殺せない
飛ぶように駆ける。日本での自分に関する記憶は無いものの、この疾風のような身のこなしは一体、なんなのだろう。
「あれか・・・」
バーの店主に教えてもらった貴族の館が、グングンと近づいてくる。デカい。敷地面積が学校くらいありそうだ。
敷地内に視線を走らせると、私兵らしき鎧姿の者から、いかにもアウトローな連中まで、様々な見張りが配置されている。ここからパっと視認できるだけでも30人近く。屋敷全体では何人いることやら。立派な門の前にも当然見張りがいる。さらに敷地全体が高さ5mほどの柵で囲まれている様子。
オレはまるで習慣でついそうしてしまったかのように、見張りの視線を盗んで、壁を駆け上がるようにして柵を飛び越えた。なぜ自分がこんなことを出来るのかは分からない。見張りの数が多いわりに拍子抜けするほどあっさりと侵入し――5mの柵を駆け上がる人間は普通はあまりいないだろうが――邸内の木の陰に身を潜める。
呼吸を整える――。生ぬるい風が頬を撫で、木の葉がさわさわと揺れる。庭のあちこちから虫の鳴き声が響き、遠くではフクロウのような鳥の声が聞こえる。空にはぽっかりと浮かぶ月。深呼吸を一つして、意識を研ぎ澄ます。
周囲を確認する。貴族の館に侵入しようとする者などまずいないのか、それとも警備の人数に油断しているのか。見張りたちは緊張感に欠け、あくびをする者や、ぼんやり立っているだけの者もいる。
木陰から邸宅までは五十メートルほど。ゆっくり進めば見つかる距離だ。だが走れば音で気づかれないか?しかも途中に一人、どうしても邪魔になる見張りがいる。あいつだけは、なんとかするしかない。
――やるしかない。
祈るような気持ちで木陰から飛び出す。標的が気づかないこと、周囲の者が顔を上げないことを願って、音を殺して駆ける。
すぐ目の前に、標的の背中。刀を抜き、振りかぶって――
・・・・・。
アレ、こっからどうするんだ?
振り下ろすのか、無抵抗のコイツの頭に、コレを?
ちょっと待て。だって、そんなことしたら、死んじゃうじゃないか――
一瞬、思考が停止して体が固まる。何か異様な気配でも感じたのか、見張りがこちらを振り向いた。
「しまっ・・・!」
「・・・!?」
とっさに刀を首筋に押し当てる。やばい。叫ばれたら終わりだ。
「静かにしろ・・・!!騒げば殺す」
「なっ・・・ちょっ・・・」
低く凄みのある声で恫喝し、見張りを邸宅の壁際まで押し込む。
「他の見張りの配置は分かるか? 見つからずにシャーロットという娘の居場所まで案内しろ。騒げば殺す。断っても殺す。見つかってもその場でお前を殺して逃げる」
刀をぐっと押し込み、わずかに首筋を切る。血が一筋垂れる。
「わ、わかった・・・! わかったから落ち着け!」
動揺している・・・ように見えて、やはりズブの素人では無いのか、このような状況でも男は少しずつだが落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。マズイ。舐められたら終わりだ。焦り、考え、覚悟を決めると、俺はニタリと笑って言った。
「落ち着いてるさぁ。お前が裏切った瞬間、喉をかっさばく。それだけの話だァ。ヒッヒッヒ」「あっあっあっ、裏切って欲しいよぉお〜、殺したいよぉお〜、血を啜りたいよぉお〜。今まで、数えきれないほどの人間にそうしてきたようになぁ〜」
こちらも必死だ。目をカッと見開き、眼球をぐりぐり動かし、舌を突き出してレロレロやってみせる。もし俺が見張りの立場なら、こんなヤツに刀を首に押し付けられたら絶対に逆らわないだろう―――。




