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親父は、灰環に受付を作れと言った


灰色の波が、本家仮受付へ激突した。


音はなかった。


けれど、門前にいた全員の体が、一瞬だけ後ろへ押し戻される。


分類の波。

処分の波。

名前を薄くする波。

飯の匂いを消す波。

寝床を冷たくする波。

台帳の文字を白紙に戻す波。


それらが一つになって、灰環仮受付を丸ごと押し潰そうとしていた。


「っ……!」


ヒナが空中で羽を打つ。


「やだ、これ、風じゃない!」

「声が押し潰される!」


ヒナの案内の声が、一瞬だけかすれた。


灰環の奥で、寝床へ向かっていた名なしの影たちが足を止める。


その足元へ、冷たい灰の流れが伸びた。


イトが糸を張る。


「止まっちゃ、だめ」

「糸、つかんで」

「こっち、安全」


細い糸が、影たちの足元をすくうように引いた。


イシコが石を押し出す。


「足場、出す」

「ここ、踏んで」


本家石が、灰色の波の中に点々と浮かび上がる。


小さな石。

でも、沈まない石。


影たちが、その上に震える足を乗せる。


ミズハの水が、冷え切った灰の流れを横へ逃がした。


「ぷる、濃いところだけお願い!」


ぷるん。


ぷるは、へとへとになりながらも、灰の濃い流れに小さく体を寄せ、ほんの少しだけ吸い取る。


ベロが即座に塩水を差し出した。


「無理はするな」

「一口分でいい」


ぷるん。


ぷるは、少し誇らしげに揺れた。


ナナは処分路の裂け目の前に立っていた。


灰色の波が、閉じたはずの扉をこじ開けようとしている。


ナナは短剣を抜かない。


両手を、扉の縁へ当てた。


灰色に染まった指先が、また痛む。


けれど、ナナは表情を変えなかった。


「開けない」

「ここ、閉店」


ヒナが、少しだけ笑いそうになった。


「やだ、ナナの閉店宣言!」


ナナは振り返らない。


「二度と開けない」


「もっと強かった!」


ネムは布団を押さえる。


処分路の内側に敷いた寝床が、灰の波で冷たくなりかけていた。


「寒いの、だめ」

「寝てる子、丸まって」


寝床の奥から、小さな声が聞こえる。


「……さむい」

「また、下に……」


「大丈夫」

「布団、足す」


ネムは、自分の肩にかけていた小さな布まで、処分路の奥へ押し込んだ。


「これも、使っていい」


ベロが鍋蓋を構えたまま叫ぶ。


「湯気を送る」

「寝床を冷やすな」


大鍋から、温かい粥の湯気が立つ。


灰色の波は、それを嫌がるように揺れた。


白帳の板に文字が走る。


飯場機能、遮断不能。

休眠所、撤去不能。

案内音声、残存。

本家石、分散継続。

帰還補助糸、切断失敗。

処分路、再開放不能。


ヒナがかすれた声で笑った。


「やだ、失敗報告が多い!」


ザガが短く言う。


「もっと失敗しろ」


ベロも頷いた。


「飯場遮断不能は、良い報告だ」


牧人は言った。


「お前はそこだけ見るな」


「飯場は大事だ」


「分かってるよ」


灰環核の奥が、さらに重く鳴った。


ごん。


その音に合わせて、灰色の波が形を変える。


押し潰すだけではない。


今度は、言葉が混ざった。


戻る資格なし。

価値なし。

不適格。

役目のみ抽出。

名は不要。

帰還不要。

沈降せよ。


その声を聞いた名なしの影たちが、また震えた。


「価値なし……」

「帰れない……」

「名前、いらない……」


ヒナが必死に声を張る。


「聞かない!」

「その声は案内じゃない!」

「飯の匂いの方!」

「ネムの布団の方!」

「イトの糸を掴んで!」


だが、灰環核の声は重かった。


長い年月、深層に沈められ続けた者たちの中に染み込んだ声だ。


価値がない。

戻れない。

名前はいらない。

役目だけあればいい。


その言葉に、影たちの足が止まりかける。


牧人は、その様子を見ていた。


灰環仮受付は、まだ開いている。


