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一晩で伝説の門を作った職人


旧採石区画へ続く道は、北深層の中でも古い場所だった。


骨の建物が並ぶ旧支配地区を抜けると、石の色が変わる。


白く乾いた骨石から、暗い灰色の岩肌へ。


壁には、何度も工具を入れた跡が残っている。


まっすぐ削られた線。

途中で曲がった線。

石質を確かめるために穿たれた小さな穴。


イトが壁へ糸を触れさせた。


「道、いっぱい」


ヒナも上を見上げる。


天井近くには、細い作業棚が何段も残っていた。


古い滑車。

切れた縄。

灰石を運んだらしい吊り台。


「やだ、迷路みたい」

「こんなところに一人で住んでるの?」


グラードが先頭を歩きながら答えた。


「ドワンは、石の近くを好む」


「石しかないよ」


「だから住んでいる」


妙に納得できる答えだった。


だが、道は一本ではない。


大きな採石路から、細い作業道が幾つも枝分かれしている。


崩落で塞がれた道もあった。


ヒナが高い位置から周囲を見る。


「右は崩れてる」

「左は奥に続いてるけど、途中で狭くなる」


イトの糸が、左の道へ入る。


さらにその奥で二つに分かれる。


「こっち」

「道具の匂い」


ヒナが首を傾げた。


「糸で匂いが分かるの?」


イトは少し考えた。


「鉄、触った跡」

「いっぱい」


グラードが頷く。


「職人道だ」


三人は細い道へ入った。


グラードの肩が両側の壁へ何度も擦れる。


石粉が落ちるたび、ヒナが少し前を飛んで道幅を確かめた。


「グラード、通れる?」


「通る」


「無理に通ったら崩れない?」


「崩さない」


短い答えだった。


クロと正面からぶつかり合った骨門番は、巨体に似合わず慎重に足を置いている。


壁へ肩を当てず、崩れた石を踏まず、道の中心だけを進む。


ヒナが少し感心したように言った。


「門番って、こういう細い道も上手なんだね」


グラードは答えない。


イトが短く言う。


「上手」


グラードの歩幅が、ほんの少しだけ大きくなった。


気に入ったらしい。


旧採石区画の奥には、作業を止めたまま時間だけが過ぎた場所が残っていた。


途中まで削られた石柱。


組み上げられなかった石枠。


番号の刻まれた灰石。


錆びた道具。


ヒナは上空から見回した。


「家、どこ?」


イトの糸が、石柱の間へ伸びる。


細い糸が何本かに分かれ、古い道具の跡をたどっていく。


やがて、一つの糸が石の山の向こうへ消えた。


「奥」

「小さい家」


グラードを連れ、三人は石の山を回り込んだ。


その先に、低い石造りの小屋があった。


壁も屋根も灰石。


窓は小さい。


扉だけが妙に厚い。


扉の横には、古い札が掛かっている。


休業中

急ぎも断る


ヒナは札を見た。


「やだ、最初から断る気だ」


イトが扉を叩く。


こん。


返事はない。


もう一度。


こんこん。


中から、しわがれた声が返った。


「休業中と書いてあるじゃろ」


ヒナが大きな声で言う。


「灰積みのドワンさんですか!」


「違う」


「札の裏に、ドワンって彫ってあるよ!」


少し間があった。


「……勝手に裏を見るな」


石の扉が、ゆっくりと開いた。


中から出てきたのは、小柄な老人魔物だった。


背はヒナの肩ほど。


灰色の皮膚。

石粉にまみれた厚い手。

太い指には、小さな傷が幾つも残っている。


腰には古い金槌と、何本もの測量具。


そして、背中が大きく曲がっていた。


ドワンは腰を押さえながら、三人を見た。


ヒナ。

イト。

グラード。


最後にグラードの胸に刻まれた王墓の印を見る。


「何じゃ」

「わしは隠居した」


ヒナは目を輝かせた。


「本当に伝説の職人だ!」


ドワンは嫌そうな顔をした。


「伝説と呼ぶな」

「面倒な仕事が来る」


「もう来てるよ」


「帰れ」


「まだ何も言ってない!」


「伝説と言って来るやつの話は、だいたい面倒じゃ」


言い切られてしまった。


だが、ヒナも引かない。


「灰環最深部の門を作ったの、ドワンさんでしょ?」


ドワンの目が少し細くなった。


「そうじゃ」


「一晩で作ったって聞いた! すごいじゃん!」


ドワンの眉が、ぴくりと大きく動いた。


