108話 「死後の再会者」【中編】
「私はかれこれ六年ほどサフィリス様の従者をしておりました。自分で言うのもなんですが、おそらくもっとも長くあの方に仕えている従者でしょう」
「そうだね。サフィリス姉さんは気に入らなければすぐに捨てるから。いや、捨てるというより『見なくなる』というべきか」
「ええ、サフィリス様に悪意はないのでしょうけど、興味がなくなればまるで『見なくなる』と思います。ともあれ、私は幸運にも六年もの間あの方に仕えることができました。本当に幸せでした。母の汚名を雪いでくださったという恩義もありますし、なにより私自身、あの方の奔放さに憧れを抱き、その孤高さに一種の崇敬の念すら抱いておりました。いつからか命を賭してもこの方を守ろうと、そんな尊大な想いまで抱いていたほどです」
「実際にお前は命を賭してサフィリスを守ったがな」
サレが真面目な声音で言う。
「守ったなどと、そんな大層なものではありません」
アルミラージは首を横に振った。
そうしてすぐに、話を続ける。
「そうした過ごさせてもらった六年の従者生活の間で、私はサフィリス様の危うさを見ることがありました」
「……」
ジュリアスは声こそあげなかったが、同意を示すかのように小さくうなずきを見せていた。
「特に、〈キアル第一王子〉殿下がお亡くなりになってから、その危うさは日に日に顕著に現れるようになったと思います。あの方は――」
アルミラージはそこで不自然に言葉を切った。
そして、その下唇を自分の犬歯で噛み、
「――『坂に落とされた球』なのです。止まらないし、止まれないのです。その坂が無限に続くならば、どこまでもどこまで加速して下り続ける球なのです」
葛藤の末、なんとか決心したといった具合に、再び言葉を吐き出しはじめていた。
「おそらくキアル殿下がご存命であらせられたうちは、キアル殿下がサフィリス様の滑落を止めてくださっていたのでしょう」
「サフィリス姉さんはキアル兄さんの言葉だけはちゃんと聞いていたからね。どうしてかはわからないけど、少しの反抗を見せても、結局最後はキアル兄さんの制止の声に従っていたよ」
「仰るとおりです。しかし、キアル殿下がお亡くなりになってから、サフィリス様を止めて下さる方がいなくなってしまいました。おこがましいながら、当初は私がその代わりをと、あくまで従者という立場からではありますが、サフィリス様の行き過ぎた疾走を止めようとしました」
アルミラージは自虐気味に笑って見せた。
「結果はごらんの有り様です。あの方を止めるどころか、あの方のお傍にいるという従者としての役目も全うできずに――私は死にました」
「……」
言葉の間に沈黙が走る。
その沈黙を切り裂いたのはアルミラージ自身の声だった。
「ですが、可能ならばもう一度サフィリス様に仕えたいと思います」
力強い声。
ジュリアスが自分のことのように嬉しそうに、アルミラージに声を掛けた。
「君みたいな従者を持てて、サフィリス姉さんは幸せ者だね」
「もったいないお言葉です」
アルミラージはジュリアスに頭を垂れたあと、さらに続けた。
「――しかし、私はサフィリス様のもとへ再び戻る前に、一人の『テフラ人』として、サフィリス様のことを見極めようとしました。これもまた、元従者としておこがましい、尊大な行いであると自負しておりますが、ですが今の私はただの死族です。従者としてのアルミラージは一度死にました。今だからこそ見えるものもあります」
ジュリアスはアルミラージの真剣な言葉を聞きながら、胸中で一人思う。
――本当に、君は他に比類するものがいないほど、サフィリス姉さんの従者として完璧だよ。
自分をおこがましいと卑下するアルミラージだったが、ジュリアスにはかえってそれこそがアルミラージの忠誠の顕れであるように思われた。
アルミラージの言を借りて言えば、逆に、従者でもないただの『テフラ人』でありながら、サフィリスをここまで深く敬愛し、サフィリスのために何か行動を起こそうとしているのだから。
「――ただの『テフラ人』としてはっきりと申し上げます」
ジュリアスが内心で思っていると、ついにアルミラージが語気を強くして結論に迫ろうとしていた。
「サフィリス第二王女殿下は『王』に向きません。あの方に玉座を取らせてはいけません。キアル殿下がたとえご存命であったとしても、そもそもサフィリス様には王を務めることができなかったでしょう。それほどに、あの方に『王』は向いていないのです。あの方は――」
すると、不意にアルミラージが顔を床に向け、その表情を誰にも悟らせないように机に軽く突っ伏した。
そして、震えた声で、
「ただ自由気ままに、笑って、好き放題をしていればいいのです。それには王という地位は邪魔になりますし、また、それゆえにあの方を王という器に触れさせてもなりません。今のサフィリス様を王の器に触れさせてしまえば、テフラ王国が無くなってしまうかもしれません。それはだめです。あの方はテフラ王族なのです。あの方の手で、その故郷たるテフラ王国を潰させてはなりません」
それは曲がりくねった思いだった。
おそらくいくつもの逡巡と葛藤が混ざり合って、そういう結論に行きついたのだろう。
そんなぎこちない言葉。
