第9話 勘
一服した後、早乙女は夏美に今日は家から離れた場所で寝泊りするよう助言し、四人は共に斉藤宅を離れる事となった。
「すみません。お泊りまで協力していただいちゃって~」
「い、いえ。……変だなとは思っていましたし、霊媒師さんから『何かいる』と言われた家に一人でいるのは、私も怖いですから」
「安心してくださいねぇ。明日には終わらせますから」
「はい。よろしくお願いします」
斉藤宅の怪異討伐は明日の朝に行う方向で早乙女が話を進めるとの事。
明日の朝に夏美から家の鍵を預かり、特怪内で手が空いているものが対応する事になるだろう。
早乙女と夏美が会話をしながら先に玄関へ向かい、安達と慧はその後ろに続く。
しかしリビングを出る直前、ふと安達が足を止めた。
突如、悪寒が彼の背を走った。
「……義一?」
腕を引かれていた慧は安達が止まった事に気付き、彼へ顔を向ける。
安達は半身で振り返り、リビング内部――先程慧が『いる』と示した壁を見ていた。
「いや……」
言葉を濁した彼の眉間には僅かな皺が刻まれていた。
そのまま暫くの間、彼は何かを考え込むようにリビングを見ていたが、そこへ明るい声が飛ぶ。
「おーい、安達クン、けークン~? 何してるの~」
既に玄関で出る支度を終えた早乙女の声だ。
「すんません、今行きます」
その声に促されるように、安達は慧を連れてリビングを離れるのだった。
その後安達と慧は、警視庁へ戻る早乙女と、今日は友人宅で過ごすという夏美と駅前で別れる事となった。
空は既に橙に染まりつつある。
「義一。僕、ケーキが食べたいな」
「……おー」
どこか上の空な、覇気のない声を安達は返す。
目が見えずとも、その声色から彼が考えに耽っている事を悟ったのだろう。
慧は苦笑しながら小さく息を吐いた。
そして、安達の服の袖を軽く引く。
「戻る?」
「んぁ?」
「気になるんでしょ」
安達の方を向きながら、慧が笑みを深める。
想定外の声掛けに驚き、我に返った安達は何度か目を瞬かせてから、バツの悪い顔になる。
「あー……」
「全く、分かりやすいんだから。ほら、戻ろ」
「悪ぃ」
「いいよ。……こういう時の義一の勘は当たるからね。その代わり、何事もなければパフェも追加してね」
「わかったよ」
何度もバディとして怪異と対峙した経験を経て、慧は安達の勘が馬鹿に出来ない物である事を理解していた。
彼は勘が良い。特に、怪異が絡んだ事件の時は。
安達は怪異を感じられる体質ではないはずにも拘らず、時折、上司や特怪の子供達ですら気付かないような危険にすら気付く事があったのだ。
「人の住まいを巣窟にするタイプの怪異が想定外に力をつけていた場合、知性も成長しているケースがある。普段なら家主がいるはずの時間に家を空けられたりすれば、焦って動きが活発になる事も考えられるだろう」
「そうだね。物がなくなる頻度が増えるとか」
「あとは……人を招き入れる為に鍵や扉を開ける、とかか」
「あー。そうだね。主な活動範囲はリビングだったみたいだけど、力を蓄えているなら行動範囲も広がっていたっておかしくはない」
安達と慧は元来た道を戻り始める。
彼らは周囲に聞かれないよう声を潜めながら、斉藤宅で起こり得る異変について意見を交わした。
「まあ、慧が視て大したことないと判断したなら思い違いの可能性のがでかいだろうが……。とりあえず外からの観察と玄関扉の開閉の確認だけでもしておきたい。それで何ともなければ後は早乙女さん達に任せよう」
「おーけー」
二人は赤さが薄れていく夕焼けの元、斉藤宅へと向かうのだった。
***
警視庁、特怪に割り当てられた部屋にスーツ姿の早乙女が姿を現す。
「ただいま戻りましたぁ~ん……おや、主任~っ」
「どうも」
部屋の中で事務作業をしている男性の姿を見つけた彼女は明るく手を振った。
男性は眼鏡の奥でそれを静かに見据えてから持っていた書類へ目を落とす。
「見回りが終わったんですかぁ?」
「ええ。生憎、収穫はありませんでしたが」
「あー、前主任が仕留め損ねたって言ってたやつですか」
「はい。止めを刺しきれず、分裂してしまいまして。運の悪い事に、通行人との遭遇もあったので深追いが出来なかったのが痛かったですね」
「珍しいですよねぇ、主任が失敗するなんて。そーとー厄介な怪異だったのかにゃあ」
早乙女は自分のデスクに座り、持っていた白紙の書類に必要事項を記入していく。
主任と呼ばれた男は彼女の言葉に深い溜息を吐いた。
「買い被り過ぎですよ。私も彼女も、ミスはします。まあ、厄介な怪異だとは思いますが」
「ほらぁ~」
「秘めていた純粋な霊力もですが、どちらかといえば……悪知恵が働くという意味では、人間とは相性が悪いと言えるでしょうね」
「ほー。賢いんだ」
「ええ。相手が嫌うものを悟ると、執拗にその弱点を突こうとします。……ところで、早乙女さんの方は、今まで何を?」
「あ。安達クンが新しい怪異を見つけてくれたんで、ちょっと様子を見に行ってましたぁ。けークンがいうにはまだそんなに脅威ではないって話だったんですけど、念の為明日には対処しちゃいたいなぁって感じですね~」
早乙女は書類の記入を止め、主任との会話に興じる。
ペンを自分の手の上でくるくると回し、斜め向かいに座る主任へ斉藤宅の捜査の話を共有した。
「けークンが『書類にはふわふわさんって書いておいてね』って言ってたんで、これ倒した後はまた主任が恥ずかしい思いしちゃいますねぇ」
彼女は冗談交じりに笑いつつ、慧が感じたという怪異の姿の特徴や気配などを並べたのだが。
その話を聞いていく内、主任の顔色が変わっていく。
「早乙女さん」
そして、早乙女の話を途中で遮るように、主任は椅子から腰を浮かせた。
彼の顔の強張りに気付いた早乙女はペンを回す動きを止める。
「んにゃ、どーしたんですかぁ、主任」
「……少々、まずい事になるかもしれません」
早乙女の手の上で回っていたペンが、机の上に転がり落ちるのだった。
***
斉藤宅の前まで戻った安達と慧。
慧は目の前の玄関扉を観察した後、浮かべていた微笑を消す。
「あー……うん。嫌な気配が大きくなってるね。さっきまではそんな感じもしなかったのに、妙だな……」
慧は白杖を安達に渡す。
安達はそれを受け取り、代わりに竹刀袋を彼の空いた手に握らせた。
「義一」
「……おう」
慧に促され、安達は玄関扉に手を掛ける。
夏美がこの扉を施錠したところを安達は見ていた。本来ならば扉が開く事などある訳もない。
だというのに、捻ったドアノブはその途中で引っ掛かるような感触も音もなく。
その扉は、意図も容易く家の中を晒してみせるのだった。