だが、向こうにいる子たちの足が止まっている。


飯もある。

寝床もある。

案内もある。

記録もある。


それでも、灰環核の声が「帰るな」と押し戻している。


牧人は、お玉を握ったまま、灰環の奥を睨んだ。


「まめじい」


「はい、親父殿」


「灰環核の言ってること、もう一度まとめるとどうなる」


まめじいは台帳を抱えながら、すぐに答えた。


「灰環核は、己を選別場と定義しております」

「入ってきた者を判定し、価値ありとした者のみを帰還路へ戻す」

「価値なしとした者は深層へ沈め、名を薄め、役目のみを残す」

「帰還不能は事故ではなく、構造である」

「以上でございます」


牧人は眉間に皺を寄せた。


「やっぱり、何度聞いても嫌な話だな」


ヒナが空中から言った。


「親父、どうするの?」

「灰環核そのものを止めないと、ずっとこれ言ってくるよ!」


ザガが槍を構える。


「力ずくで奥へ突っ込むか」


クロの右が牙を剥いた。


「噛み砕くなら、俺が行く」


中央が低く言う。


「だが、核は深い」

「ここから闇雲に突っ込めば、また道を消される」

「こいつは、道そのものを握っている」


まめじいが言う。


「親父殿」

「灰環核の構造そのものを変えぬ限り、同じことが繰り返されましょう」


牧人は嫌そうな顔をした。


「構造を変えるとか、そういう大げさな話は苦手だ」


ヒナが叫んだ。


「今、もう十分大げさなことしてるよ!」


ナナが短く言った。


「親父、自覚ない」


ベロも鍋をかき混ぜながら頷く。


「灰環の中に飯場を作っている」

「十分、大げさだ」


牧人は少し黙った。


それから、灰環核を見た。


「難しい改革案は知らん」

「制度設計とか、世界の仕組みとか、俺に聞くな」


まめじいが、ほんの少しだけ口元を緩める。


「親父殿らしいお言葉でございます」


牧人は続けた。


「でも、これだけは言える」


灰環核の奥が、静かに揺れた。


牧人は、お玉の先を石板へ向けた。


「入る場所があるなら、出る場所も作れ」


門前が静まった。


ヒナが羽ばたきを止めかける。


ナナが目を細める。


まめじいの筆が、止まる。


牧人は続けた。


「迷い込む場所があるのに、帰る場所がないのはおかしい」

「帰る場所がないなら、受付を置け」

「誰が来たか、名前を聞け」

「名前を言いたくないなら、あとでいいって書け」

「歩けないなら座らせろ」

「怖がってるなら、寝かせろ」

「腹が減ってるなら、飯くらい出せ」


灰環核の石板が、明滅した。


意味不明。

要求内容、迷宮機能に非該当。

受付設置、不要。

飯場設置、不要。

休眠所設置、不要。

名確認、選別に不要。


牧人は即答した。


「だから駄目なんだよ」


灰環核の光が乱れる。


「お前は最初から、戻す気のあるやつしか見てない」

「戻れないやつのことを、最初から見てない」

「だから受付がいるんだろ」

「一回、止めて、聞け」

「お前は誰だ」

「どこから来た」

「帰りたいのか」

「飯は食えるか」

「寝る場所はいるか」

「それを聞いてから決めろ」


ヒナが小さく息を呑んだ。


「やだ……親父、すごく普通のこと言ってるだけなのに、灰環にめちゃくちゃ効いてる……」


灰環核の石板に、文字が走る。


問い合わせ処理、過多。

個体別確認、非効率。

全件受付、処理不可。

飯場機能、選別に不要。

休眠所、判定遅延を発生。

名前の任意登録、名薄化処理を阻害。

帰還希望確認、不要。


ナナが短く言った。


「不要が多い」


ベロが言う。


「必要なものばかりだ」


ネムが布団を抱えながら言った。


「寝るの、必要」


イトも糸を張り直しながら言う。


「帰る道、必要」


イシコが石を押さえる。


「足場、必要」


ミズハが水を流す。


「水も必要よ」


ぷるが、ぷるんと揺れた。


ヒナが胸を張った。


「案内も必要!」


ニコが板を出した。


全部、必要


豪志が、その板を持ち上げた。


「はい!」

