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プロローグ 魔法少女になれなかった私



――魔法少女。


かつて空想の中にしか存在しなかったそれは、十数年前、世界に「怪異」が現れたことで現実となった。


黒い霧から這い出る異形の怪物。

近代兵器すら弾き返し、街ひとつを容易く踏み潰す災厄。

絶望に塗り潰されかけた世界を救ったのは、炎や氷を操り、傷を癒やす一群の少女たちだった。


人々を守りたいという願い。

そして、それを現実に変える圧倒的な才能。


彼女たちはいつしか『希望の象徴』と呼ばれるようになった。


――もっとも。

誰もがその希望になれるわけではないのだが。


「白門(しらと)つむぎさん」


真っ白な面談室に、無機質な声が響く。


「残念ですが、今回の選考は不合格です」


「……そう、ですか」


思いのほか、静かな声が出た。

泣き叫ぶでも、食ってかかるでもなく、他人事のように平坦な返事。


机の向こうで申し訳なさそうに眉を寄せる女性職員の胸元には、魔法少女管理局の認定章が光っている。


「誤解しないでいただきたいのですが、あなたには最低限の適性があります。魔力量も身体能力も、基準値を満たしています」


「なら、どうして……?」


「あなたの『思想』が、魔法少女として望ましいものではないと判断されました」


思考。思想。

最後の面接で尋ねられた、ありふれた質問を思い出す。


――あなたは、何のために魔法少女になりたいのですか?


私は包み隠さず答えたのだ。

「妹を養うためです」と。


「魔法少女は、報酬のためだけに戦う存在ではありません」


女性職員は言葉を選びながら、諭すように言った。


「生活のための活動を否定はしません。ですが……魔法少女には『誰かを守りたい』という崇高な意志が必要です。あなたは面接で『妹の安全が確保されるなら、他人がどうなろうと構わない』と答えましたね?」


「……はい」


「怪異の脅威に直面したとき、命を賭して見知らぬ誰かを救えるか。その倫理観が欠落している人物に、公の力を持たせるわけにはいかないのです」


苦笑が漏れそうになるのを、なんとか噛み殺す。


誰かを守りたい気持ちなら、私にだってある。

ただその対象が、世界中の見知らぬ誰かではなく、たったひとりの妹なだけだ。


見知らぬ誰かのために、自分が死んだら?

あとに残される妹はどうなる?


