107話 「死後の再会者」【前編】
「はじめまして、〈凱旋する愚者〉のギルド長さん」
「はじめまして」
「僕の名前は〈シルヴィア〉。ここからそう遠くない場所で、しがない道具売りをしているんだ。君のところのメンバーにも商品を買ってもらったことがある」
「これはご丁寧に。〈凱旋する愚者〉のギルド長を務めているアリス・アートと申します」
「うん、突然押しかけてすまないね。今日はちょっと用があって――」
淡々と二人の少女の間で話が進んでいって、それを見ていたサレは思わず内心に、
――なかなかに不思議な空間だ。
そう思っていた。
アリスもシルヴィアも、お互いにどこか似た空気を纏っている。
特に顕著な同質性が、その表情の変化の少なさと淡々とした会話のペースにあった。
むしろこれが普通の会話の拍子なのかもしれないが、普段やたらと会話に横やりを入れる者が多いこのギルドにいると、普通というものが途端にわからなくなる。
思いながら、またサレは二人の会話に集中した。
「はて、なんでしょうか」
「実は――あ、ちょっとまって、そこにいるのもしかしてジュリアス殿下?」
「ん?」
シルヴィアは魔女帽子のつばを指で持ち上げて、広間の隅っこのほうで壁に背を預けて状況を静観していたジュリアスを見た。
そのジュリアスの顔には少しの驚きが混ざっている。
「ナイアスで僕に『殿下』ってつけるってことは、普通のナイアスの住人じゃないね?」
「あっ、いや……」
ジュリアスが特に敵意のない柔らかな笑みで言うと、シルヴィアは「しまった」という表情を浮かべた。
だが、その狼狽えも一瞬で、すぐさま襟を正して続きを紡ぎはじめた。
「――白状するけど、僕は前にアリエルにいたことがあってね。それで、まあ色々、テフラ王族についても知識があるわけで。――あるわけです」
「無理してかしこまらなくていいよ。それにしても、アリエルからナイアスに降りてくるっていうのも珍しいねぇ」
「それもまあ、『色々』で」
「――そっか。うん、君が言いたくないならそれでいいよ」
ジュリアスがまた笑って言った。
そうして二人の間の会話が途切れ、またシルヴィアがアリスの方を向き直る。
「話を戻すと、僕の『連れ』が君たちに用があるみたいなんだ」
「連れ……ですか」
「そう。すぐに会わせると問題がありそうで……こうして僕だけが来ているんだけど」
「含んだ言い回しですね。問題というのは――」
アリスが首をかしげる。
対するシルヴィアは次にどう言うべきか悩んでいるかのような、思案気な仕草を見せていた。
「ああ――もう、めんどくさいなぁ。あ、ごめん、今のは君に言ったんじゃなくて、その連れに対していったんだ。……うーん、やっぱり直接あった方がいいと思うんだよなぁ」
シルヴィアはぽりぽりと魔女帽子の上から頭をかくと、今度は困ったように唸ってみせた。
「よし、やっぱりその連れもつれてくることにするよ。断言しておくけど、決してその連れは君たちを害するだとか、そういうことはないから。その点は安心して? それにまあ――周りにこれだけ手練れがいれば、まともな実力者ならまず手を出さないと思うし」
「ふむ。――わかりました。シルヴィアさんがその方が良いと考えるならば、どうぞなさりたいようになさってください」
「ありがとう。じゃ、連れてくるから少し待ってて」
そう言い残して、シルヴィアは黒いローブの裾を床にこすりつけながら、とてとてと爛漫亭の玄関口へと走って行った。
◆◆◆
いくばくかして、彼女が戻ってくる。
その後ろに一人の『男』を連れたって。
その『男』の姿を見て、まず真っ先に、サレが真面目なトーンで驚愕の声をあげていた。
「そんな馬鹿な――」
そんな声だ。
