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※今回は特に胸糞悪いと感じられる表現があるかもしれませんので、苦手な方はご注意ください。

 中学二年生に上がってから間もなくのこと。幾つかの面倒くさい揉め事を経て、わたしの毎日は文字通り地獄と化した。

 給食に虫の死骸や動物の糞を混ぜられたり。缶ジュース一杯分程度の小銭のために河原に住むおじさんたちとセックスさせられたり。生理が来なくなるほどたくさん殴られたり蹴られたり。一度吐き出した吐瀉物を無理矢理飲まされ、また吐かされ、といったことを延々続けさせられた挙げ句に便器の水に顔を沈められたり。教卓の上で肛門にモップの柄を刺された状態で全裸オナニーを強要されたり……そんな日課が数ヶ月続き、やがて終わった。

 終わったのは良いものの、主犯格のクラスメートたちが若くして少年院送りになった頃には、わたしの心は脱け殻みたいになっていた。世の中の何に対しても、興味も希望も抱けない状態だった。

 色々なものを、酷く下らないことのためだけに使い果たしてしまった感覚。あらゆる行動を起こす気力は皆無だった。

 人生において必要なコストの全てを、前払いとして既にこの年齢で支払い終えてしまったような気になっていた。こんなに辛い目に遭わされたわたしは、これから先何も頑張らなくて良いんだって、半ば本気で思うようになった。

