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A級の外縁は、雑魚狩りが雑すぎる


「親分! 刺さってる!」


朝一番、ザガの声が門前に響いた。


牧人が振り向く。


小さい蜥蜴頭が一匹、門前で転がっていた。足に矢が刺さっている。しかも泣いていた。


「うわ」


「うわ、じゃねえよ!」


とザガ。


「刺さってる!」


「見れば分かる!」


牧人はすぐしゃがみ込んだ。矢を見る。木の軸。鉄の鏃。雑な造り。人間の矢だった。


久しぶりに見た。人間が作ったもの。自分も元は、こっち側だった。


「誰にやられた」


「ひ、人間……」


「そりゃそうだろうな」


蜥蜴頭は鼻をすすった。


「外縁のほうで、昼稼ぎの探索者が……」


「普通の冒険者か」


とベロ。


「普通のって、A級だろここ」


と牧人。


「A級でも外縁は別だよ」


とザガ。


「深いとこまで潜るやつばっかじゃねえ。浅いとこで雑魚狩りして、素材拾って、小銭稼ぐ連中もいる」


「へえ」


牧人は矢を折った。


「抜くぞ」


「やさしく!」


「痛いのは一瞬だ」


「その言い方は怖い!」


抜いた。蜥蜴頭が叫んだ。ぷるがすかさず傷口の泥を吸った。まめじいが薬草を押し当てる。


クロは門の横に座っていた。目を閉じている。騒ぎには動かない。いつも通りだった。

イシコは門柱の隣で動かない。壁と区別がつかない。だが、いる。


「次、来たぞー!」


ニコが入口から板を掲げて叫んだ。


見ると、今度は苔角兎だった。耳の横を浅く切っている。しかも、その後ろからもう一匹、片目の上を掠めた小型種が来る。


「多いな」


「多いですな」


とまめじい。


「今日は外縁の当たりが悪い」


ミズハが水を運んできた。傷口を洗うのに、妙に手際がいい。六本指が水を掬うたびに、ザガがちょっとだけ目を逸らす。


牧人は苔角兎を抱えた。


「お前もか」


「もふ」


泣きそうなくらい震えていた。軽い。あったかい。血がついている。


自分が冒険者だったら、こいつに矢を撃つか。撃たない。撃てない。こんな軽いやつに。


「こんな小さいのに矢を射るなよ……」


「親分、声」


とザガ。


「何が」


「ちょっと低い」


「そりゃ低くもなるだろ」


その日の門前は、最初から慌ただしかった。


怪我。飯。相談。洗浄。


そこへ、新しいのが増えた。


ニコが板を立てる。


冒険者被害→


「増やすな!」


「もう増えた」


だが板は正しかった。


午前だけで六匹来た。矢傷。切り傷。打撲。一匹は罠にかかって、足に針金が食い込んでいた。


ザガが唸る。


「外縁の昼稼ぎ組、荒れてんな」


「そんなに雑なのか?」


「雑なやつは雑だ。深いとこ行けねえから、浅いとこで当たれるもん全部当たる」


「迷惑だな」


「迷惑だよ」


牧人は傷を洗いながら言った。


「A級なのに、そんなやつも入るんだな」


「A級だからだよ」


とベロ。


「何が出ても高く売れる。だから雑なのも来る」


それは少し、嫌な話だった。


強いやつが来るのは分かる。命を賭けて潜るのも分かる。でも、浅いところで、小さいのを雑に傷つけて回るのは好きじゃなかった。


「親分」


「何だ」


「顔」


「何だよ」


「怒ってる」


「怒ってるな」


とベロ。


「怒ってるですな」


とまめじい。


「……そりゃ怒るだろ。こんな小さいのに」


苔角兎の耳を拭く。居候の蜥蜴頭の薬を塗る。小型種の足に巻いた針金を切る。


やっていることは、いつもと変わらなかった。


でも、今日は手の震えが少しだけ違った。


---


昼前。


「来たぞ」


クロが短く言った。


門前が静まる。クロが口を開いたということが、空気を変えた。


今度は怪我人ではない。人間だった。


三人。革鎧。槍と短弓。見た目は整えているが、装備の手入れは雑だ。鎧の留め具が錆びている。外縁の昼稼ぎ組だと、見ただけで分かった。


先頭の男が門前で止まった。洗浄列。飯の列。怪我人。うさぎ。全部を順番に見て、言った。


「……なんだここ」


「それは俺もたまに思う」と牧人。


男は鼻で笑った。


「なんだ?お前」


「補助テイマーだよ。今はここで面倒見てる」


「ここで、魔物を飼ってるのか?」


「違うんだけどな」


後ろの弓持ちが、地面の血の跡を見た。


「血痕が浅場から続いてた。こんな近くに巣があるとは思わなかったが」


「巣って言うな」


と牧人。


弓持ちは少し怯んだ。それから、門前の怪我人を見た。


「いたぞ。朝のやつらだ」


「返せ」


と先頭が言った。


「返せ?」