「あんなものが、一晩で作れる訳なかろう」


「えっ?」


ヒナとイトが顔を見合わせる。


ヒナは、やっぱりね、と納得したように頷いた。


「そっか」

「伝説だから、ちょっと大げさになってたんだ」


ドワンは鼻を鳴らした。


「五年四か月じゃ」


「長っ!」


ヒナの翼が、ばさっと大きく開いた。


「ちょっとどころか、ものすごく現実的になった!」


イトも目を丸くする。


「一晩じゃ、ない」


「当たり前じゃ」

「あんな門、一晩で作れるか」


ドワンは指を折りながら説明を始めた。


「測量、基礎、灰石を運ぶ、六つの輪を組んだりと時間がかかる」

「途中で腰を痛めて半年ほど休んだ」


ヒナが聞いた。


「じゃあ、なんで一晩って伝わってるの!?」


「最後の留め石を入れたのが、一晩じゃった」


「最後だけ!?」

「工事の最終日だけを切り取って、伝説だった!」


ドワンは不機嫌に言った。


「だから、勝手に伝説にするなと言っておる」


「まあ、あれだけの門を一人で作っただけでもすごいけどね」


ドワンは小屋へ戻ると、分厚い石板の束を抱えてきた。


一枚目は測量。


灰環最深部の岩盤。

地下水の流れ。

灰毒の噴き出す場所。


二枚目は基礎工事。


門を支える左右の石枠。

床下へ埋める重し。

衝撃を逃がす六本の溝。


その次は灰石の搬入記録。


石の番号。

切り出した区画。

運搬した日。

欠けやひびの有無。


さらに、六つの輪の組み込み。


回転軸。

留め具。

内側と外側の噛み合わせ。


一枚ごとに、細かな図と記録がびっしりと残っていた。


イトが目を丸くする。


「いっぱい」


「当たり前じゃ」

「記録を残さず、どうやって直す」


最後の一枚には、大きく刻まれていた。


最終夜、保全門完成。


ヒナは頭を抱えた。


「誰かが最後の一枚だけ読んで、伝説にしたんだ……!」


ドワンは鼻を鳴らす。


「だから工事日報は、最初から最後まで読めと言ったんじゃ」

「途中を省くから、わしが一晩で門を生やしたことになる」


イトが石板を一枚ずつめくる。


「毎日、作った?」


「たまに休んだ」


ヒナが吹き出した。


「そこはホワイト環境!」


「無理して働いたら、伝説になる前に死ぬわ」


妙に現実的だった。


伝説の英雄というより、長年現場を見てきた職人だった。


グラードが低く言った。


「ドワン」


ドワンが顔を上げる。


「何じゃ、王墓の門番」


「灰環最深部の門が閉じた」


ドワンの顔から、わずかに笑いが消えた。


「誰が閉じた」


「グレイヴ」


ドワンは一度、目を閉じた。


「内側からか」


ヒナが頷く。


「全部閉めた」

「開けられるなら来いって」

「開けられなかったら、本家の受付を壊して、灰環の子たちをまた選別するって言ってる」


ドワンは長く息を吐いた。


「またか」


ヒナが聞き返す。


「また?」


「あやつは昔も、内側から閉めおった」


「前にも?」


「絶対に開かぬ門を作れと言ってな」

「作ったあと、自分だけ中へ入って閉めた」


ヒナは顔を引きつらせた。


「それ、外から開けられないんじゃないの?」


ドワンが不機嫌そうに言う。


「そんなものを作る職人がおるか」


「絶対に開かない門を頼まれたんでしょ?」


「壊れた時、どうやって直す」

「点検もできん門は、ただの埋め戻しじゃ」


正論だった。


イトが聞く。


「開けられる?」


ドワンは、すぐには答えなかった。


小屋の奥を見る。


石工道具。

測量具。

古い金槌。

五年四か月分の工事日報。


その一番奥には、大きな工具箱も置かれていた。


埃をかぶっている。


だが、鍵は錆びていない。


ドワンは腰をさすった。


「遠い」


ヒナが一歩近づく。


「そこを何とか!」


「腰が悪い」


「グレイヴが待ってるの!」


「待たせておけ」


「本家の受付が壊される!」


「……」


「灰環の子たちが怖い思いをする!」


ドワンは少し考えた。


「それは困るな」


「でしょ!」


「作った門を閉めるのは構わん」

「門とは、閉めるためのものじゃ」


「じゃあ、何が困るの?」


「閉め方が雑じゃ」


ヒナが固まった。


「そっち!?」


ドワンは真顔で続ける。


「六つの留めを全部落としたまま、中から帰還圧をかければ、左下の輪へ負担が偏る」