続いて同じように驚愕の声をあげたのはジュリアスだった。
「まさか――なんで君が……」
そして、二人の声が重なり、
「〈アルミラージ〉!!」
叫びとなって爛漫亭に木霊した。
◆◆◆
その男は見覚えのある顔をしていた。
灰色の髪で片目が隠れている整った顔つきの男。
服装もあの時のまま、正装と呼ぶにふさわしい清潔な白のもので、腰にかけている剣の鞘も同じく『あの時』のままだった。
その男の名は『アルミラージ』。
サレがその眼の破壊術式で殺したはずの男だった。
◆◆◆
「あの時お前は俺が〈殲す眼〉で――」
「――死にましたね」
サレの震えた声での言葉に、アルミラージらしき男は答えた。
特に表情の変化はないが、どことなくそこに居づらそうにしているようにも見えた。
続いてジュリアスがアルミラージらしき男に近づき、その肩に触れた。
「本当に……本当にアルミラージなのかい……?」
「はい、ジュリアス殿下。サフィリス様の忠実なる僕、〈アルミラージ・ランドネーヴ〉です」
「どうして君が……あれはとてもじゃないが生き残るような傷では……」
そうだ。
ジュリアスの疑問の声を聞きながら、サレは自身の中の確信の言葉を反芻する。
――頭を〈殲す眼〉で吹っ飛ばしたんだぞ。
竜族でさえも死ぬであろう傷だ。
即死に決まってる。
だのに、
「なんで……生きているんだ?」
「私はあなたの力で死にましたよ。間違いなく、『死にました』。ですが、そこのシルヴィア様の死霊術によって『死族』として生き返ったのです」
「ほ、本気で言ってるのか」
「本気です。現に私はあなたの目の前にいるでしょう?」
アルミラージは恥ずかしそうに笑ってサレに言った。
サレはまだその言葉を完全に信じきることはできなかったが、そのままでは話が先に進まない。
ひとまず自分の疑心を押さえつけて、無理やりに現状を納得させることにした。
「――ま、まあそういうならそういうことにまずはしておこう。……で、こうしてまた俺の前に現れたのはなんだ、復讐にでも来たのか?」
「はは、それもまた刺激的でおもしろそうですね。――サフィリス様風に言うと、ですが。しかし、私はそうは言いません」
サレの心臓は高鳴っていた。
かつて自分がその名のもとに、その責任のもとに命を奪った相手が、再び目の前に現れるという通常ありえないような状況に、頭も体も、混乱の極みに達しようとしていた。
まるでそんなサレを落ち着かせるかのように、アルミラージが柔らかな笑みを浮かべて言い聞かせる。
「そもそも、私とあなたは対等な位置にいます。私は、あなたが命を賭して守ろうとしていたギルドの長に危害を――精確に言うと死んでもいいくらいのつもりで――加えようとしましたし、あなたはあなたでそれを阻止すべく、敵対者である私の命を刈った。お互いに対等な行動をしたのですよ。その結果、あなたが勝り、私は負けて死んだ。あなたは死を背負う責任を負い、私は命を失うという責任を負った。――ただそれだけです」
「あ、ああ……」
芯の通った言葉に、サレはやや気圧される。
「ですので、私が死んだ時点で、私とあなたの敵対者同士という関係も清算されたはずです。――安心してください。私はあなたに復讐しようなどとは思っていません。まして、もう一度やりあったところで、とてもではないが勝てそうにありませんから」
最後に恥ずかしそうに笑いながらアルミラージが付け加えた。その顔はいたって普通の好青年の如きで、とてもではないが復讐者の顔には見えなかった。
サレはまだたじたじとして、しかし、とりあえずアルミラージの言葉を聞いて落ち着いたようで、
「そうか……。――それで、なら今日はどういう要件で来たんだ?」
少し声を落ち着かせながら、話の続きを促せるくらいにはなっていた。