「そいつら、こっちが当てた獲物だ。素材にする予定だった」


「獲物って言うな」


と牧人。


「怪我人だろ」


「魔物だろうが」


「そうだけど怪我人だろ」


男は少し苛立った。


「A級の外縁で、何甘いこと言ってんだ」


「甘いのか?」


「当たり前だ。生きて動くもんは全部素材だ」


その言い方で、門前の空気が変わった。


ザガの耳が立つ。ベロの鍋蓋が上がる。苔角兎が牧人の足元へ寄る。


牧人の中で、何かが冷えた。


話が合わないやつだ。


「だめだな」


「は?」


「返さない」


「なんでだ」


「怪我してるから」


「何言ってんだ?」


「とにかくだめだ」


男は口の端を歪めた。


「お前、人間だよな」


「そうだけど」


「なんでそっち側なんだ」


「そっち側?」


「魔物側だって言ってんだよ」


牧人は少し考えた。


「……怪我してる側?」


弓持ちが短く笑った。


「変人かよ」


先頭の男は、もう話す気をなくしていた。


「面倒くせえ」


一歩、前に出た。


牧人の横を通り抜け、門前の蜥蜴頭に手を伸ばした。


「おい、やめろ」


と牧人が言った。


男は聞かなかった。蜥蜴頭の腕を掴み、引きずり起こした。矢を抜いたばかりの足から、薬草が剥がれた。


「いたっ——やめ——!」


蜥蜴頭が泣いた。


「離せ」


と牧人。


「うるせえ。こっちが先に当てたんだ。所有権はこっちだ」


男は蜥蜴頭を引きずった。小さい体が地面を擦る。


足元の苔角兎が、怯えて牧人の後ろに隠れた。


弓持ちがそれを見た。


「お、兎もいるじゃねえか。毛皮はきれいなのが高い」


手を伸ばした。


牧人が、その手首を掴んだ。


「——触るな」


声が低かった。今度はザガに言われた時より低かった。


弓持ちが目を見開く。


「何だお前——」


先頭の男が蜥蜴頭を放り、牧人を振り返った。


「邪魔すんのか。人間同士だろ」


「人間同士だから言ってる。怪我人引きずるな。兎に触るな」


「……へえ」


男が笑った。


「魔物を抱える拠点なんて、上に報告すれば終わるぞ」


男の目が変わった。左手が腰の短剣に伸びる。


「なら、力でいくか?」


短剣を抜いた。


その瞬間。


男の手から、短剣が消えた。


消えたように見えた。


クロが立っていた。


いつ動いたのか。門の横に座っていたはずの黒い影が、男の正面にいた。


男の短剣は、クロの足の指に挟まれていた。二本の指で、刃の腹を摘まむように。


軽く、握った。


刃が、折れた。


乾いた音だった。短剣の刃が真ん中から折れ、二つの破片が地面に落ちた。


「——は?」


男の口が開いたまま閉じなかった。


クロは折った破片を捨てた。男を見なかった。見る価値がないように、視線は最初から牧人の方を向いていた。


ザガが、静かに言った。


「若頭は、深層災厄級な」


男の膝が笑った。


「う、嘘——」


「嘘に見えるか?」


とベロ。


見えなかった。鉄を指で折る存在が、腕一本の距離にいる。外縁の昼稼ぎが一生届かない場所に立っている化け物が、目の前にいた。


弓持ちが反射的に弓を構えた。手が震えている。矢をつがえる。


水が、弦を断った。


弓持ちの手の中で、弦がぱちんと切れた。


ミズハだった。壁にもたれたまま、片手から細い水の糸が伸びていた。濡れた髪が肩にかかっている。切れた弦をちらりと見て、笑った。


「弦、張り直した方がいいわね」


弓持ちは手の中の弦を見た。弓を見た。ミズハを見た。理解が追いつかなかった。


「あ——あ——」


若い探索者が、一歩、後ろに下がった。


足元が、滑った。


ぷるだった。いつの間にか、探索者たちの足元に薄く広がっている。


「うわっ——!」


若い探索者が尻もちをついた。立ち上がろうとして、また滑る。手をついても滑る。膝をついても滑る。


「何だこれ——ぬるっ——」


「ぷる」


「ぷるじゃねえ!」


先頭の男が逃げようとした。振り返った先に、門があった。


門が、半分なかった。


イシコだった。壁だと思っていたものが、門を半分塞いでいた。石の体。石の目。表情はない。人の三倍はある肩幅が、出口を狭くしていた。


残った隙間は、人ひとりがやっと通れる幅だった。


男は悟った。


囲まれていた。


正面に、鉄を指で折る黒い化け物。横に、水で弦を断つ女。足元に、体の自由を奪うぬるぬる。出口に、門を塞ぐ岩の巨体。


外縁の昼稼ぎ三人が立ち入っていい場所では、なかった。


「あ——」


先頭の男の腰が抜けた。


膝が地面についた。立てない。立とうとしても、足に力が入らない。


弓持ちは弦の切れた弓を抱えたまま、座り込んでいた。もう何も持っていなかった。