「長く続ければ、石枠が歪む」


イトが小さく言う。


「門、痛い?」


「痛む」


「それは、だめ」


「分かるか、小さいの」


イトは頷いた。


「糸も、強く引くと切れる」


ドワンの目が少しだけ細くなった。


初めてイトを、客ではなく仕事を分かる者として見たようだった。


「そういうことじゃ」


ヒナが急かす。


「じゃあ来て!」


「だから遠いと言っておる」


グラードが無言でしゃがみ、ドワンへ背中を向けた。


ドワンが眉を寄せる。


「何じゃ」


ヒナが言う。


「乗せてくれるって!」


グラードは低く言った。


「ヴァルドレイク様の命だ」

「監視のために運ぶ」


イトが言う。


「護衛」


「監視だ」


ヒナも頷く。


「護衛だね」


「監視だ」


グラードの返しが、少しだけ早くなった。


ドワンはグラードの背を一度叩いた。


硬い。


厚い。


十分に体を支えられる。


「運んでもらえるなら、行ってもよい」


あっさりとグラードの背へよじ登る。


腰を落ち着け、道具袋を膝へ置いた。


それから、小屋の中を振り返る。


「待て」


ヒナが身構える。


「やっぱり行かない?」


「工具がいる」


ドワンはグラードの背から一度下り、奥にあった工具箱を引きずり出した。


箱は小柄なドワンの体ほどもある。


ヒナが目を丸くする。


「それ全部持っていくの?」


「門を開けるんじゃぞ」


「金槌一本じゃ駄目なの?」


ドワンはヒナを見た。


「お前は空を、羽一本だけで飛べるのか」


「ごめんなさい」


ヒナは素直に謝った。


グラードが工具箱を片手で持ち上げる。


ドワンは満足そうに頷いた。


「門番は力があってよいな」


グラードは答えない。


だが、工具箱は丁寧に抱えた。


ドワンは再び背へ乗る。


「昔は十区画くらい、自分の足で歩けたんじゃがな」


ヒナが聞いた。


「腰をやったんでしょ?」


「膝もな」


「増えてる!」


「隠居後に棚を作った時じゃ」


ヒナは呆れた。


「伝説が、棚で膝を悪くした」


「油断した」


伝説にも、老いは来るらしい。


ドワンは小屋の扉を閉めた。


休業中と書かれた札を裏返す。


裏には別の文字が刻まれていた。


出張中

急ぎのみ


ヒナが札を見る。


「急ぎは受けるんだ」


「今回は特別じゃ」


ドワンは、灰環の方角へ顔を向けた。


「作った門を勝手な使い方をされておるなら」

「職人として、放ってはおけん」


グラードが立ち上がる。


ヒナが先頭を飛び、イトが細い作業道へ糸を伸ばす。


伝説の石工を背負った骨門番が、その後を進んだ。


---


帰り道では、来た時よりも多くの魔物が姿を見せた。


古い採石区画に住み着いた小型種。

作業道の隙間で眠っていた石食い。

北深層へ流れ着いた名なしの魔物。


皆、グラードの背に乗るドワンを見ている。


ドワンが眉を寄せた。


「何じゃ」


ヒナが言う。


「伝説の職人が出張するの、珍しいんじゃない?」


「わしは何度も出張した」


「最後に、家を出たのはいつ?」


「百二十年前」


「珍しいよ!」


イトが糸を前へ伸ばす。


「道、開いてる」


旧支配地区へ戻ると、骨兵たちは何も言わず道を空けた。


ヴァルドレイクは、中央門の前に立っていた。


ヒナが少し驚く。


「待ってたの?」


「監視していただけだ」


「待ってたんだね」


ヴァルドレイクは答えず、グラードの背にいるドワンを見た。


「久しいな、灰積み」


ドワンも青い眼窩を見返す。


「まだ王をやっておるのか、骨冠」


「お前も、まだ石を積んでいるようだな」


「今は隠居中じゃ」


ヴァルドレイクの青い火が、わずかに揺れた。


笑ったのかもしれない。


だが、すぐにいつもの冷たい王の顔へ戻る。


「グレイヴを止めろ」


ドワンが聞く。


「北深層のためか」


「俺の領域へ、あれの処分路を近づけさせぬためだ」


「相変わらず、素直ではないのう」


ヒナが勢いよく頷く。


「そうなの!」


ヴァルドレイクの火が鋭くなる。


「早く行け」


イトが小さく頭を下げた。


「ガイコツ王、ありがとう」


ヒナも続ける。


「道、開けてくれてありがとう!」


ヴァルドレイクは最後まで本家を認めるとは言わなかった。