「話すと長くなりそうなので、一応そちらのギルド長に許可を頂きたいのですが」
そう言ってアルミラージはアリスを見る。
当のアリスは何がどうなっているのか皆目見当がつかないようで、
「はあ。よくわかりませんが、サレさんとジュリアスさんの声音を窺うかぎり、なかなか重要そうな話ですね。なら、今はそちらに集中するとしましょう」
やれやれという体で両手を開き、大きなため息をついていた。
◆◆◆
アルミラージ・ランドネーヴ。
サフィリスが十代半ばの頃に、その従者として彼女に仕えはじめた空都アリエル出身の高級貴族の子息。爵位持ちで、死亡時は子爵位を有していた。
爵位持ちでありながら誰かの従者という位置に収まっている理由は、
「私があの方をお慕いしているからです。ただそれのみです」
「これだけ個人的な情報を知っているってことは、やっぱりアルミラージ本人で間違いないね……」
ジュリアスはいくつかの個人情報をもとに、再度アルミラージの本人照合を行っていたが、確信は強くなるばかりであった。
「なあ、ちょっとぶり返すようで悪いんだけど、俺はお前の――アルミラージの頭を吹っ飛ばしたよな?」
「ああ、うん、死体に頭はなかったね」
「俺、世間に疎くて死族ってのがどうやって生まれるのか知らないけど、死体に頭がなくても……その、こんなにきれいに元通りになるものなの?」
サレが疑問を投げかけると、アルミラージの隣で椅子に座って足をぷらぷらと投げ出していたシルヴィアが答えた。
「普通はならないよ。死族も色々だけど、基本的には魂回帰で元の身体に回帰していく、っていう場合がほとんどだから。つまり頭が吹っ飛んで死んだ人が死族に転生するとなると、基本的にはそのまま頭のない身体で死族になるよ。しかも回帰させた魂って死体の頭とか心臓部に戻る場合が多いから、定着位置が見出せなくて失敗することも多い」
「その理屈だとアルミラージも頭のない身体になるんじゃないの?」
「僕が使った死霊術はまったく新しいものだからね。その理屈の外にあるものなのさ」
シルヴィアはそう言いながら、指先に紫色の燐光を発する光の玉を作り出し、器用にくるくると宙に飛ばして見せた。
指を回す動きに呼応して、紫燐光の光玉が同じ色の軌跡を作りながら駆けまわる。
「僕が使った死霊術は元の死体を使わずに、『魂の記憶』から新たな身体を錬成して、魂をそこに定着させるっていう手法なんだ。まあ、前提条件として死亡者の魂を特定するのに遺体は使ったけど」
「そんなこと可能なのか?」
「んー……たぶん使えるのは僕だけかなぁ。術式開発したの僕だし」
「えっ?」
「ん? だから僕が一から作ったんだよ。いろんな術式書を読んだけどあんまり参考になるのがなくてさ。そもそも死霊術って禁忌的な側面もあるし、表だった情報が少なくて。だから他のルートから研究して、自分で作ってみたんだ」
「マジで?」
「マジマジ」
あいかわらずの無表情で、サレの調子に合わせた言葉を返すシルヴィア。
対してサレの方は驚きが隠せないようだった。
そうしてサレがさらに言葉を紡いでいく。
「ちょ、ちょっと術式見せてくれない?」
「お金取るよ?」
「抜かりないな……」
「一応ナイアスの商売人だからね。この街じゃ善意だけで商売はできないのさ」
「でも気になる……!」
「まあ、お願いに来たのは僕の方だし、そこらへんを踏まえて安くしとくよ。――銀貨十枚」
「――よ、よし、分かった……払おう!」
サレは欲求の充足と金銭の喪失を天秤にかけ、結局金を払って術式を見せてもらうことにした。
「一分間ねー」
「よし、まかせろ、一分でパクってやる」
「できるものならどうぞ」