 だから、それからのわたしは徹底的に楽な生き方をできるように専念した。嫌なことは全て、まだ“払うべきコスト”が残っているであろう他人に押し付けた。

 だって、それくらいしないと割に合わないから。

 けれど、それにも関わらず。周りはわたしが振りかざす、当然の我が儘に反発した。

 誰もわたしの状態を理解してくれなかった。

 自分はどこまで不幸なのだろう──自己憐憫だけが肥大化していく。

 起きている時間が苦痛だったので、部屋に引きこもってずっと寝ていることで対処した。

 意識があるから辛く、考えるから苦しい。

 やがてわたしは、その問題を究極的に解決する方法に思い至った。

 死ねば良いのだ。

 わたしは自殺志願者になった。

 それは一種の復讐で、この世界がわたしをどれだけ追い込んだのかを思い知らせてやるという意味もあった。

 わたしは臆病者だったので、実行するまでには随分時間がかかり、その間に皆──家族でさえも、わたしのことなんて相手にしてくれなくなってしまったけれど。


 ……あ、いや、皆というのは間違いか。

 正確には一人だけ、わたしのことを見てくれる友達がいたのだった。




   ***


 その日もわたしが自室のベッドに潜りながら虚ろに身を任せていると、ノックの音と共に彼女の声が響いた。

「アカリ、入るよ」

「嫌だー」

 怠さに鞭打ってどうにかそれだけを答えた。

 だがドアは勝手に開けられる。そして、ほぼ唯一の友人と言って良い里穂が姿を露にした。

「もー。里穂ちゃんってば、拒否しても入ってくるなら訊く意味ないじゃん」

「こんなの引きこもりへの挨拶みたいなもんでしょ」

 せいいっぱいの抗議の声はまったく意に返されず、よく分からない論理でいなされてしまう。

 なので、次いでわたしは、できるだけ不満げに聞こえるように『むぅ』と唸り声をあげて睨むんでみる。……しかし、まったく効果はなかった。

 くやしい。

 ならせめて、会話の主導権だけは渡してなるものかと、我先にといつもの台詞をぶつけてみることにした。

「で、里穂ちゃん。何の用? ようやくわたしのこと殺してくれる気になった?」

「んなわけないでしょうが。いつまでそんな無茶苦茶なこと言ってんの?」

 返ってくるのはやはり、当然の反応。

「それより、おばさんから聞いてるよ。まだ学校行ってないんだって?」

「だって……また変なことされたくないし……」

 あーもうやっぱりその話題。抵抗するようにベッド上で足をバタつかせながら言い訳するも、これまた効果はなかった。

「あの連中ならもう捕まったし……誰も何もしないよ。大体転校してるんだから関係ないじゃん」

「いやーそれがさ~……なんかもう、学校自体が嫌になっちゃったんだよねぇ」

 言うと、呆れたような沈黙が数拍。

 その隙に追撃を試みる。

「……学校の話なんてされても、余計死にたくなるだけだよ」

「…………あー、もう……分かったよ」

 自分の命を人質に畳み掛けてみたら、珍しく彼女は折れてくれたようだった。やったね。

「フフン、今日は話が早くて助かるね」

「じゃあもう、無理に学校行けとかは言わないからさぁ……」溜め息混じりに、彼女はわたしの右手首のあたりを指差す。「……せめて、そういうことするのはやめてよ」

 その意味を把握すると同時に、わたしの胸の内をザワザワと落ち着かないものが刺激し始め、自然に口角がつり上がった。

 ここにきてやっと、彼女は“わたし自身”のことについて興味を示してくれたのだ。

「あ、気づいた? ジャーン、見て見て。ついに右の傷も一ダースに達しちゃいました~」

 わたしは適当に巻いていた包帯をはずし、まだ塞がりきらないそれらを里穂に見せてあげた。

 だというのに、

「何でそういうことするの?」

 彼女は、まるで理解できないものを見るような目をこちらに向けてくる。

 起こりかけの興奮はすぐに覚めてしまった。

 またこれだ。しょっちゅう来るくせに、里穂は相変わらずわたしに歩み寄ろうとしてくれないのだ。

「仕方ないじゃん。わたし、こういうことにしか喜びを見出だせない、気持ち悪くて陰気なキチガイなんだから」

 わたしは弁解するような口調で言う。

「そうじゃないでしょ? 変なこと言うのやめてよ。こっちがちゃんと訊いてるんだから、そっちもちゃんと答えて」

 そう言われてもなぁ……と思いつつもわたしは一応他の言葉を探してみる。

「…………だって……誰もわたしのこと分かってくれないんだもん」

 これでも一応は、自分なりに考えて絞り出した答えだった。

 でも、

「意味分かんない。因果関係成立してないでしょそれ」

 と里穂。

 いやいや。そっちが訊いてきたくせに、答えが気に食わないとそういう風に言うなんておかしくない?

 今の返しにはちょっとばかしイラっときた。

 だからわたしは言ってやる。

「分かんないなら考えてよ。友達のこと、心配じゃないの?」

「心配に決まってるでしょ。心配だからこうやって話してるのに……アカリが真面目に聞いてくれないんじゃない!」

 彼女も負けじと言い返す。

 けれどわたしは、その一言で彼女の欺瞞を見抜いた。

「ほら、やっぱり」

「何が、」

 だからまた、言ってやった。

「『心配してる心配してる』って言って……外から話しかけてくるだけでわたしと同じところには絶対来てくれないの」わたしはそこで身を起こし、上半身を少しだけ彼女に近付ける。「ねえ、里穂ちゃん気づいてる? わたし、あなたと話してるこの瞬間ですら寂しくて死にそうなんだよ?」

「…………っ、」

 里穂の困った表情を見ると、多少は気分も慰められた。

 しかし、それでも彼女は口を開くのだ。

「そ、そんなこと言ったって……アカリはずっと受け身なだけなんだもん……部屋に引きこもってるだけじゃ、人から理解なんてしてもらえないよ……」

 その日の里穂は珍しく、困惑だけでなく、表情の中に悲しそうな色を混ぜて言葉を紡いでいるのに気付いた。もっとも、どんな状態であろうと、それがわたしに届くことはないけれど。

