いい負けっぷりよ!!」
「ぬし、ホントに最悪の意味で抜け目ないのう……」
「あら、そう言いながらあんたも覗いてるじゃない、トウカ?」
「んぬっ、べ、べつにわらわは覗きなぞしておらんぞ? たまたま目に入っただけじゃ」
「我輩、横からあえて言うのであるが、トウカのそれは我輩でもスルーするのツラいのである」
「黙っとれ、ギリウス」
「う、ううむ、ここも強権政治である……」
ギリウスの嘆息が大広間横の廊下に響いていた。
ギリウスはその手に一枚の紙を広げて持っていて、まじまじとその紙に描かれている文字に目を通している。
「ふむふむ、このグリフォン配送とかいうところは他と比べて割高であるが、配送速度に優があるわけであるな。ううむ、我輩とどっちが飛ぶの速いのであろうか」などと一人で呟いていた。
そしてそんな呟き声をあげるギリウスの首裏には、プルミエールが肩車されている形で跨っていて、大広間への入口からふとサレとクシナの姿を見つけるやいなや、ギリウスの頭をバンバンと叩きながらわめいていた。
叩かれるたびにギリウスの頭が揺れ、その振動でギリウスの持っている紙もくしゃくしゃと音を立てて、一定のリズムを刻んでいた。
「文字がっ、縦にっ、揺れるのでっ、あるっ」ギリウスが叩かれるリズムで口ずさむ。
さらに二人の隣にはトウカが珍しい蒼の着物を着て歩いていて、同じく広間の中を覗きこんでいた。
「プルミ、我輩の肩に乗るのはいいがあまり頭を叩かないで欲しいのである」
「なんでよ、ここに乗ってるとあんたの頭すごく叩きやすい位置にあるのよ」
「あとさすがに少し恥じらいというものをであるな……」
「仮にも立派な女性であるのに我輩の肩に素足放り出して乗っているというのも……」とギリウスは続けるが、即座に、
「私は何してたって高貴だから恥らう必要なんてないじゃない?」
という超理論が返ってきて、ギリウスはまた嘆息した。