「必要なものを必要だと言えるのが、本家です!」


ザガが苦笑した。


「それ、勢いで言ってるだろ」


豪志は真剣に答えた。


「勢いはあります!」

「でも本気です!」


ヒナが笑った。


「やだ、豪志が開き直った!」


牧人は灰環核を睨んだ。


「全部やれとは言わん」

「まず入口と出口をつなげろ」

「帰れないやつが出るなら、そこに受付を置け」

「名前が分からないなら仮でいい」

「飯が足りないなら粥でいい」

「寝床がないなら布団を敷け」

「それだけだ」


灰環核の石板が、激しく明滅した。


それだけ、という判断、不能。

要求、迷宮構造の全面改変に該当。

帰還不能構造への重大干渉。

処分領域の用途変更。

名薄化処理の停止。

選別場の機能不全。

灰環の定義、破損。


牧人は首を傾げた。


「大げさだな」

「受付を置けって言ってるだけだぞ」


ヒナが額を押さえた。


「やだ、親父が本当に分かってない!」

「それが灰環にとっては致命傷なんだよ!」


まめじいが静かに言った。


「親父殿のご提案は、灰環核からすれば、選別場を避難所へ変えるものにございます」

「つまり、機能の根本的な変更でございますな」


「そんな大層なつもりはない」


「親父殿は、いつもそうでございます」


ナナが短く頷く。


「いつも、大層になる」


牧人は少しだけ顔をしかめた。


「俺はただ、帰る場所がないのは困るって言ってるだけだ」


その時、まめじいの台帳の端が、ぴくりと震えた。


灰環核の文字ではない。


本家石に絡んでいたイトの糸が、外側へ一筋だけ伸びている。


その先は、地上ではない。

監察局でもない。


黒冠から流れてきた記録片と、灰環仮受付に残された本家台帳の間にできた、ごく細い記録の反響だった。


まめじいが目を細める。


「親父殿」

「この記録、外にも漏れ始めておりますな」


牧人が眉を寄せた。


「外?」


「ええ」

「今すぐ誰かが見ている、というより」

「後ほど、監察局や都市防衛局が確認可能な形で、記録の痕跡が残りつつある、ということでございます」


ヒナが空中で顔をしかめた。


「やだ、それって、また報告書になるやつ?」


ナナが短く言った。


「なる」


ザガが言った。


「なるだろうな」


牧人は嫌そうな顔をした。


「面倒だな」


まめじいは、淡々と筆を走らせた。


「現地記録にございますので」


---


そのころ、地上側ではまだ、久慈野澄玲たちは灰環内部で何が起きているかを正確には知らなかった。


ただ、黒冠と灰環の異常干渉、帰還路の乱れ、灰環中層から漏れ始めた不可解な記録波形だけは確認していた。


市属ダンジョン監察局の観測室には、灰色と黒色の波形がいくつも重なっていた。


灰環。

黒冠。

本家周辺。


通常なら交わらないはずの三つの異常が、同じ時間帯に揺れている。


澄玲は、観測室の端末を見ながら額を押さえていた。


「……また、何かやっていますね」


都市防衛局の警備統括官、水越篤臣もそこにいた。隣で腕を組む。


「本家か」


「本家でしょうね」

「灰環の中で、選別処理が止まりかけています」


水越の後ろに立っていた副官が、資料端末を見ながら真面目に言った。


「観測値だけで判断するなら、内部で未帰還者の登録と帰還導線の確保が行われている可能性があります」

「制度として整理するなら、最低限の避難導線と帰還登録制度です」


澄玲は即座に言った。


「言わないでください」


副官は顔を上げる。


「ですが、入口と出口の紐付け、未帰還者の仮登録、休眠・給食・状態確認、帰還意思の聴取。迷宮災害時の避難所運用としては、極めて合理的です」


「言わないでください」

「それを認めると、正式な制度にしなければならなくなります」


水越が低く笑った。


「もう遅いだろう」

「現場が制度より先に動いている」


澄玲は、深く息を吐いた。


「……本当に、いつもそうですね」

「あの人たちは、制度が追いつく前に、現場で答えを作ってしまう」


その横で、管轄外の黒冠方面警戒表示も小さく点滅していた。