「仕方ないじゃん、向いてないんだから」

 だってわたしは、本当にどうしようもない奴なのだ。

「何が!」

 それは確固とした事実として、確かな質量を持って、常に目の前に存在している。

「ちゃんと生きることに」

 どうすることもできない。

「……向いてるも何もないでしょ!」

「わたしはあなたみたいに生きる才能がないの。だから……早く死んじゃいたい」

 その日もいつもと同じだと思っていた。わたしと里穂の話は平行線。お互いに譲らずに同様の主張を繰り返すだけ。

 でも、実際はその日は違っていた。

 少しの沈黙を挟んだ後、

「わたしは、アカリに死んでほしくないよ……」

 そう言って、彼女は泣き出してしまったのだ。

「え……? え……?」

 しくしく、とかじゃなくて、ワンワン。ガチの号泣。

「ち、ちょっと……!」

 わたしは慌てて、泣きながら床に崩れ落ちそうになる里穂に駆け寄り、その身体を抱き留めた。

 甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「ど……どうして里穂ちゃんが泣くのよ!?」

 わたしは完全に面食らっていた。

 里穂が人前で泣くなんて滅多にない。

 今までの蓄積が、気の強い彼女をこんなにしてしまったのだろうか。

 そう思うとこの時ばかりは、自己憐憫と孤独で凝り固まったわたしの心が、ほんの少しだけ、他人のために痛みを覚えた。

 気がした。

「ごめんね……アカリ」

「何で謝るの?」

「わたし、アカリに死んでほしくないのに

……あなたの気持ち分かってあげられないの……どうして良いか分からないの……だからきっと、今日も、酷いこと言っちゃったんだよね……ごめんね……」

「……えっと、その…………」

 多分、言葉で返しても埒が明かない状況なんだと思った。

 だから、

 それからわたしたちは久しぶりに、互いの両親に知られたら卒倒されかねない行為を数十分かけて行った。

 そしてその最中、わたしは思った。

 里穂と一緒に死ねたら、最高に幸せだろうなぁ──と。

 きっと、それを口に出さなかったことが、わたしに残された唯一の良心だったのだろう。

 わたしは考える。

 本当は、彼女と一緒に生きるというのが、お互いにとって最善の道なのかもしれない。

 でもそんなことは不可能だ。わたしにはもう何をする気力も残されていないのだから。

 選択肢なんて最初からないも同然。

 だったら、逃げ続けるしかないではないか。

 …………でもかといって、やっぱり自殺は怖いし。

 誰か、わたしを楽に殺してくれないかなぁ。


  


   ***


 わたしがかいつまんで──もちろん、刺激の強い部分は省いて──里穂のことを話し終えると、除霊師の少年はこう言った。

「その友達の住所は、分かる?」

 と。

 ……里穂とは幼稚園のときからの友人だ。住所くらい知らないはずはない。だが、何故そんなことを訊くのだろう。

 わたしは質問の意図が掴めないまま、取り敢えず首肯した。

 すると、

「じゃあ、さっそく会いに行ってみよう」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。

 時間差で、驚愕と緊張が霊体の全身を貫いた。

「え……は?

 ……い、今からですかっ!?」




   ***


 ほどほどに都心に近いことだけが取り柄の、首都圏の某地方都市を走る私鉄。

 平日の夕方とはいえ、里穂宅の最寄りが鈍行でしか停まらないため、わたしたちが乗った電車はかなり空いていた。

「………………、」

 一通り悩んだ末、

「……何を話せば良いんでしょう?」

 ボックスシートの端に腰を下ろしていた除霊師に、わたしは問う。

 果たして彼の答えは。

「うーんと、その……話したいことを話せば良いんだよ」

 いやそりゃねーわ。

「はぁ!? 何ですかそのトートロジー!! 湯ノ沢先生以下のアドバイスですね!!」

 あまりに酷い回答にわたしが容赦なく罵倒すると、彼はあたふたと取り繕うように弁明を始める。

「あ、いや……確かに今の返しはあんまりかもしれないけど……でも────」

 本当、言い訳ばかりだなこの人。やっぱりわたしみたい。

 まあ別に良いけど。

「──友達との会話って普通そんな一生懸命考えてするもんじゃないだろ?」

「それはそうですけど……」

 会話の内容以外にも、懸念はいくつかあるのだった。

 まず一点──里穂はわたしと会って嬉しいのだろうか……という問題。

 大体わたしは、彼女がしてほしくないと言っていたことを真っ向から実行してしまった人間なのだ。彼女はもうわたしのことなど嫌いかもしれない。

 それに────

「とにかく、君がその里穂って子のことで引っ掛かりを覚えているのは確かなんだから……会うだけでも何か解決の糸口が見いだせるかもしれない。そうすれば、成仏に向けて一歩前進するじゃないか。善は急げだよ」