若い探索者だけが、まだぷるの上でずるずる滑っていた。


「たす——」


「何を」


と牧人。


「た、助け——」


「誰に怪我させたやつが、誰に助けを求めてる?」


若い探索者は口を閉じた。


門前の蜥蜴頭が、薬草を押さえながら探索者たちを見ていた。苔角兎が小さく震えながら見ていた。小型種たちが、並んで見ていた。


さっきまで追われていた側が、全員、見ていた。


静かだった。


牧人は先頭の男の前にしゃがんだ。


「怪我人に手を出すな。小さいのを獲物って呼ぶな。それだけだ」


男は何も言えなかった。腰が抜けたまま、牧人の顔を見上げていた。


人間の顔だった。魔物の巣で、魔物を庇って、人間にこんなことを言う人間の顔。


理解できなかった。


牧人は立ち上がった。


「帰れ」


イシコが半歩ずれた。門の隙間が、人ひとり分だけ広くなった。


先頭の男が、這った。


立てなかった。膝で進んだ。門の隙間に体をねじ込んで、外に出た。


弓持ちが続いた。弓を引きずりながら、横向きで隙間を通った。鎧の留め具が門柱に引っかかって、千切れた。


若い探索者が最後だった。ぷるの上から這い出て、よろよろと立って、隙間に向かった。


振り返った。


泣いていた。


「……ごめんなさい」


牧人は少し目を見開いた。


「……ああ」


若い探索者は走った。何度も転びながら、走った。


三人の背中が、外縁の暗がりに消えた。


しばらくして、遠くから声が聞こえた。


「うわあああああ!!」


「走れ!!走れ!!」


「二度と来るかぁぁぁ!!」


門前が、静かになった。


ザガが大きく息を吐いた。


「……すげえ声」


「よく響くな」


とベロ。


「A級の外縁は音が通りますからな」


とまめじい。


「そういう問題じゃねえよ」


蜥蜴頭が、まだ泣いていた。さっきとは違う泣き方だった。


「おや、親分……ありがとう、ございます……」


「泣くな。薬草取れるだろ」


「取れても泣きますぅ……」


苔角兎が牧人の足に頭を擦りつけた。小型種たちがそろそろと出てくる。


ザガが腕を組んだ。


「……驚かせやがって」


「驚いたのか」


「親分がだよ。手首掴んだだろ。あれ、結構やべえぞ。人間相手に」


「武器持ってたし」


「親分だって丸腰だろ」


「……まあ、そうだな」


ベロが鍋蓋を下ろしながら言った。


「親分は、どっちの味方なんだ?」


「どっちって」


「人間と、魔物と」


牧人は少し黙った。


「……怪我してる方」


「そのうち怪我してる人間が来たらどうする」


「…………助けるだろ」


「その間はなんだ」


「うるせえ」


まめじいは帳面に何かを書いていた。


『外縁探索者、三名。侵入、威嚇、暴行未遂。排除。被害なし。』


ペンを止めた。少し考えて、一行足した。


『親父殿、人間相手に一歩も退かず。』


「……余計なこと書くなよ」


「事実ですぞ」


ニコが板を差し替えた。


冒険者被害→

冒険者 逃走→


「追記すんな!」


「事実」


「事実はそうだけど!」


夜。


門前は静かだった。


牧人は壁にもたれて、手を見た。


今日、人間に怒った。


人間を追い返した。


自分は人間のくせに。


元は同じ側だった。ダンジョンに潜って、魔物を倒して、素材を売って、飯を食う。あの三人と、何が違った。


違ったのは、落ちた場所だった。


たまたまここに落ちて。たまたま拾われて。たまたま飯を作って。たまたま——こうなった。


だから、あいつらが全部悪いとは言い切れない。冒険者ってのは、ああいうもんだ。生きるために獲る。それは間違いじゃない。


でも。


蜥蜴頭を引きずった手を、許す気にはなれなかった。


兎に伸びた手を、放っておけるほど鈍くもなかった。


「……面倒さいな、俺」


呟いた。誰にも聞こえないように。


クロが、少し離れた場所で目を閉じていた。聞こえていたかもしれない。聞こえていなかったかもしれない。どっちでもよかった。


苔角兎が一匹、膝に乗ってきた。


「……お前、重くなったな」


「もふ」


「もふって、鳴き声?」


でも、降ろさなかった。


本家の空気は、また一段変わっていた。


A級の外縁。雑魚狩りで日銭を稼ぐ冒険者。そいつらがここに踏み込んで、ここの全員に叩き出された。


泣きながら走って帰った。


次に来るやつは、もう少し考えるだろう。あるいは、もっと面倒なのが来るかもしれない。


最悪だ、と牧人は思った。


でも、膝の上の兎はあったかかった。


今はそれだけで、よかった。


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