第七話 金の瞳の竜 異世界へ飛ぶ その4
「七日、一週間ですか……」
ナギさんは顎に手を当てて考え事をしているようで、チラチラと鏡の方に視線を送っています。
「あのナギさん」
「あっ、はい。ごめんなさい考え事を―― 」
「鏡の向こうにいる人と直接相談なされても、構いませんよ」
「えっ、何を言っておられるのですか?」
ナギさんの額から汗が吹き出しました。
嘘をつくのが苦手なようですね。
「ですから、鏡の向こうにいる人とご相談なされたらいかがですかと言ったんです」
「嫌だなぁ。鏡の向こうに私の上司なんていませんよ。あははは」
「ナギさん わたくしはジョウシと言う方がいるとは一言も言ってませんよ」
彼女は諦めたのか、首をガックリと落としましす。
すると、懐から薄くて四角い物を取り出し、右手の指で何か操作をしてから耳に当てました。
「局長。はい。彼女にバレてしまいました。どうしてでしょう……えっ私の所為? 何を言ってるんですか、えっ何度も鏡に目線を送ってた、と……も、申し訳ありません」
うなだれてしまいました……少し可哀想な事をしてしまいましたかしら?
「ナギさん。何も貴女の目線でヒトがいると気づいたのではないのですよ」
わたくしは可哀想になって助け舟を出しました。
「えっ、そうなんですか?」
「はい。わたくしには最初から分かっていました。鏡の向こうからじっとこちらに視線を送る気配を……」
本当に気づいたのは、部屋で着替えた時ですけど。
ナギさんが左側に立ったのは、着替えを手伝いながら、鏡の向こうの視線からわたくしの姿を隠してくれていたのでしょう。
「だからナギさんを責めるのはお門違いです」
彼女の持つ黒い板から息を呑む音が聞こえました。
その直後鏡が上に上がり、その奥から同じような格好をした男性が三人現れて部屋に入ってきました。
「リィべ・ムトセラピア様。わたくしは超象局局長の田中です。覗き見のような事をしてしまった無礼をお許しください」
中央の眼鏡の男性が一番偉いのでしょう。
彼が頭を深々と下げると、左右の二人も同じく頭を下げます。
「ごめんなさい!」
ナギさんといえば、頭をテーブルに打ち付けそうな勢いで身体を九十度以上傾けていました。
「頭をあげてくださいナギさん」
わたくしはナギさんの頭を上げさせながら、タナカと名乗った男性の方を見ます。
「ゆ、許していただけるのですか?」
眼鏡の男性が恐る恐る頭を上げながら訪ねてきました。
「ええ。いきなり別の世界から現れた者を警戒するのは当然の事です。ただ……」
「ただ?」
「断りもなく、覗かれるのはとても不快です」
わたくしの一言で、この部屋にいる全てのヒトの血の一滴まで凍りついていくようでした。
「……これからはそういうことはないように重々気をつけますのでお許しください」
眼鏡の男性は絞り出すように声を出し、先ほどより深々と頭を下げていました。
「局長さん。もうわたくしは怒っていませんよ」
「それは良かっ――」
「けれど、お願いがあるのです」
「お願い、ですか?」
「はい。それはですね……ナギさんをわたくしに貸して欲しいのです」
チラリと頭を下げたままの彼女を見ます。
「ええっ!私ですか!」
わたくしの要望に、一番驚いていたのは当のナギさんでした。
そんな「私は美味しくないですよ!」って言いたそうな顔しないでください。
今はヒトを襲うなんて固く禁止してますから。
「広くはないですけど、こんなところでよければどうぞ」
わたくしはナギさんの住む家にお世話になることになりました。
ナギさんはわたくしを外に待たせると、数分たってから扉を開けてくれます。
息が切れているところを見ると、部屋の片付けをしていたのかもしれませんね。
そこまで気にする事ないのに。
「では失礼します。とてもいいお家ですね」
「ははは。家というよりも部屋といった方が正しいかな」
上着を脱いだナギさんは部屋の奥へ向かうので、わたくしもついていきます。
「これで部屋なのですか」
わたくしの世界のヒューマンの城よりも居心地が良さそうな気がするのですが。
「まあ、その辺はややこしいので特に知らなくてもいいですよ」
『ナギさんにこの世界の文化を色々と教えて欲しいのです』
そう超現局の局長さんにお願いしたら、彼は躊躇うことなく了承してくれました。
まあ、ナギさんにはちょっと悪い事をしてしまったかもしれませんが。
彼女に案内されて、部屋の間取りを教えてもらいます。
玄関を入ってすぐトイレとバスルーム。
少し進んで寝室があり、もう一つ部屋があります。
一番奥にはテーブルのあるリビングに調理などをするキッチンの事を教えてもらいました。
当たり前ですけど、本当にトゥインクルワールドとは違う世界なのですね。
見たことないものたくさんです。
「ナギさん。この白い大きな箱は何ですか?」
キッチンにある、わたくしの身長と同じくらいの大きな箱を開くと、ヒンヤリとした冷気が肌を撫でます。
中には袋詰めの食べ物? が入っていますね。
「それは冷蔵庫といって、食料を冷やして保存する機械ですよ」
「……レイゾウコ」
どういう原理なのでしょう。氷の魔法で再現できるでしょうか?