 ──より根本的な懸念が、もう一つある。

 わたしはそれについて彼に問いただしてみることにした。

「ところで除霊師さん、いったんその話は置いておいて、一つ大事なことを忘れてませんか?」

「え? 何?」

「わたし、もう死んでるんですよ。浮遊霊なんですよ」

「あ」

 これは盲点だった、とばかりに間抜けな声を出す除霊師。

「霊感のない里穂ちゃん相手に、わたしはどうやって話せば良いんですかね??」

「あ……えと……」

 間が空く。

 それからいつまで経っても場繋ぎ言葉の先が綴られることはなく、電車の振動とジョイント音だけが空間を支配した。

 その沈黙が答えだった。

「何にも考えてないんかいっ!!」

 これだけ大きな声を出しても、わたしの声が他の乗客に聞こえることがないのは幽霊の特権だろう。

「珍しく行動力発揮したなと思ったら中身すかすかだし!! 所詮引きこもりの陰キャ、普段予定立てる習慣がないもんだから計画が立てられないんでしょうねぇ!!」

「ちょ……待ってくれ。僕みたいな奴はそういう言葉にはかなり繊細だぞ」

「わたしも今自分で言ってグサッと来ましたよ!!」

「よし利害は一致したな。……一旦黙ってくれ」

「良いですけどその代わり何かアイディア思いついてくださいね!!」

 大声で促してやる。すると除霊師は腕を組んで、うーんうーんと、しばらく考える素振りを見せた。

「……えっと……あの、なんかその…………イタコ的な設定で……」

 わたしはいよいよブチキレた。

「たわけェェ!!」

「たわけ?」

「本当に馬鹿なんじゃないんですか!? 地獄に堕ちたらどうですか!?」

「……二十一世紀に『たわけ』?」

「ゴー・フォー・ヘル!!」

「間多分『トゥー』だぞ?」

 わたしは目一杯の声量で叫ぶ。


「イタコとか怪しさ極まりないわァァ!!」




   ***


「あー着いちゃう着いちゃう……この角曲がったらすぐですよ…………何話せば良いんだろ……」

 わたしたちはどこにでもありそうな住宅街を歩いていた。

 里穂の家まで、あとほんの少しの距離である。

「まあ、話しながら考えるって手もあるし……」

「行き当たりばったりすぎでしょ!」

「そ、それは……ごめん……」

 しおらしく謝る除霊師。

「ていうかそもそも話の内容以前に『わたし見えない問題』解決してないじゃないですかぁ! 存在自体信じてもらえるかどうかって状況じゃないですかぁ! あ~もうこんなノープランなら来なきゃよかったな~!!」

「待って、僕も着くまでに他の案を考えるから……」

「考えるって言っても里穂ちゃんちもう目と鼻の先ですよ!? この角曲がってちょっと歩いたら着きますよ! ザ・エンドですよ!」

「……『ジ』、だぞ?」

 そしてわたしたちは角を曲がった。

「は~い、もう角曲がっちゃいましたーここから二軒先が里穂ちゃんの家でーすすぐでーす! もう数えましょうか!? はいいっけ~ん、にけ~ん、はいタイムアウト~! 時間切れ~! 金返せ~! ……って、あれ?」

