不安は人を殺す
日本刀を静かに鞘へと納め、大きく息を吐いた。
――分からない。
この世界のことも、自分自身のことも。
まるで輪郭が滲んでいくような、不確かな現実のなかに俺はいる。
今の暮らしに、不満があるわけじゃない。
ソアラは俺に懐いてくれている。
髭オヤジのゲラルトも、俺を頼り、気を使ってくれる。
それはとても掛けがえのないことのような気がするのだ。
仮に、彼らに何かしらの打算があったのだとしても。
……でも、なんなのだろう。
今、俺が感じている、この得体のしれないドロッとした思いは。
まるで、真綿で首を徐々に絞めつけられているような。
……いや。この感情は、知っている。
記憶がなくとも、体が覚えている。
そう。これは――不安だ。
今は成り行きで、なんとか生活を送れている。
けれど、それも自分の命を担保にしてるだけのこと。
明日には殺されていても、おかしくはない。
しかも、この先に何の保証もない。
あてもない。
この身は異邦人。
今の生活が終わった時、もし命があったとして――
俺は、まともな仕事を見つけられるんだろうか。
仕事場で、まともに扱ってもらえるんだろうか。
アジアンフェイスじゃない人間が、スラム街に身を落としてるようなこの街で。
考えれば考えるほど、先行きは暗い。
……それどころか、そもそも異世界転生?
現実にそんなことが起こるはずがない。
これは、何かの事故で植物人間状態の俺が、ベッドの上で見ている夢。
冷静に考えれば、それが一番可能性が高い気がする。
普段、考えないようにすることは出来る。
けれど、脳裏では知ってしまっている。
ふとした時に思い出してしまう。
たまらなくなって、懐の酒瓶に手を伸ばす。
この世界で目覚めた時から持っている、不思議な酒瓶。
飲み干してもしばらくすれば、いつの間にか中身が補充されている。
やはり、夢かも知れないなと苦笑しつつ、栓をあけてグビグビと飲み干す。
……不安は、人を殺す。
心ってやつは、ほんとうに不合理だ。
不安なんか感じなくなれば、少なくとも今だけは、少しは楽しくやれるだろうに。
いつか来る不幸を思って、楽しくやれるはずの今をも不幸に感じるなんて――
つくづく、馬鹿げてる。
「そこで酒が必要になるってワケだ」
空になった酒瓶を懐に収め、新たな酒を求めて――
また俺は、夜の街をさまよい始めた。
◇◆◇
「来てしまった……」
見上げると、あの場末の酒場がそこにあった。
スラムと歓楽街の境界にある、少しだけ哀しい、あの店。
シャーロットと飲み交わした、夜の記憶が、月明かりにぼんやりと浮かんでいた。




