音なき実験場
貴族のいる建物の外周には、吐き気がするほどの見張りが配置されていた。
だが一歩、中へと踏み込んでしまえば、拍子抜けするほどに人の数は減っていく。
そして最奥、貴族の居室があるというフロアに至っては、異様なほど静まり返っていた。
不用心すぎる――そう思ったのも束の間、背筋に冷たい感覚が走る。
この屋敷に住む女は、痛みに快楽を見出す異常者――
嬲ることに執着し、逃げられぬように壊していくのだという。
そんな女が、いまこの奥で息をひそめている。
何をしているのか。何を待っているのか。
――あるいは、逃げ場のない檻に獲物を追い込むために、静けさを演出しているのかもしれない。
壁には豪奢な装飾品。銀の燭台に、微かに揺れる蝋の灯り。
けれど、そのどれもがどこか歪んで見えた。歪んでいるのは目か、それともこのフロアの空気か。
人の気配はまるでない。
まるで“ここから先は別の世界”とでも言いたげに、空気の密度すら変わった気がした。
オレは地図を取り出す。
この長い廊下の先――そこが、貴族の私室だ。
オレは廊下を走り抜けようとし――いきなり上から殺到した殺意に総毛だった。
オレは、ほとんどただのカンで体をよじる。首元をかすめていく何か。
その攻撃を躱すことが出来たのは、ただの偶然だったのかもしれない。
避けた勢いで体勢を崩し、廊下に転がってしまう。
「おいおい、嘘だろ~」
すぐに身を起こす。
刀を抜きつつ声の主を見ると、幽鬼のような青白い顔をした、背の高い男が廊下に立っている。
まるで死神のように落ちくぼんだ目。長い髪。
胸のはだけた黒い装束に身を包み、異様に長い剣をこちらへ向けた。
「今いったい、どうやって躱したぁ?完全に殺ったと思ったがなぁ」
オレにもわからねえよクソ。
死にかけた事実に心臓はドクドクと痛み、冷や汗が頬を伝う。