私の答えは最初から決まっている。

世界が滅びようと、妹さえ生きていればそれでいい。


「次回は半年後です。それまでに、改めて魔法少女としての在り方を考えてみてください」


「……わかりました。ありがとうございました」


頭を下げ、面談室を出る。

廊下の窓からは、茜色に染まる夕空が見えた。


その空を、光の翼を背負った魔法少女が颯爽と駆け抜けていく。

まばゆく、美しく、誰もが憧れる『希望』の姿。


「……半年、かぁ」


ぽつりと呟いた声が、冷たい廊下に吸い込まれていく。


持たない。

どう計算しても、我が家の生活費は半年も持たない。


アルバイトを増やせば学業が疎かになり、妹と過ごす時間も消える。

そもそも、半年後に『綺麗事』を言えるようになって合格できる保証なんてどこにもないのだ。


私――白門つむぎ、十七歳。

前世の記憶を持つ転生者。


前世はごく普通の人間で、今世でも両親が交通事故で亡くなるまでは、それなりに幸せだった。

銀髪の綺麗な容姿に生まれ変わろうが、なんだろうが、そんなことはどうでもいい。


大切なのは、残された唯一の家族――妹の『つなぎ』だけだ。


妹に不自由な思いをさせたくない。

あの子には未来を選ぶ自由があってほしい。

そのためのまとまった金を得る手段が、危険と隣り合わせの「魔法少女」だったのに。


「……困ったな」


泣く気にもなれない。泣いている暇があれば、時給の良い求人を探す方が何倍も建設的だ。


その時だった。


『――本当に、諦めるの?』


ピタリと、足が止まる。


廊下には誰もいない。

耳からではなく、脳髄の裏側に直接擦りつけられるような、異質な声。


『大切なものを守りたいのでしょう?』


「……誰?」


『だったら、方法はあるよ』


声が、愉悦に揺れた気がした。


『――禁忌の魔法』


一瞬。

世界から音が消え、視界の夕焼けが黒い絵の具をぶちまけたように塗り潰される。


上下左右すら消失した絶対の闇。

その中央に、一冊の本が浮かんでいた。


漆黒の表紙に、凶々しい銀の装飾。

刻まれた文字は見たこともない言語のはずなのに、なぜか直感で意味が理解できた。


【私の希望、君の絶望】


『あなたの願いを叶える魔法だよ』


パラパラと、本が勝手にページをめくる。

情報が、濁流となって脳内に流れ込んでくる。


魔力も、寿命も消費しない。

代わりにこの魔法が求める代償――それは、より致命的な何か。


『代償がある。あなたの《希望》以外の、すべて』


「……すべて?」


『思い出も、感情も、倫理も、人間性も。あなたがあなたであるための『自我』が、使うたびに摩耗していく』


「…………」


『最後には、あなたという存在すら残らないかもしれない。……怖い?』


怖くないと言えば嘘になる。

自分が自分でなくなる恐怖。


けれど、思考の裏側に浮かぶのは、いつだって妹の笑顔だった。


両親を失った日、私の服の裾をぎゅっと掴んでいた小さな手。

焦げた卵焼きを「美味しい」と笑って食べてくれた顔。


守りたい。

あの笑顔を。あの日常を。あの子の未来を。


私自身の心なんて、あの子の幸せに比べたら、羽毛よりも軽い。


「……つなぎを守れる?」


『絶対に』


「お金も、不自由させない?」


『望むままに』


「……じゃあ、いいよ」


『……本当に?』


「うん。だって、私なんて最初から大した人間じゃないし」


自嘲ぎみに微笑む。迷いは、欠片もなかった。


「私の希望は、つなぎだけだから」


瞬間――黒い本が、禍々しくも美しい銀の光を放った。


『契約を確認』


響くのは、世界そのものが宣告するような無機質な音声。


『あなたの《希望》を定義せよ』


「白門つなぎ」


『対象を確認。白門つなぎを唯一の希望と定義。――それ以外のすべてを代償として捧げますか?』


「うん」


『その先に、あなたが壊れてしまっても?』


「……つなぎが幸せなら、なんだっていい」


――パリン、と。


胸の奥で、何かが不可逆的に砕け散る音がした。


痛みはなかった。

むしろ、すっと視界がクリアになる。


面接で落ちた悔しさも、未来への焦りも、世間への違和感も。

胸を締め付けていたあらゆる不協和音が、きれいさっぱり消え去っていた。


あぁ、なんだ。

最初から、こうすればよかったんだ。


『契約成立』


黒い本が消散し、手の中に一枚の銀色のカードが収まる。

そこに刻まれた文字――【私の希望、君の絶望】。


「……帰ろう。つなぎが待ってる」


気がつくと、私は元の夕暮れの廊下に立っていた。


時間は一秒すら進んでいない。

けれど、私の中の「何か」は確実に削ぎ落とされた。


今日の夕飯はハンバーグにしよう。

つなぎの好きな、チーズをたっぷり乗せたやつだ。

もう、お金の心配なんてしなくていいのだから。


足取り軽く歩き出す私の背中を、夕陽が長く引き伸ばしていく。


――この時の私は、まだ何も知らなかった。


自分がどれほど致命的なものを失い始めたのか。

その代償と引き換えに手に入れた力が、どれほど理不尽で凶悪なものなのか。


やがて私の「異常」に気づいた周囲が、どれほど悲痛な涙を流すことになるのか。

そして、妹自身が、姉の壊れていく姿にどれほど絶望することになるのか。


これは、たった一人の妹のためにすべてを捨てて「最強」へと至る少女の物語。


そして、彼女の変化に、世界が絶望していく物語。





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