澄玲はちらりと見て、眉間を押さえる。


「……黒冠でも、何か起きているようです」

「どこの迷宮も、大変ですね」


水越は短く言った。


「そのようだな」


澄玲は、もう一度ため息をついた。


副官が端末を見ながら言った。


「名称を仮につけるなら、迷宮内緊急帰還受付制度、あるいは未帰還者仮登録制度でしょうか」


澄玲は目を閉じた。


「名前をつけないでください」


「ですが、記録には必要です」


「その言い方、まめじいさんに似てきていますよ」


副官は少しだけ困った顔をした。


水越は観測波形を見ながら言った。


「久慈野」

「止めるべきか」


澄玲は答えなかった。


止められるなら、止めている。


だが、灰環の内部では、今まさに帰れなかった者たちが何かに導かれ始めている。


選別処理は止まり、処分路の流量は下がり、帰還路に未知の安定反応が出ている。


危険かどうかで言えば、危険だ。


異常かどうかで言えば、間違いなく異常だ。


だが、監察局の数値は、残酷なほど正直だった。


未帰還者に相当する薄い反応が、消滅ではなく、保留状態へ移行している。


澄玲は、深く息を吐いた。


「止めません」

「ただし、記録します」

「あとで、本人たちに説明してもらいます」


水越が小さく笑った。


「説明できると思うか」


澄玲はしばらく黙った。


そして、疲れた声で言った。


「……牧人さんは、きっと言います」

「受付を置いただけだ、と」


副官が真面目に頷いた。


「実際、観測上はその可能性が高いです」


澄玲は、もう一度額を押さえた。


「言わないでください」


---


本家側では、灰環核の石板が激しく乱れていた。


選別場。

処分路。

帰還路。

名薄化。

本家仮受付。

飯場。

休眠所。

案内。

台帳。

本家石。


灰環核の古い言葉と、本家が持ち込んだ生活の言葉が、同じ場所でぶつかっている。


まめじいが目を細めた。


「親父殿」

「灰環核内部で、定義の衝突が発生しております」


「定義の衝突?」


「はい」

「選別場に、受付」

「処分路に、寝床」

「名薄化の対象に、仮登録」

「帰還不能の構造に、本家石」

「灰環核からすれば、どれも本来ありえぬものにございます」


ヒナが小さく呟いた。


「やだ……」

「親父の『受付を置け』が、本当に核に刺さってる」


灰環核の石板が、重く鳴る。


ごん。


受付、不要。

受付、必要。

受付、不要。

受付、必要。


門前に、奇妙な沈黙が落ちた。


ナナが短く言った。


「迷ってる」


ベロが当然のように言う。


「置けばいい」


ネムも頷いた。


「寝床も」


イトが言う。


「道も」


イシコが言う。


「石も」


ミズハが続ける。


「水場も必要ね」


ぷるん。


ぷるも、力なく同意した。


豪志が板を抱えたまま、涙目で言った。


「皆さん、追加の役目が増えています!」

「俺、この板を下ろしていい瞬間が、どんどん遠くなっております!」


ヒナが笑った。


「やだ、豪志の腕が本家制度に巻き込まれてる!」


ニコが板を出した。


まず受付


灰環核の石板が、その文字に反応した。


まず受付。

入口と出口の照合。

帰還希望確認。

仮名登録。

休眠待機。

飯場接続。

処分保留。


まめじいが息を呑んだ。


「処分保留」


ヒナが目を見開く。


「今、処分保留って出たよね?」


ザガが低く笑った。


「核の言葉に、保留が混ざったか」


クロの中央が、灰環の奥を見据える。


「落とす前に止まる」

「それだけでも、大きい」


牧人は眉をひそめた。


「受付を置けって言っただけなんだけどな」


ヒナが言った。


「たぶん今、それが一番効いてる!」


その瞬間、灰環の最深部から、空間そのものが組み替えられるような音が響いた。


ごん。


ごん。


ごん。


灰環核の中央中枢に、巨大な門の輪郭が浮かび上がった。


最初は、ただの冷たい封鎖門だった。