「あの、あんまり開けっ放しだと、中の物悪くなっちゃうから閉めてもらっていいですか」
「はい。申し訳ありません」
食べ物を腐らせたら大変!
扉を閉めると、次に金属で出来た蛇のような物を見つけました。
銀色の深い容器の上にその蛇は乗っています。
先端には下に向かって穴が空いていますね。
「ナギさんこれは何ですか?」
「ん? それは蛇口です。水やお湯が出るんですよ」
ナギさんは金属の蛇の左右についている丸い突起を動かします。
すると、蛇の口から透明で澄んだ水が勢いよく出てきました。
「これを使って料理したり、飲料水にも使えるんですよ」
「すごい。そのまま飲めるなんて、便利ですね」
トウィンクルワールドのヒト達は生水は飲みません。
理由は簡単飲めば確実にお腹を壊してしまうから。
「はい。んふふっ」
「どうしたんです?」
突然ナギさんが吹き出しました。
「すいません。蛇口を見ているリィべの目が、まるで子供みたいにキラキラ輝いて見えちゃって」
「まあ、こう見えてもナギさんよりは年上だと思いますよ」
「そうなんですか。因みに年を聞いてもいいですか?」
「いいですよ……万年生きています」
ちょっと恥ずかしかったので、小声で告げるとナギさんは石になったかのように固まってしまいました。
「ナギさん?」
声をかけると、石化が解除されたのか、ナギさんが息を吹き返します。
「ええっ! そんなに長生きなんですか?」
「はい。こう見えてもわたくしは竜。ヒトとは違う生き物ですから」
「そうでした。すっかり忘れてました」
「ナギさん。わたくしの年齢は秘密でお願いします」
わたくしは自分の唇に指を当てて、秘密にしてもらうように頼み込みます。
やっぱり恥ずかしいですからね。
「ええ。もちろん言いませんとも。私はこの事を墓まで持っていきます!」
ふふふ。そこまで決意を固めなくてよいのに。
水が流れる蛇口よりも、更に驚いたのはテレビという機械です。
「この大きな黒い板は何でしょう?」
「それはテレビです。えっと、あったあった。これをテレビに向けて赤いボタン押してみて、そう、そのボタン」
「これですか」
テレビという機械に向けて赤いボタンを押すと、わたくしの顔を写していた黒い鏡が、一転して極彩色に変化しました。
その板からヒトが何人も現れると、こちらを無視して喋り続けます。
「こんにちは。わたくしはリィべ……あら? ナギさん彼らにこちらの声が聞こえないのでしょうか?」
「ああ。こっちの声は聞こえてませんよ」
「彼らはこの中にはいないのですか?」
「うん。テレビといって音と映像が出る機械です。そこに映っている人達は実際には違う場所にいるんですよ」
「凄い。わたくしのいる世界ではこういう事ができるのは極一部しか見かけません」
例えば、ヒューマンの魔法使いが作り出したと言われる水晶玉ぐらい。
わたくし達も精神感応である程度距離が離れていても通じ合えますが、それでも視界が届く距離までです。
「もしかして、ナギさんが持っている小さな板もテレビと同じキカイなのですか」
「うん、これ?」
ナギさんは上着の内ポケットから取り出したのは、先ほど耳に当てていた黒い板でした。
「はい。それです」
「これはスマートフォン、小さいけど、テレビよりもいろんな事ができるんです。触ってみますか」
ナギさんに手渡されたそれは、テレビと同じように前面が黒い鏡になっていてわたくしの顔が映っています。
突然、その鏡が輝きました。
写ったのは、ナギさんと男の人です。
二人とも親しげに肩を組んでポーズを取っていて、とても仲が良さそう。
優しい雰囲気の男性には、どこかユーちゃんと面影が似ている気がしました。
「あっ、今ロック解除します」
ナギさんはスマホの下面に親指を当てて見せてくれます。
「はい。これで使えるようになりましたよ」
「あの、そこに写っているお二人はナギさんと……旦那様ですか」
ナギさんは写真を見つめます。そのお顔は少し赤くなっていました。
「はい。私の旦那様です」
彼女は恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに話していきます。
「夫も同じ超象局に勤めていて、彼に助けてもらったのが初めての出会いなんです」
「助けてもらった?」
「ええ。高校生の頃、夜道を歩いていたら、突然宇宙人に襲われたんです」
「ウチュウジン?」
ナギさんによると、地球は宇宙という空間に浮かんでいて、そこには地球と同じように生命体が住んでいる星があるそうなのです。
けれど全部が友好的ではなく、中には悪さをする宇宙人もいるとか。
「そのウチュウジンの脅威から助けてくれたのが……」
「はい。今の夫なのです」
そういう彼女の表情はとても誇らしげでした。
世界中で起きる不可解で説明のつかない現象、超常現象。
例えば、誰もいないのに話し声がする、小さな妖精が現れた、湖に大きな首長竜が現れた等を調査、解決する為の組織。
それが超常現象対策局、略して超象局と教えてもらいました。
彼女の旦那様、つまりユートのお父様はナギさんによると、
「夫は今カナダのロッキー山脈というところにいます。全長五十メートルの巨大猿ビッグフットの調査に行ってるんですよ」 だそうです。
窓の外からオレンジ色の光が差し込んできます。
見ると、太陽が「私のことを忘れないでね」と言いたげに橙色の光を放ちながら沈んでいきました。