「金返せ? ……あ、いや……どうしたの?」


「この表札……苗字違う」




   ***


「あ~、あの一家なら、何か月か前に引っ越したよ」

 近所のおじさんの話に、わたしと除霊師の少年は顔を見合わせた。

「どこに引っ越したか分かりますか?」

 彼が訊く。

「う~ん……詳しい場所までは分かんないけど、確か……」

 おじさんの声は、不思議とどこかここよりも遠くで聞こえているように感じた。



 ──また、移動。

 手がかりを求めては移動することを繰り返す。まるでチマチマしたお使いゲーでもやらされているような気分だった。

 里穂宅の表札が変わっていることに気付いてからというもの、ずっと胸騒ぎを感じていた。じんわりとした焦燥感を。

 けれどできるだけそれを気にしないようにして、わたしは彼と共に里穂宅の捜索を進めた。



 そして、やがて辿り着いたのは……彼女の葬儀場だった。

 郊外にある大きめのセレモニーホール。

 入り口に立て掛けられた看板には、紛れもなく彼女の名前が記されている。

「嘘……」

 お腹の中が空っぽになったような心地がした。

 息を吸ってるんだか吐いてるんだか分からなかった。

「ふ、双葉さん……」

 除霊師の発する心配そうな声──どこか遠くから聞こえるようだった。

「何なのよこれ……」

 わたしは吸い込まれるように建物の中へ入っていった。

 一般葬らしく、会場には大勢の人がいた。この時間なら多分お通夜だろう。

 式はまだ始まっていないらしく、おじさんとおばさんが参列者たちと話しているのが目に入った。

 わたしは会場をある程度進み、正面を見据えた。

 棺は閉まっていたが、遺影は間違いようもなく彼女のものだった。

 これ以上ないくらい絶望的な景色に思えた。

 目眩がした。

 五感が覚束なくなる中、近くの参列者が話す声が聞こえていた。

 会話の全ては聞き取れなかったが、間の『持病』という単語を耳が拾った。

「まだ中学生でしょ? 気の毒にねぇ……」

 そこまで馬鹿でもなかったので、何を話しているのかの推測は難しくなかった。

 だからこそ耳を疑った。そんな話一度も聞いたことがなかったからだ。

 疑念が胸の内を満たし、何もかもが信じられなくなってしまいそうだった。

 わたしは疑うのがとても得意だ。自分にとって都合の悪いことは全て疑ってきた。

彼女のことも例外ではなかった。彼女の口から出る言葉はほとんどわたしにとって都合の悪いことだったからだ。

 でもそれらはきっとわたしのために発されていた。



 また別の参列者が、彼女が死んだのはつい一昨日だということを話していた。

聞きたくなかった。

 目を逸らしていたかった。

 わたしは目を逸らすのも得意だ。

 彼がもう少し早くわたしを説得していれば――と、あろうことか彼を憎みかけた。

 誰かのせいにしたかった。

 誰かのせいであってほしかった。

 わたしは責任転嫁も得意だ。

 わたしは今まで際限なく、色んなことを周りに押し付けていたから。

 でも、それももう今日で終わりだ。



 成すすべがなかった。

 この圧倒的で、モヤモヤした色んなものが痛みを伴うほどに凝縮された体験を前に、わたしの心は屈服していた。

 負け続けの人生についに訪れた敗北の限界――わたしはとうとう自分の心の欺瞞にすら負けたのだ。

 湧き上がる感情の重さに立っていることすらできず、膝から崩れ落ちる。

 涙が溢れ出る。

 『死にたい、消えたい、殺して』。

 何かを失うたびにわたしの中に湧き上がる三大ワード。

 一瞬前まで、頭の中を埋め尽くしていた。



 “死んでほしくない”と彼女は言った。

 わたしが欲しいのはそんな言葉じゃなかった。

 欲しくない言葉なんて意にも解さなかった。今思うとその態度はもはや暴力と同義だったのに、平気で友達の思いを軽視した。

 わたしは常に受け身なくせに一方的で……たった一人の友達の苦しみすら、気に

かけるどころか気付くこともなく、飛んだ。



 ただ、自分はこんなに可哀想なんだって分かってほしかった。

こんなに苦しんでるんだって理解してほしかった。

 落ちた後の、醜くつぶれた自分の身体を想像するのが楽しかった。こんな姿になってしまうほどわたしの人生は悲惨だったんだと、皆に認めてほしかった。

 あの怨嗟が詰め込まれた肉体を思いっきり地面に叩きつけてやれば、きっと皆に伝わるだろうと本気で思い込んでいた。

 “地球全体に、届け――わたしの想い!”

 そんなことはなかった。どん底に到達しただけだった。

 本当に馬鹿だったと思う。



 でも、それでも。

底の底に来て、ようやく悟れたこともある。

 疑念と憎悪と責任転嫁と希死念慮……下らない感情を全て使い果たしたわたしの手元には今、きっと本当に大切な気持ちだけが残っているはずだ。

 過去ではなく、これからの目的が見える。

 ならばそこに、全力で手を伸ばさなければ。

 今そうしないと、わたしは今度こそ、本当に“終わって”しまう。

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