サレが懐から出した小さな革製の硬化入れの中身すべて――ちょうどため込んでおいた小遣いが銀貨十枚――を涙ながらにシルヴィアに差し出し、それを受け取ったシルヴィアは枚数を数えて確認すると、それを懐にしまっておもむろに片手を机の上に開いて置いた。
「いくよ」
気だるげな掛け声と共に、一瞬にしてシルヴィアの小さな手のひらから術式陣が展開される。
紫色に明滅をするその術式陣は、複雑かつ膨大に机全体に広がり、さらに机の脚を降りて床にまで広がり、ついには壁に到達して天井にまで昇って行った。
一瞬にして爛漫亭一階の大広間が不気味な紫色の術式部屋に早変わりし、奇怪な幾何学模様と膨大量の文字列に覆い尽くされる。
それを見ていたサレ以外のギルド員は、即座に術式を解析するのを諦めたようだった。
当のサレも最初は面食らったように眉をあげていたが、すぐさまその表情が真面目な物にかわり、赤の瞳から走る視線が、めまぐるしく周辺を滑っていく。
「――」
「へえ、一応ちゃんと読めるんだ」
――散々初代様の黒炎術式を解析していたおかげか。
視覚から入ってくる術式の情報に集中しつつも、残った理性でサレが内心に言葉を浮かべる。
複雑さと膨大さ、それに自分の知らない術式理論が使われている点で、どちらも似たようなものだ。
だから、そういう術式を解読する手法には多少の自信があった。
――あったが、
「――」
読めば読むほど頭が混乱してくる。
とてもじゃないが一分でこれを解読するのは不可能だ。
サレはついに諦念を感じ取っていた。
「だあー! これは無理だ! 一分でこれは無理がある!」
「残念でした。――ま、いい線いってたと思うよ」
「これ自分で一から作ったの?」
「そうだよ。それなりに時間は掛かったけど」
サレはその言葉を聞いてまた驚く。
今の術式は黒炎術式とまではいかずとも、ともすればそれに匹敵しそうなレベルの複雑さと膨大さで、
――これを一代で開発したっていうことは、実はすさまじい使い手なんじゃ……
シルヴィアを見ながら、サレはそんな予想を抱いた。
「そのうえ、〈精霊眼〉も持ってるんだろ?」
「まあね」
この小さな黒づくめの娘は、自分が思っているよりもだいぶ恐ろしい人物なのかもしれない。
サレはその点に確信染みたものを抱いた。
「ま、そういうわけで、これの実験台を探して墓地を荒――た、探検してたらたまたま新しめの墓石を見つけてね。それで試しに死体を掘り返――拝借して使ってみたら成功して、彼が生まれました」
――あ、こいつたぶん自分の目的のために他をかえりみないタイプだ……
「で、死族として蘇った彼が僕にどうしても取り付けてほしい橋があるっていうから、こうやって君たちとの懸け橋になったわけ。一応記念すべき僕製の死族一号だし、お願いは聞いてあげたいなあって思って」
「そういうわけです」
「アルミラージもアルミラージで生前と比べるとちょっとフランクになったね……」
「そうですか? 死族に転生したという実感はあまりないので、そう変わらないと思いますが」
「ま、まあいいか。僕として素直に君が――その、生き返ったといっていいのかはわからないけど、ともかくこうしてまた話ができるようになったのは嬉しく思うよ」
「光栄の至りです、ジュリアス殿下」
アルミラージが一度ジュリアスに向かって頭を垂れた。
「うん。それじゃあ、そろそろ本題に移ろうか。君がこうして死族として再び僕たちの前に現れた理由については納得がいった。では、君がなぜ、すぐサフィリス姉さんのところへ行かずに、あえて僕たちのところに来たのか。その理由を聞こうか」
「……はい」
ジュリアスの言葉を受けたアルミラージは一度深く目蓋を伏せ――
その胸に抱いていた切実な思いを語り始めた。