「もし今の歯止めの利かないサフィリス様に王位が渡ってしまえば、あの方はその場の『享楽の狂気』のままにテフラ王国をアテム王国に売るやもしれませんし、そのような極端な方向でなくても、今のテフラ王国の秩序をすべて壊してしまうかもしれない。他意などなくても、思いつきでそれを実行してしまえる狂気じみた『決断力と行動力』がサフィリス様にはあります」
「――そうだね」
「万が一、万が一それがうまくいったとしても、その次は? またその次は? 三度うまく行くことなどまずありえないと私は思います。いかに天運に恵まれたとしても、せいぜい二度が限界でしょう」
アルミラージは意を決したように勢いよく顔をあげ、ついにジュリアスの瞳を真っ向から見据えた。
「だから、今のうちに止めなければなりません。そのために、私はジュリアス殿下にお願いをしにきました。どうか、サフィリス様をねじ伏せ、此度の闘争からの脱落を――王位を巡る『しがらみ』からあの方を解き放ってください」
「――本当に、『それだけ』でいいのかい」
「――っ」
ジュリアスもアルミラージの瞳を真っ向から見据え、そして訊ね返していた。
その表情は真剣そのもので、有無を言わさぬ厳格ささえ見て取れた。
いつもは柔和な微笑を浮かべていることが多いジュリアスをして、その強烈な意志の乗った表情は、アルミラージの心臓を嫌に高鳴らせた。
面食らったように顎を引き、アルミラージは一瞬言葉に詰まる。
だが、ほどなくして続けた。
「可能ならば、あの方に『自身で止まることができる力』を――」
「……一度にそこまで持っていけるかどうかについて、正直僕は断言できない」
アルミラージの嘆願に対し、ジュリアスはそう前置いた。
「なぜなら僕は、一応君より長くサフィリス姉さんと一緒に過ごしてきたし、彼女の幼少期から引きずる本質のようなものを、僕自身では確信してしまっているからだ。でも、同時に、まったく彼女を変革できないとも思わない」
ジュリアスははっきりとした物言いでアルミラージに言う。
アルミラージはジュリアスの言葉を聞いて少し悲しそうに眉尻を下げたが、それでいてしっかりとしたうなずきを返してもいた。
「だから、もし一度でサフィリス姉さんに『自身で止まることができる力』を身に着けさせられなかった時は、僕の考える次点の手段を使おうと思う」
「次点の手段……ですか?」
「そう。段階の問題さ。つまり、『誰かに止められて、止まることができる力』を身に着けさせることを目指そうと思う」
「それは……ですが、誰が止めるのですか? 亡きキアル殿下をのぞいて、誰かにあの方を止めることなどできるのですか?」
アルミラージの問いにジュリアスは即座に答えた。
「君だ、『アルミラージ』。君がサフィリス姉さんを止める者になるんだ」
「私……ですか?」
アルミラージは目を丸めてジュリアスを再度凝視する。
「そうだよ。何もおかしなことはないじゃないか。僕は君ほどサフィリス姉さんを大切に思っている従者をかつて見たことがないし、ここ六年ほどの間でいうならば、誰よりも『最近の』サフィリス姉さんの傍にいたのは君だ。僕なんかほら、いろいろ投げ出して一人フラフラしてたくらいだしね」
ジュリアスはようやく表情を緩めて、自虐的に笑って見せた。
「他の王族も似たようなものだと思うよ。特にキアル兄さんの死のあとは露骨に距離を取っていたからね。キアル兄さんの死のあと、最後の防波堤を失ったサフィリス姉さんの傍にいたのは君だ。だから、君が適任だと僕は思うよ。もちろん、君がこれからもサフィリス姉さんの傍にいようと強い意志をもっている前提の話だけどね」
「私の意志は先ほども申しあげたとおりです殿下。私はもう一度サフィリス様のもとであの方にお仕えしたいと思っております」
「はは、まあ一度死んでもなおそう思うくらいなら、間違いはないだろう」
「あとはまあ――」ジュリアスが続ける。
「実を言えば、君がサフィリス姉さんの前で一度死んでいるというのが何かのきっかけになるかもしれない。本人の前でこんなことを言うのもなんだけどね」
「いえ、使えるものならなんでも使います」
「うん。君は死んでたから――言い得て妙だけど――知らないと思うけど、君の死でもって、サフィリス姉さんは『退いた』んだよ。あの時、サレの前から『退いたんだ』。正直内心で驚いたけど、君の死でもって彼女は止まった。これは収穫の一つだと思うよ」
「そうなのですか……」
ジュリアスの言葉を聞いて、アルミラージは複雑な表情を浮かべていた。
嬉しそうな、しかし一方で困ったような――
「さすがにサフィリス様を止めるたびに死んでいては何度転生しても命が足りませんね」
「何度も死ぬのも楽じゃないしな」
ふと話を聞く側にまわっていたサレが、やけにしみじみとした様子で口を挟んでいた。
「なんだかサレのその言葉には真に迫る感じの迫力があるね?」
「そうだろう? なんたって経験に基づいているからな。俺以上に連続死亡記録を持ってるやつなんかそうそういないぞ」
そういってサレは自慢げに高笑いを続けた。
そこで一旦話は切れて、一同は各々に「なんでこう、俺たちの周りには特殊なのばっか集まってくるかね」や「なによ、すっごいロマンスじゃない!?」などの声をあげ、わいわいと騒がしい空気に戻っていった。