ただ、骨兵たちは二人とドワンを止めなかった。


グラードも、そのまま本家まで同行した。


---


本家へ戻った頃には、灰環核の文字がさらに増えていた。


本家仮受付、閉鎖準備継続。

最終保全門、閉鎖維持。

家主個体、到達不能。

受付待機個体、再選別準備。

処分路、再接続率上昇。


ヒナが門前へ飛び込む。


「連れてきた!」


イトも梁へ糸をかける。


「ドワン、来た」


グラードが門前へ入ると、クロの右が牙を見せた。


「骨門番」


グラードもクロを見る。


「三つ首」


二体の間に、重い空気が流れる。


あの日、北深層の前庭で正面からぶつかり合った二体だ。


クロの右が喉を鳴らす。


グラードの王墓刻印も、鈍く光った。


牧人がすぐに言う。


「今日はやめろ」

「門を開ける方が先だ」


右は不満そうに鼻を鳴らした。


グラードも何も言わず、ドワンを背から下ろす。


牧人が近づいて来た。


「あんたが伝説の職人だな。一晩であの門を作ったという」


「五年四か月じゃ」


「えっ?」


ヒナが笑った。


「やだ、私たちと同じ反応してる」


牧人が何か言いかけたが、ヒナがその言葉を遮って言った。


「親父、伝説とは尾ひれがつくものなのだよ」


ドワンが工具箱を地面へ静かに置いた。


腰を伸ばしながら、本家の門前を見回した。


鍋。


受付。


布団。


台帳。


ニコの板。


名なしの者たちの列。


灰色の影たちは、突然現れた老人魔物を不安そうに見ている。


ドワンは、その列をしばらく眺めた。


「ここが、グレイヴの言う異常帰還点か」


牧人は答えた。


「本家の受付だ」


「名もない者まで並べておるのか」


「名前はあとでもいい」


「処分待ちではないのか」


「受付待ちだ」


ドワンは牧人を見た。


次に、まめじいの台帳を見る。


そこには、


名、未定。

呼称、保留。

飯、希望。

寝床、必要。


と記されていた。


ドワンは小さく鼻を鳴らす。


「なるほど」

「グレイヴが嫌がるわけじゃ」


ヒナが聞く。


「何で?」


「あやつは、空いた欄が嫌いじゃ」

「何でも決めて埋めたがる」


牧人は嫌そうに言った。


「面倒なやつだな」


「向こうも同じことを言っておるじゃろう」


それはたぶん、間違いなかった。


ドワンは最後に、灰色の保全路の奥に立つ巨大な門を見た。


遠くからでも、六つの輪が淡く光っている。


ドワンの目が変わった。


曲がっていた背中が、ほんの少しだけ伸びる。


さっきまで腰を気にしていた老人ではない。


石の積み方。

輪の傾き。

石枠へかかる圧力。

目には見えない内部の噛み合わせ。


すべてを測る、職人の目だった。


「……あれを、全部閉めおったか」


牧人が前へ出た。


「あの門、開けられるか」


ドワンは、遠くに見える六つの輪を順番に眺めた。


一つ目。


二つ目。


三つ目。


六つ目まで確認すると、今度は床へ目を落とす。


石床に流れる灰色の光。


本家へ伸びる帰還路。


処分路から逆流する圧力。


ドワンは、腰の金槌を軽く叩いた。


「作ったのは、わしじゃ」


ヒナが期待を込めて聞く。


「じゃあ、開く?」


「開け方も残してある」


門前にいた全員が顔を上げた。


灰環核の光が、嫌そうに揺れる。


牧人は聞いた。


「どうやる」


ドワンは、門に埋め込まれた六つの輪を指した。


「六つの留めを、同時に外す」


ザガが眉を寄せる。


「同時に?」


「一つでもずれれば、外れた留めが戻る」

「全部、最初からやり直しじゃ」


ヒナの顔が引きつった。


「難しくない?」


ドワンは当然のように答えた。


「最終保全門じゃぞ」

「簡単に開いたら、わしの五年四か月を返してもらう」


ニコが板を出した。


門、開ける

工期、五年四か月


ドワンは、その板を見た。


しばらく黙る。


それから、深く頷いた。


「その記録は正しい」

「一晩ではない」


灰環最深部で、六つの輪が重く鳴った。


ごん。


ごん。


門の向こうで、グレイヴが待っている。


本家には、門を作った職人が来た。


次は、五年四か月かけて築かれた門を、本家の全員で開ける番だった。


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