誰も通さないための、重く、灰色の門。


だが、その門の前に、小さな板が浮かぶ。


受付


次に、沈まない石畳が生まれた。


その横に、細い記録台。


さらに、椀を置くための小さな棚。


ベロが目を細める。


「飯置き場だな」


ネムが言う。


「寝床も、いる」


すると、門の奥に、薄い休眠区画の影が浮かんだ。


ヒナが叫ぶ。


「やだ、出てきた!」

「灰環の中心に、本当に受付門が出てきた!」


ナナが短く言った。


「効いた」


まめじいは、震える筆で台帳に記した。


灰環核中心部に、巨大受付門、発生。

本家方針、核中枢へ到達。

処分保留機能、発生。

帰還受付、仮形成。


牧人は、その巨大な受付門を見上げた。


冷たく、まだ不完全な門。


本家の門前とは違う。


温かいとは言えない。


飯の匂いも、まだ薄い。


だが、そこには確かに「受付」と書かれていた。


牧人は、しばらく黙っていた。


それから、ぽつりと言った。


「ほらな」

「やればできるじゃないか」


灰環核の石板が、激しく明滅した。


理解不能。

受付門、発生。

処分機能、一部保留。

矛盾。

矛盾。

矛盾。


ヒナが笑った。


「やだ、褒められて混乱してる!」


ナナが短く言った。


「効いた」


その時、門前にいた《白帳》の白い帳面板が、ぎしりと歪んだ。


白帳の顔の板に、乱れた文字が浮かぶ。


受付門、発生。

処分保留、発生。

本家方針、中枢到達。

旧管理命令、照合不能。


まめじいが目を細めた。


「親父殿」

「白帳にも矛盾が流れております」


灰環核の奥から、さらに重い文字が浮かんだ。


白帳。

旧管理代理個体。

現行命令、停止。

中枢帰還。

再照合。


白帳の動きが止まった。


ベロが鍋蓋を構えたまま言う。


「帰るのか」


ヒナが身を乗り出す。


「やだ、あれだけ暴れて、謝りもしないで帰るの?」


ナナが短く言った。


「帰れ」


白帳の板に、最後の文字が走る。


本家方針、重大干渉。

家主個体、未削除。

再照合後、対応。


牧人は言った。


「次に来るなら、受付を通れ」


白帳の板が一瞬、真っ白になった。


ヒナが吹き出した。


「やだ、親父が白帳にも受付を要求した!」


ニコがすかさず板を出す。


白帳も、受付へ


白帳は、その板を見た。


見た、ように見えた。


そして、白い帳面板を完全に閉じると、灰環核の奥へ向かって、ゆっくりと後退していった。


まめじいが台帳へ記す。


旧管理個体《白帳》。

本家排除任務、未完了。

灰環核中枢より帰還命令。

再照合へ移行。

親父殿、次回来訪時は受付を通るよう通達。


ニコが板を出した。


白帳、出直し


ヒナが笑った。


「やだ、撤退まで板にされた!」


白帳は消えた。


いや、正確には帰った。


灰環核の中枢へ。


本家を排除しきれないまま、受付門の発生という矛盾を抱えて。


牧人は、巨大な受付門を見た。


「まだ仮だ」

「でも、これで一つはっきりした」


クロが三つの首を傾ける。


「何がだ、親父」


「灰環の中心にも、受付は作れる」


まめじいが静かに頷く。


「灰環仮受付、維持」

「白帳、中枢へ帰還」

「灰環核本体、未解決」

「以上でございます」


牧人は頷いた。


「ああ」

「受付は閉めない」


ニコが板を出した。


受付、閉めない


その時、門前の端で、黒冠の影が小さく揺れた。


灰環の灰とは違う。


黒く、深く、道そのものが息をするような影。


イトの糸が、ぴんと震える。


「黒冠」

「まだ、開いてる」


ヒナが顔を上げた。


「やだ、灰環だけじゃ終わらないの?」


ナナが短く言った。


「黒冠も、道」


黒冠の影が、ゆっくりと濃くなった。


それは、拒絶にも見えた。


本家に呑まれることを嫌がる、黒い迷宮の意地にも見えた。




第四章 完


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